14.朝
カーテンから漏れ入る柔らかな光の中、ラルカは目を覚ました。
天井が高く、視界が広く開けている。天蓋やメルヘンチックなフリルのカーテンがないせいだ。
思わず口の端に笑みを浮かべつつ、ラルカは大きく伸びをする。気持ちが良い。実に清々しい気分だ。
洗面を済ませ、一人鏡台の前に腰掛ける。
白粉に頬紅、口紅を薄く塗ったら化粧はそれで終わり。
髪の毛は上の方だけを緩く束ねて、あとはそのまま。巻いたり結い上げる必要などない。
(あぁ……なんて楽ちんなの!)
ラルカは鏡台の前で一人、感涙を流す。
実家では毎日二時間以上を掛けて、化粧や着替えといった身支度をさせられていたが、今日掛かった時間はほんの二十分程度。侍女のふりをする必要がない分、たっぷりと眠れたし、薄化粧の影響で肌が喜んでいる気がする。
何より、ここにはラルカを縛るものは誰も居ない。
化粧も着替えも自分でしたいと伝えたら、侍女たちは微笑みながら受け入れてくれたし、どこに行くにも、何をするにも監視がついていた実家とは大違いだ。
その上、ブラントは生活に必要なありとあらゆるものを準備してくれた。
ラインナップは化粧品にドレス、髪飾りや宝飾品、雑貨や小物まで細部に渡る。
しかも、そのどれもが、ラルカ好みだから驚きだった。
メイシュがファンシーで明るく、華やかなものを好む反動だろうか。ラルカはシンプルで落ち着いた色合いのもの、大人っぽいものを好む傾向がある。
ブラントが用意してくれた化粧品は、外側――――容器への装飾は最低限に留めてあるものの、発色が良く、よくのびる良質なものばかりだし、ドレスは老舗ブランドの高級品だ。袖を通すだけでピンと背筋が伸びるような――――自立した大人の女性を思わせるデザイン。鏡を見ながら、ラルカは思わず笑みを浮かべる。
(よしっ!)
準備万端、気合も十分にラルカが部屋を出ると、丁度支度を終えたらしいブラントと鉢合わせた。
「おはよう、ラルカ」
「おはようございます、ブラントさま」
騎士装束に身を包み、ブラントは穏やかに微笑む。
美しく整ったその顔は、朝から直視するには眩しすぎる。ラルカは目を細めつつ、深々とお辞儀をした。
「昨日はよく眠れましたか?」
「ええ! あんなに眠れたのは久しぶりです。頭がとてもスッキリしました」
ウキウキと声を弾ませつつ、ラルカが笑う。
頭だけでなく、身体までもが軽くなった気分だ。睡眠、環境の違いというものは、こうも影響が大きいのだとラルカは思い知る。
「それは良かった」
ブラントはそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
「折角なので、下までエスコートさせていただけますか?」
「ええ、喜んで!」
スマートに差し出された腕を、ラルカがとる。
階下では、使用人たちが立ち並び、ラルカとブラントを出迎えてくれた。
二人の到着を合図に、ダイニングルームに朝食が並べられていく。
瑞々しいサラダに、よく熟したフルーツ。パンに、あっさりとした味わいのスープ。少食のラルカに合わせ、どれもブラントよりもほんの少しだけ小さい皿に、美しく盛り付けてある。さり気ない気遣いに、ラルカは心から感激した。
「昨夜の夕食もそうでしたが、本当に美味しいです……!」
メイシュの意向で、朝からバターや肉の脂でコテコテした料理ばかり食べていたため、さっぱりとした朝食が体に優しい。食べきれない罪悪感にかられることもなく、心から朝食を楽しむことができる。
おまけに、ブラントの屋敷で振る舞われる料理は、素材の味を存分に生かしたものが多いのも特徴で、何から何までラルカ好みだった。
「それは良かった。料理長には何か褒美を与えなければいけませんね」
「あら、褒美ですか?」
「ええ。貴女を喜ばせることができたのは彼のおかげですから。勲章ものの働きでしょう?」
二人は顔を見合わせ、クスクスと笑う。
ブラントとの会話は無理がなく、とても楽しかった。
ラルカの話題といえば、殆どが仕事に関すること。
男性は仕事の話を好まないとよく言うが、ブラントは常にニコニコと、ラルカの話を聞いてくれた。ともに王宮勤めをしているためか、肩肘を張る必要が一切ない。相槌が自然なためか、どんどん話が広がっていくのだ。
「――――そうですか。エルミラ殿下がそんなことを」
「ええ! 是非子どもたちと直接交流を持ちたいと仰っていて。それから、チャリティイベントを開いて、子どもたちのための資金に使いたいんですって! わたくし、今から自分に何ができるか、考えていますの」
ラルカは言いながら、エルミラとのやり取りに思いを馳せる。
内容はまだまだ漠然としているが、子どもたちが楽しめて、貴族たち富裕層が自然とお金を落としたくなるものにしたいと二人で話している。実現する日が楽しみだ。
「ラルカは本当に仕事熱心ですね」
ブラントがそう言って目を細める。
けれど、ラルカはほんの少しだけ目を見開き、それから表情を曇らせた。
「……ええ。わたくし、仕事が本当に好きで、楽しくて。
エルミラさまにお仕えできて、心から嬉しく思っているのです。
それなのに、ここ最近のわたくしは、ちっとも仕事に集中できずに居て――――駄目ね。殿下を呆れさせてしまったわ。
もう、何もかも遅いのかも――――わたくしはもう、エルミラさまの信頼を取り戻せないかもしれません」
どんなに後悔したところで、過ぎた時間は戻らない。悔しい――――ラルカは静かに唇を噛んだ。
「大丈夫ですよ。エルミラ殿下は呆れてなど居ません。ただただ、貴女を心配していただけですから」
ブラントの言葉は力強い。
なおも浮かない顔をしたラルカの手を、ブラントはそっと握った。
「ラルカ。貴女がお慕いするエルミラ殿下は、心の狭い方でしょうか?」
「……!」
ラルカがぶんぶんと首を横に振る。
「いいえ、ブラントさま。そんなことはございません! エルミラさまはとても慈悲深く、お優しい方ですわ」
エルミラは、簡単に人を見限ったりしない――――ラルカにはそう断言できる。
人はとかく、自分のことになると、急に視野が狭くなるもの。ブラントの言葉で、ラルカは目が覚めたような心地がした。
「そうでしょう? さあ、殿下に早く元気になった貴女の姿を見せてあげましょう」
「ええ」
ブラントに手を引かれ、ラルカは意気揚々と席を立つ。
仲睦まじい二人の様子を、屋敷の使用人たちが嬉しそうに見守っていた。