15.出勤
馬車に揺られ数分、ラルカ達は勤務先である城へと辿り着く。
まだ早朝だが、騎士や文官らが幾人も行き交う、平和でありきたりな風景。
けれど、車輌から降り立った二人を見て、彼等は目を丸くした。
「嘘だろう? ラルカ嬢がブラントと一緒に出勤⁉」
「婚約の噂は本当だったのか⁉」
「そんな! ソルディレンさまがっ」
王女エルミラの側近であるラルカと、王太子アミルの近衛騎士であるブラント。おまけに、二人揃って超のつく美形。当然ながら、皆の関心は高い。
驚くもの、悲しむもの、嘆くもの、単に噂話を楽しむもの。
大声こそ上げないものの、皆ヒソヒソと囁きあっている。
「あら? 皆様何だか様子が変ですわね。一体どうしたのでしょう?」
普段、噂話に関わることの少ないラルカは、彼等がどうして色めき立っているのか、その理由がわからない。自分が話題の中心になることすら、想像したこともないのである。
「さあ。なにか良いことがあったんじゃないでしょうか?」
ブラントは素知らぬ顔をしながら、首を傾げる。
理由を熟知しながら、実に白々しいことだ。
(仕方ないだろう?)
この二年間、どれほどこの時を待ち望んでいたかわからない。
隣を歩くラルカをエスコートしつつ、ブラントは一人感慨にふける。
「ブラントさま、わたくしここまでで大丈夫ですわ。お忙しいでしょう?」
けれど、そんなブラントの想いはつゆ知らず、ラルカはそう言って無邪気に微笑む。
王女であるエルミラの執務室は城の西側に、王太子であるアミルの執務室は東側に存在する。同じ城の中とは言え、広大な建物だ。移動にはかなりの時間を要する。
単純にブラントを思い遣っての発言だと分かっているが、彼はゆっくりと首を横に振る。
「いえ、僕は一秒でも長くラルカと一緒に居たいので」
このまま送らせてください――――ブラントの言葉に、ラルカはキョトンと目を丸くする。
「まあ! わたくしったらブラントさまにそんなにもご心配をおかけしているのですね。何だか自分が情けないですわ。
お陰様で、相当元気になったのですが、昨日の今日ではやはり説得力が薄いでしょうか?」
(違うんです! そうじゃないんです!)
ガクッと肩を落としそうになりつつ、ブラントは笑顔を取り繕う。
本音を伝えたいものの、相手は恋愛どころか結婚すら希望していないラルカだ。
今、ハッキリと想いを言葉にしては、逃げられてしまいかねない。それだけは避けなければ――――少なくとも、仮初めの婚約者の地位は確保し続けなければならない。
その後、なんとか同行を続けさせてもらい、二人はエルミラの執務室まで辿り着いた。
「送っていただいてありがとうございました、ブラントさま」
ラルカはそう言って、満面の笑みを浮かべる。この笑顔が近くで見られるだけでも役得というものだろう。ブラントはうっとりと目を細める。
「いえいえ。こちらこそ、楽しくて幸福なひと時でした。けれど、残念なことに、今夜は遅くなってしまいそうなんです。夕食は僕を待たず、先にとってください。使用人たちには事前にそのように伝えていますから」
「そうですか……やはりお忙しいのですね。そのような中、わたくしのためにたくさん時間を割いていただいて申し訳――――いえ、ありがとうございます」
うっかりと謝罪をしかけて、ラルカは途中で思い留まる。
二人の間に存在するのは『感謝の気持ち』のみという約束を思い出したのだろう。律儀に約束を守ろうとするその様に、ブラントはくすりと笑みを漏らす。
「いいえ。忙しいわけではなく、アミル殿下のわがままに付き合わされているというだけですから」
「ええ? 本当に?」
冗談を返せば、ラルカはクスクスと笑ってくれた。聡い彼女は、これ以上は詳細を追及せず、納得してくれるだろう。ブラントは密かに胸をなでおろす。
「朝食は是非、一緒にとりましょう」
「はい。楽しみにしてますわ」
ラルカが微笑む。
ブラントの見送る中、彼女はエルミラの執務室へと入っていった。
ふぅ、とブラントが息を吐く。
夢じゃなかろうか――――そんなことを思いつつ、ブラントは己の頬をそっとつねる。ほのかな痛みが走り、彼は破顔した。
(本当に、ラルカと婚約したんだなぁ……)
幸福感に、達成感、安堵といった感情が、勢いよく押し寄せてくる。
――――と、その瞬間、ヒュッと風を切る音が背後から聞こえ、ブラントは腕を振り上げた。
「おい、誰がわがままだ、誰が」
「殿下……盗み聞きをするなんて、趣味が悪いですよ」
振り返ることすらせず、ブラントは苦笑を漏らす。
彼の背後には、尊き身分の主人――――アミルが一人で立っていた。
「盗み聞きをさせたくなるようなことをするお前が悪い。相当目立っていたぞ」
「まあ、そうでしょうね」
ラルカは騎士や文官たちのマドンナだ。羨望の眼差しを一身に受けていたことは、十分自覚している。
「大体、俺は今日、遅くなるような予定を入れてないぞ」
「それは嘘も方便というやつです。ラルカに要らぬ心配をかけたくありませんから。
第一、予定などなくとも、殿下はこうして自由気ままに城内のあちこちへお出ましになっていらっしゃるでしょう? 普段、貴方の行動に振り回されているのは事実ですし、少しぐらい名前を貸していただいてもバチは当たらないと思います」
ブラントはため息を吐きつつ、アミルの方を見遣る。
エルミラによく似た麗しの王太子は、御年十八歳。明朗快活、己の能力と魅力に確固たる自信を持つ御仁だが、茶目っ気もあり、ちょっとやそっとのことで気分を害することはない。
反面、アミルは予定外の行動が多く、供も連れずにしょっちゅうあちこち出歩いてしまう。スケジュール調整や護衛の観点から、側近たちは大いに苦労しているのだ。
こういう場面において、己の名前を貸すぐらいの大らかさは持っていて然るべきだろうとブラントは思う。
「まぁな。三年間も片思いをしていた女性と婚約が叶って、ついつい浮かれてしまう気持ちはよく分かる。わざわざ同じ馬車で出勤して見せびらかしたくなるのも――――」
「ちょっ! 殿下、この場でそういうことを仰るのは……」
二人が居るのはエルミラの執務室のすぐ近く。誰が聞いているのかもわからない。下手すればラルカに聞こえてしまうかもしれないのだ。
「ん? 何か差し障りがあったか? 俺としてはあの時、変に嘘を用いず、こういう方便を用いても良かったと思うのだが――――」
「殿下の仰る通りです! 僕が悪うございました! ひとまずこの場を離れませんか?」
「分かれば良いんだ」
実にカラッとした笑みを浮かべつつ、アミルはブラントの肩をポンと叩く。己の名前を勝手に用いられたというのに、寧ろ上機嫌な様子だ。
(これは……長引きそうだなぁ)
執務室に帰ったら、洗いざらい事情を吐かされる羽目になるのだろう。
ブラントはため息を吐きつつ、アミルのあとへと続いた。