18.ブラントのご褒美
屋敷に戻ると、早速ラルカは使用人たちにリサーチをはじめた。
ブラントの好きなもの、嫌いなもの。
服や小物の好み。
趣味や特技。
休日の過ごし方など、ありとあらゆることを聞いて回る。
「お嬢様に『ブラントさまを知りたい』と思っていただけて本当に良かったです……!」
使用人たちは瞳を輝かせて、手を取り合い喜んだ。
ラルカには彼らがどうしてそんなにも喜ぶのか、いまいち理解できない。恩人にお礼をしたいと思うことも、そのために当人を知ろうとすることも当然だからだ。
とはいえ、二人が仮初の婚約者だということは、使用人たちにも秘密だ。それとなく事情を誤魔化しながら、ラルカはそっと微笑んだ。
「わたくし、ブラントさまに贈り物をしたいのです。こんなにも良くしていただいて、本当に嬉しく思っていますもの。どうせ贈るならば、彼が心から喜んでくれるものが良いでしょう?」
エルミラに助言を求めた時と同じように、ラルカは己の胸の丈を打ち明ける。そうした方が、より良い助言に繋がると思ったからだ。
きっと具体的なアドバイスが得られるだろう――――そう思っていたのだが。
「まあ、お嬢様! ブラントさまはお嬢様が贈られるものならば、なんでも、心から喜ぶに違いありませんわ!」
「え……と、そうかしら?」
「そうですとも!」
しかし、ここに来てエルミラの予言は完全に当たってしまった。
使用人たちは「なんでも良い」と力説するばかり。有益な情報が一切得られずじまいだった。
ラルカとしては予想外の展開に、少々面食らってしまう。
(何でも良い、が一番困るのよね……)
せめて分野を絞ってくれればと思うのだが、誰も彼も、助言をしてくれる気は一切ないらしい。
その晩、ラルカは自室で悶々としながら、ブラントへの贈り物を考え続けた。
彼のシルバーブロンドに映えそうな色合いのジャケットに、夜空色の瞳に合わせたシルクのスカーフ。大きなサファイアのブローチに、銀細工の美しい懐中時計。愛用の香水を贈るという手もあるかもしれない。
どれも喜んでもらえそうではあるが、コレという決め手に欠けている気がする。
全て贈るという手もあるが、それではあまりにも芸がない。
第一、彼が望んでいるのは本当に『モノ』なのだろうか?
自問自答を繰り返しながら、ラルカは何度も首を捻る。
(わたくしは何より、ブラントさまの気持ちが嬉しかった……)
ラルカを連れ出してくれたことが。
彼女の好みを考え、部屋やドレスを準備してくれたことが。
ラルカの気持ちに寄り添い、温かい言葉をかけてくれたことが。包み込んでくれたことが。
必要なのはお金をかけることではない。
そんなことを考えながら、ラルカはウトウトと眠りにつく。
ブラント邸で迎えた二日目の朝、ラルカは前日と同じように、ブラントと共に朝食の席についた。
「昨夜は何時頃お帰りになったのですか?」
疲れて帰宅したブラントを出迎えようと、ラルカも遅くまで起きていた。しかし、結局彼とは会えずじまい。先に休むよう、使用人たちから促されてしまったのだ。
「そうですね……城を出たのは、日付が変わった半刻ほど後だったかと」
「まあ! そんなに遅くなられたのですか? アミル殿下の側近とは――――近衛騎士というお仕事は、随分激務なのですね……」
同じ王族の側近であっても、その職場環境は大きく異なるらしい。
エルミラは仕事と私生活のバランスを重んじるため、女官や侍女にも長時間労働を求めない人だ。近衛騎士であってもそれは同じ。四六時中側に付いているわけではなく、交代制を採用している。
ブラントにも休養が必要だろうに、アミルが許さないのだろうか?
「もしかして、普段からこんなに残業を?」
「いいえ、昨日はたまたま遅くなっただけです。今夜は夕食もご一緒できると思います。
だけど、今後も僕が遅くなる日があれば、ラルカは気にせず先に休んでくださいね」
「そうですか。それなら良いのですが……」
「……! まさかとは思いますが、僕を待つように言われたのですか? 使用人たちにはラルカを早く休ませるよう強く言いつけておいたのに」
ブラントはそう言って、表情を曇らせる。ラルカはハッと目を見開き、ぶんぶんと大きく首を横に振った。
「いいえ、ブラントさま! 皆様、わたくしが早く休めるように、たくさん気遣ってくださいましたわ!
安眠に効果的だというアロマや、美味しいハーブティーをご用意いただいて、本当に楽しく、心穏やかに過ごせましたもの」
一昨日まで、仕事終わりと言えば、湯浴みや肌の手入れ、むくみを取るためのマッサージを何時間も掛けて施されるのが常だった。体勢の自由が効かず、読書をすることも、眠ることも許されない苦痛な時間。
そんな中、久しぶりに一人きりで自由に過ごせる時間がたっぷり取れて、ラルカは心から嬉しく思っていた。
「それは良かった。ラルカが穏やかに過ごせたようで、ホッとしました」
はにかむようにブラントが笑う。ラルカの心臓が小さく跳ねた。
「あの……ブラントさま。何か、わたくしにしてほしいことはございませんか? わたくし、貴方にお礼をしたいのです」
尋ねつつ、ラルカはずいと身を乗り出す。
結局、エルミラの助言通り、ブラント本人に欲しい物を尋ねることになってしまった。
本当は秘密裏に準備を進め、驚かせたいし喜ばせたい。けれど、最高のプレゼントを、と思うと、どうあがいても時間がかかる。相手を深く知らなければ、本当に欲している物が何なのか、理解できないからだ。
とはいえ、安直な手段に頼ってしまったことが少しばかり情けなくて、ラルカは僅かに頬を赤らめる。
しかし、当のブラントは全く意に介していない様子で、そっと首を傾げた。
「お礼、ですか? けれど、僕は何も……」
「いいえ、ブラントさま! そんなことはございません! 何もだなんて仰らないで。ねぇ……ブラントさまなら、わたくしがどれほど喜んでいるか、あなたに感謝しているか、おわかりになるでしょう?」
これほどまでに心を砕き、ラルカのために様々なものを用意してくれたブラントだ。わからないはずがないとラルカは思う。
「それに、わたくしたちの関係は等価交換に基づくもの。これから先も対等な関係を保っていくために、お礼は必要なことだと思うのです」
このまま貰いっぱなしでは天秤が全く釣り合わない。ラルカの気だって済まない。これから堂々とこの屋敷で暮らしていくためにも、なにか返せるものがほしいと思う。
「いえ……本当に僕は、十分すぎるほど貴女からたくさんのものをいただいているのですが――――ただ」
「なんですの⁉ 何でもおっしゃってくださいませ!」
ラルカは身を乗り出し、瞳をパッと輝かせる。
ブラントは微かに頬を染め、躊躇いがちに視線を彷徨わせる。
「――――今度の休日、僕と街へ出掛けていただけませんか?」
やがて彼は観念したように、ポツリと小声でそう囁いた。あまりにもささやかな願い事に、ラルカは思わず「へ?」と漏らす。
「街に? そんなことで良いのですか?」
もっとずっと大掛かりなことを予定していたのだ。ラルカは完全に拍子抜けしてしまう。
「あの……遠慮をなさっているのではございませんか? もっと色々――――ほら、欲しかったものの一つや二つ、ございますでしょう? わたくし、何でもご用意いたしますわ。だって、ブラントさまに心から喜んでいただきたいんですもの」
「いいえ、ラルカ。僕は遠慮など全くしておりません! 目に見えるモノよりも、僕は貴女との時間がほしい。
ラルカと一緒に出掛けたい――――それが僕にとって、何よりのご褒美です!」
ブラントの表情は真剣だった。熱っぽく見つめられ、手を握られ、ラルカはドギマギしてしまう。
本当にそんなことで良いのだろうか? 半信半疑になりつつも、ラルカはそっと笑みを浮かべる。
「……では、今度の休日、一緒に出掛けましょうか?」
言えばブラントは、本当に嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
何故だろう。
心臓がドキドキとうるさく感じる。
握られた手のひらが、とても熱かった。