23.ラルカの提案
翌朝、ラルカはいつもより数段、上機嫌に身支度を整えていた。
薄化粧を施し、ゆるりと髪を纏め、最後にブラントから貰った髪飾りを添える。
(本当に、すごく綺麗……)
鏡の中の自分を見つめつつ、ついつい惚れ惚れしてしまう。うっとりと瞳を細めながら、ラルカは微笑みを浮かべた。
東洋で作られたというその髪飾りは、変わった形状をしている。けれど、洋装にもとても合うため、職場で付けても浮かないだろう。
もう一度、様々な角度から身だしなみをチェックしたあと、私室を出る。
すると、タイミングよく、ブラントと行き合った。
「おはようございます、ブラントさま」
「おはよう、ラルカ。昨日はよく眠れましたか?」
「はい、とても。ぐっすり眠れましたわ」
昨日は観劇のあと、レストランで食事をしてから帰路に着いた。
邸についた頃にはもうクタクタ。
けれどそれは、とても心地の良い疲労感だった。
侍女たちが温かいお風呂や安眠効果のあるお茶を用意してくれた甲斐もあり、疲れは全く残っていない。寧ろ、普段よりも清々しい気分だ。
「あの、ブラントさま……昨日はとても楽しかったです。本当にありがとうございました」
ラルカがそう言って頭を下げる。ブラントは嬉しそうに目元を和ませた。
「お礼を言うのは僕の方です。昨日はとても楽しかった――――人生最高の一日でした。僕の願いを叶えてくれて、ありがとう、ラルカ」
「そんな、大袈裟ですわ」
返事をしながらクスクス笑っていると、ふわりと、ブラントがラルカの手の甲に触れるだけのキスをする。
「本心ですよ」
悪戯っぽい笑み。
ラルカの身体がビクッと跳ねる。
残念ながら、こうした触れ合いにはまだまだ慣れそうにない。
「髪飾りも……付けてくださっているのですね?」
ブラントはそう言って、ラルカの髪にそっと触れる。胸をドキドキさせつつ、ラルカはコクリと頷いた。
「嬉しいです。僕が贈ったものをラルカが身につけてくれるのが、とても嬉しい」
はにかむような笑みのブラントに、ラルカはそっと目を細める。
「それを言うならわたくしの方ですわ。
実はわたくし、元々あまりオシャレには興味がないんです。最低限身だしなみを整えたらそれで良いと思っていて――――もちろん、これは姉の反動が大きいのですけどね。
だけど、こちらの髪飾りは本当に気に入りまして! 是非、身につけて行きたいなぁと思ったのです」
見ているだけで気分が上がる。
付けていると、なんだか自信が湧いてくる。
髪飾り一つで、こんなにも気持ちが上向くことがある――――ラルカはそう感じたのだった。
「きっと、ブラントさまが贈ってくださったものだから、こんなにも特別に感じるのだと思います。本当に、ありがとうございます」
「――――だとしたら、本当に光栄です。こちらこそ、ありがとう、ラルカ。
さあ、そろそろ朝食にしましょうか」
それを合図に、二人の手がごくごく自然に繋がれる。
「はい! ブラントさま」
どちらともなくニコリと微笑みあった。
***
職場に着いて以降も、ラルカの楽しい気分は持続していた。
普段は退屈な定型的な書類を仕上げている時も、他部署の文官の小言を聞かされている時でも、いつもよりも数段楽しく感じられる。
時折、無意識に髪飾りに触れつつ、ラルカはふ、と目元を和ませた。
「――――どうやら、楽しかったみたいね」
背後から聞こえる囁き声。ハッとして振り向けば、エルミラが大層意地の悪い笑みを浮かべていた。
「エルミラさま……」
「楽しかったんでしょう? ブラントとのデート」
良いなぁ、私もしたいなぁ――――そんなことを口にしながら、エルミラは悩ましげなため息を吐く。
ラルカは慌てふためきながら、小さく首を横に振った。
「そんな、エルミラさま! わたくしはただ、ブラントさまとお出かけをしただけで。デートだなんて大層なものでは……」
「婚約者と出かけたんでしょう? デート以外になんて呼称すれば良いのよ?」
呆れたような口調のエルミラ。ラルカはぽっと頬を染める。
「だけど、わたくしたちは仮初の婚約者ですし。普通の婚約者同士のお出かけとは違いますもの……」
それなのに、デートだなんて勝手に呼んでしまっては、ブラントに対して失礼にならないだろうか?
ついつい、そんな心配をしてしまう。
「まあまあ。呼称はさておき、ラルカは楽しかったんでしょう?」
「…………はい。とても、楽しかったです」
答えつつ、ラルカは思わずはにかんでしまう。
楽しかった。
嬉しかった。
――――どんなに言い訳したところで、それだけは変えようのない事実だ。
昨日の出来事を思い出すだけで、笑顔になれる。幸せを感じてしまう。
もう一度、またすぐに出かけたいと、そう思ってしまうほどに。
「良かったじゃない。本当に羨ましいわ。休憩時間に色々と話を聞かせてちょうだいね?」
エルミラはそう言って穏やかに微笑む。ラルカはコクリと頷いた。
「それはそうとエルミラさま。実はわたくし、ブラントさまと一緒に出かけたことで、やってみたいことができたのですわ」
「やってみたいこと? 一体どんな?」
瞳をキラキラと輝かせるラルカの姿に、エルミラは思わず首を傾げる。
「今度開催する子供たちのためのチャリティーイベントで、わたくしのドレスを貸し出したいと思っていまして……!」
まっさらな紙にペンを走らせつつ、彼女は活き活きと声を弾ませた。
「元々、何かイベントの目玉になる催しを探しておりましたでしょう? バザーだけでは集客が見込めませんものね。
その点、わたくしのドレスならば、元手無しでいくらでもお貸しできますし、多少なりとも女性の関心を惹けるのではないかと思いますの」
「なるほど……確かに、貴女のワードローブは豊富だし、華やかだものね。オシャレ好きの女性にはたまらないかも」
小さく唸るエルミラに、ラルカは苦笑を浮かべる。
「領地から運ばせれば、幼い頃に着ていたドレスも大量にご用意できますわ。放って置いても埃を被るばかりで勿体ないですから」
「だけど、ラルカ。そんなことをすれば、ご家族と連絡を取らないといけなくなるのではなくて? 大丈夫なの?」
メイシュのせいでラルカが苦しんでいたことを知っているだけに、エルミラは不安を感じてしまう。
「ありがとうございます。エルミラさまのおっしゃるとおりですわ。
だけど、わたくしはどうしても、このイベントを成功させたいんです」
そう口にするラルカの瞳には、強い光が宿っている。エルミラは小さく息を呑んだ。
「わたくし、昨日ブラントさまと一緒に見た舞台で、女性には変身願望と言いましょうか――――普段の自分とは別人になりたい時があるということを実感しましたの。オシャレをすることの楽しさも」
自分が自分じゃなくなったような感覚は、幸せを増幅させてくれる。ほんの少しの間、辛い日常を忘れさせてくれる。
それに、ブラントと出かけるために化粧をしたり、着飾ったりすることは、ラルカが想像していた以上に楽しかった。
髪飾りを贈られ、それを付けた自分を鏡で眺める楽しさもそう。
これは、メイシュに強制的に着飾らされていた頃には気づくことのできない喜びだった。
自分自身が楽しかったことを。
嬉しかった経験を。
誰かと、確かな形で共有したい。
上手くいけば、メイシュとの苦々しい思い出も、温かいものに変えることができるのではないだろうか――――そう思うと、興奮で胸が高鳴る。
「普段とは違う装いをすることで、皆様に非日常感を味わっていただけるんじゃないかと思っておりますの。
それに、これなら小さなお子様から、その親御さん世代まで楽しんでいただけそうだなぁと。足を運んでいただけそうだなぁと思いましたの」
今回は、子どもたちのためのイベントで、富裕層や中間層たちの関心や支援資金を集めることが目的だから、ラルカの提案はターゲット層にもバッチリ合う。
「良いわね、それ! 是非採用しましょう! どうせなら、ドレスの種類は豊富な方が良いわね。わたくしの幼い頃のドレスも貸し出すわ」
「……! そうしていただけると、すごく嬉しいです。ありがとうございます、エルミラさま!」
エルミラがドレスを貸し出してくれるというならありがたい。ラルカは大きく頭を下げた。
「ねえ、有料で化粧をサービスするっていうオプションも準備したらどうかしら? イベントの成果指標として資金集めは重要だし、折角綺麗なドレスを着るのだもの。顔だって美しくしたい――――美のプロフェッショナルたちの腕を味わってみたいと思う人も多いんじゃない? ねぇ、貴女たちもどう思う?」
エルミラはそう言って、己の侍女たちを振り返る。
彼女たちは一様に、瞳をキラキラと輝かせた。
「そのお話、わたし達も参加して良いんですか⁉」
「もちろんよ。ラルカの建てた計画を成功させるためには、貴女達の意見や働きが重要になるわ。一緒に考えてくれる? 当日も、手伝ってちょうだい」
「もちろんですわ!」
普段と違った役目を与えられたことで、侍女たちはとても嬉しそうだった。彼女たちもきっと、もっとエルミラの力になりたいと思っていたのだろう。活き活きとした侍女たちの姿に、何だかラルカまで嬉しくなってしまう。
(よしっ!)
ラルカは気合を入れ直し、机に向かう。これまで以上に、仕事への意欲が高まっているのを感じていた。




