19.二人の休日(1)
そうして迎えた次の休日。
ラルカは鏡台の前で、一人にらめっこをしていた。
(どうしましょう……一体どんなお化粧をすれば良いのかしら?)
ベッドの上には、藍色のドレスが広げられている。誰あろうブラントからの贈り物だ。
彼へお礼をするための外出だと言うのに、『僕が贈ったドレスで出掛けてほしいんです』と主張され、どうしても譲ってもらえなかった。
ウエストの部分がキュッと絞られ、全体的に細いシルエットのそのドレスは美しく、可愛いと言うよりもカッコいい。大人の女性のためのドレスだ。
街なかで着用しても浮かず、けれどかしこまった場所でも浮かないであろうデザインで、とてもラルカ好みである。
元々、ラルカ自身は大しておしゃれに興味がない。時と場所と状況にあった服を着用するのが一番で、あとは動きやすさを重視する。メイシュの束縛の反動で、明るい色よりも暗めの色を好むし、装飾は少なめの方が良いという気持ちはあるけれど、自分を飾り立てること自体はどうでも良いと思っている。
しかし、二人で出かけるためにわざわざドレスを用意してくれたブラントの気持ちを考えると、適当に済ましてはいけないだろう――――そんな風に思っていた。
ドレスに一番合う化粧をし、髪型を整え、アクセサリーを選ばなければならない。
頭の中でシミュレーションを重ねながら、何だかソワソワしてしまう。
(もしかしてこれが――――オシャレが楽しいっていう感覚なのかしら?)
今、ラルカの心を占めているのは、煩わしいというより寧ろ正反対の感情だ。
アイシャドウに頬紅、口紅はどんな色が合うだろう?
どのぐらいの濃さが良いだろう?
これまでとても億劫だったのに、ラルカは今、嬉々として鏡に向かっている。
だって、これはお礼だから――――ブラントのための外出だから。
彼が何を望むのか、どうしたら喜んでくれるのか、必死に考えるべきなのだろう。
そんな風に自分に言い訳をしていることに、ラルカ本人は気付けない。
存分に悩んだ後、手元に置かれたベルを鳴らす。
すぐに侍女たちが部屋へと来てくれた。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「着替えを手伝ってほしいの。ドレスに合わせて髪を綺麗に結い上げたくて。一人では難しい髪型だから」
「もちろん。喜んでお手伝いしますわ!」
三人の侍女たちはそう言って、とても嬉しそうに微笑む。
普段の倍以上の時間を掛けて身支度を終えたラルカは、約束の時間ピッタリにブラントの私室の扉をノックした。
「……はい」
「ラルカです。支度ができました」
たった一言。それだけを伝えるために、心臓がドキドキと鳴り響く。
扉越しにブラントが動く気配がし、ラルカはごくりと唾を飲む。
(どうしましょう? すごく緊張してしまうわ)
もしもブラントに気に入ってもらえなかったら。
ううん、それだけならまだ良い。
もしかして、気合を入れ過ぎだと笑われないだろうか?
侍女たちからどれほどお墨付きをもらえても、ラルカは自信を持てずにいる。
こんなことは生まれてはじめてだった。
いつだって彼女は誰かのきせかえ人形で、自分自身の容姿を好きだと思ったことも、誰かに気に入られたいと思ったこともなかったのだ。周りの評価など、どうでも良かったというのに――――。
「ラルカ、今日は――――」
扉を開けたブラントが、思わずといった様子で息を呑む。
彼は口元を手のひらで覆った。
「あ……あの、如何でしょう? 変じゃありませんか? いつもと化粧を変えてみたんです」
緊張のあまり、ついつい声が震えてしまう。
今日の化粧は、メイシュが好むお人形のようなメイクとも、勤務中に施すナチュラルメイクとも違っていた。
暗めの赤をベースにし、ラルカ本人が好む化粧よりも少しだけ濃く色鮮やかに仕上げる。
髪型は一度きっちりとまとめ上げた後、緩くふわりと崩してみた。これだけで、人形のような印象が幾分和らぐ。
本当ならば、大人っぽいドレスに合わせアイラインをきりりと長くしてみたり、ブラウンやゴールドのメイクの方が合うのかもしれない。
けれど、どうせならばブラントに可愛いと思われたい――――本人は気づいていないが、ラルカはそんな風に思っていた。
「ブラントさま?」
返事を聞くのが怖くて――けれど少しだけ期待してしまう。
ブラントならば、結果がどうあれ褒めてくれるのではないだろうか?
相反する感情を抱きながら、ラルカはほんのりと上を向く。
「もっとよく見せてください」
ブラントはそう言ってラルカの肩を抱き、彼女をまじまじと見つめた。
彼の青い瞳は熱っぽく潤み、頬が真っ赤に染まっていく。
「あの、ブラントさま……そんなに見られたら恥ずかしいです」
あまりにも熱いその眼差しに、ラルカはついついそう漏らす。
普段は気にもとめない肌のコンディションや吐息、瞬きの回数すらも気になってしまい、気が気じゃない。
「すみません……あまりにもラルカが綺麗で、可愛くて。目が離せなくて」
ブラントはそう言って、ラルカをギュッと抱きしめる。ラルカの心臓が一際大きく跳ねた。
男性もののザラザラしたジャケット地に、ブラントの香り。逞しい腕や胸板へと意識が移るにつれ、ラルカは半ばパニックに陥る。
「ブラントさま、えっと」
これはお礼の一環なのだろうか?
よくわからないが、こちらから止めてはいけない気がする。
ブラントは困ったように微笑むと、ラルカの頭を優しく撫でる。
「失礼しました。そろそろ行きましょうか?」
「……え、ええ」
差し出された腕をラルカがとる。
彼と出会ったのはつい最近のこと。
けれど、いつの間にか彼の腕をとることが自然になりつつある自分に、ラルカは密かに戸惑いを覚えるのだった。