切り札にするにはちょっと……
結界の中では相変わらず赤クマが暴れている。
そのたびに頭から生えてるキノコから胞子がバッフバッフと出てるんだよね。
いやもうこれ、胡椒とかをミルでゴリゴリやって出してるみたいな勢いで出てるんだけど。花粉だってここまで短時間でこんな量出ないよって思えるレベルで出てるんだけど。
というか真下にいる赤クマに花粉――じゃなかった、胞子がもりもり降り注いでるし、暴れまわってるせいで結界にもその胞子がくっついている。ついでに暴れて聞いてるだけで身が竦みそうな鳴き声出してるクマの口の端から涎が飛んで結界にもついた。うわぁ……
今現在赤クマは後ろ足で立ち上がってバンバンと結界を前足で叩いている。そのたびにガンガンと激しい音がして、これ鉄の檻とかに入れてたら檻が壊れるんじゃ……とか思える迫力だっただろう。
私はその結界を、じわじわと縮小させていく。
結界の大きさはある程度調整できる。
結界を普通に張る時だって集中的に攻撃されてるならそこだけ部分的に強化したりできるし、結界の規模を広げたり狭くしたりもできる。
そう、これが今回の大きなポイントだった。
今まで私は結界で自分の身を守る時に自分を覆うサイズで即座に展開してたし、そこからサイズ調整なんてする必要に駆られた事がなかったからすこーんとその事を忘れてたけど、やろうと思えばできる。
外から攻撃を仕掛けてくる相手ともうちょっと物理的に距離取りたいなぁ、なんて場合は結界を少し大きくすればいい。いやまぁ私の場合そうする前に結界の外にいる相手を更に別の結界で殴るんだけども。
けど今回の相手はあまりそういう攻撃をするわけにもいかない。胞子がそこかしこに飛んだらどんな事になるのかさっきマトハルさんから聞いたこの魔物の話からはまだよくわからないからだ。
そもそもこのキノコ、このクマだけに生えるの? それとも他の魔物にも寄生したりするの?
っていうか、人間が吸い込んだらほぼ酩酊状態とかって言われるようだけど、それ以外でもし頭からキノコが生えたりしたら?
頭から生えてる時点でどう考えても脳みそから栄養吸い取られてる感凄いんだけど。
仮にあのキノコ引っこ抜いたとして、その後無事でいられるものなの?
詳しくはギルド長に聞けって言われたし、マトハルさんもそこまで詳しいわけじゃないからそこを突っ込むわけにもいかないけど、ともあれあの結界の中に別の結界出してそれで殴るとかいうわけにもいかない。大体クマの体力ってどんだけあるとお思いで? 撲殺するのにどんだけかかるの? 人間相手と違って手加減も何もする必要はないだろうけど、それでも撲殺は時間がかかりすぎる。
だからこそ私は、今赤クマを閉じ込めている結界を少しずつ小さくしていった。
急に小さくしようとするとうっかり制御ミスって結界そのものが消失するかもしれないので、じわじわゆっくりと。
暴れていた赤クマはそのことに気付いたのだろう。
振り回していた腕が徐々に動かせる範囲がなくなって、恐ろしい唸り声こそ上げはするけどやがて後ろ足で立っていられなくなると困ったように四つ足体勢になった。
前足を振り回そうにもそもそもそのスペースがなくなってしまえば振り抜くものも振り抜けない。
そして四つ足状態になっても結界はじわじわと縮まり続ける。
ぐぉぉ、ぐぉぉん、と鳴き声にどこか困惑めいたものが混じり始めてきたが、それでも結界は止まらない。体当たりでどうにか抜け出せないものかと思ったらしいクマであったが、体当たりするにしてもまずちょっと勢いが足りない。そもそも体当たりしようにも、もうそんなスペースもないのだ。身動きできない状態から最大威力の攻撃を出せ、というのはちょっと無理があるだろう。
結界は目に見えないけれど、それでもマトハルさんは何が起きているのかを把握したようだった。
「えげつないな……」
とか呟いてるのが聞こえた。
えげつないとか言ってる場合だろうか。
正直あとはもう自力でウルガモットに徒歩で帰るだけの体力くらいしか残ってなさそうなマトハルさんと、結界と治癒魔法しか使えない私とでどうにかするしかないのであれば、えげつなかろうと卑怯な手段だろうと選んでられる余裕なんてあるはずがないのだ。
ぐおおーん、と何とも哀愁漂う鳴き声が響く。
あー、とっても良心が痛むなー。動物虐待してるみたいですっごく自分が悪党になった気分だなー!
でもここで手を緩めたら死ぬの私とマトハルさんだもんなー! っていうか弱い者いじめとかならともかく、普通に考えて強者は向こうだ。単純な体力と腕力だけを見れば明らかに向こうのが強い。
普通のクマでもそうなのに更にあれは魔物のクマ。こっちも生きるのに必死なんだよぉ!
結界が縮んでいくたびに強制的に圧迫されていくクマは、一体どうしてこんな事に!? とばかりに哀愁漂う鳴き声を上げる。哀愁っていうかもう後半ほとんど断末魔。
でももう確実に安全圏から仕留める方法これくらいしかないんだよね……!!
そのうちバキボキと鈍い音が聞こえてきた。何の音なんて思うわけもない。紛れもなく骨が折れていく音だ。
そうこうしていくうちにクマの鳴き声が聞こえなくなる。内臓が圧迫されていって、もう声を出す余裕すらなくなったっぽい。
というか息できてるかどうかも危うい。
けれども更にそのまま圧迫させていって――
赤クマは口から血の塊を吐き出したかと思えばすっかり動かなくなってしまった。
「あー、ちょっと失敗しましたね」
私がそう言ったのは、決して仕留め損ねたからとかではない。
圧迫させていって、内臓が潰れたりした。そこまではいい。で、そのまま口から血が出た。これもまだいい。
問題は――
後ろの穴からも中身が出てきたって事だよ。
血の匂いだけじゃない、いやーな悪臭が漂い始める。
ちょっとここで休憩、なんてとてもじゃないけどできるはずもない。
私とマトハルさんは大急ぎでこの場から立ち去ったのだった。
っていうか、マジでひっどい匂いだったわ。
ある程度時間経過してたらそういう悪臭もないんだろうけど、何せ今出たばっかだからね……
どうにかなったとはいえ、この方法はあまり頻繁に使いたいとは思えないな……精々死ぬ一歩手前とか、完全に圧迫させる寸前まではいいけど、最後までやりきっちゃうのは良くない。そう学んだ。
……冷静に考えるととてもイヤな学びである。
幸いにして逃げる先――ウルガモットへ向かう方向は風上だったのもあって、進めば進む分だけ悪臭から遠ざかる事ができた。これで風下だったら風の強さ次第でいつまでもあの悪臭が纏わりついてたという事を考えるとこれに関してはマジで助かった。
少しの風くらいは魔法で起こせるけど、周囲の空気完全クリーン! ってなるかは微妙だもんなぁ。
私の攻撃魔法がしょぼすぎるというか全くこれっぽっちも使えないっていうのがこんなところにまで……
いや普通に攻撃魔法使えてたら風の魔法で切り刻むとか仕出かして、うっかり胞子を周囲に散らせてた可能性もあるから使えなくて良かったのかもしれないけど。
折角採取した薬草だけは落とさないようにカゴをしっかり抱えながら私は走る。
マトハルさんもまだ体力は全然回復してないとはいえ、それでも軽々と私の前を走っていた。
あのクマのせいでもしかしたら他の魔物はこっちによってこないかもしれないけど、万が一というのもある。
だからこそマトハルさんは先導してくれている。
そうしてほぼ匂いもしなくなったな、と思ったあたりで、走る速度を緩めた。
私はほとんど動いてなかったとはいえ、それでもこうやって走ったりしたせいでそれなりに疲れたし、マトハルさんに至っては言うに及ばず。
とんでもない二連戦だったな……と思う。
これゲームだったら絶対勝てないやつじゃん。仮に勝てる前提だったとしてもレベル上げしっかりした上で尚且つ回復アイテムとか攻撃アイテムとか事前準備必須なやつじゃん。
一歩間違ったらちょっと前のセーブデータからやり直しって可能性もあるやつじゃん。セーブデータ一つだけなら間違いなく最初からやり直してるとかいうとんでも面倒なやつ。
もー今日は帰ったらさっさとお風呂入って寝よ……明日は何か筋肉痛になってそうな気がする。
いつもはサクッと敵を倒すマトハルさんが接戦というか中々にジリ貧な戦い方してたせいもあって、見てるこっちも緊張してたから筋肉が無駄に強張ってる感じがする。
お互い生きてるのでその程度の事気にすんな、って思う部分もあるけど、もうホントさっさとウルガモットに帰りたい。
頭の中は家帰って風呂入って寝る、っていうので埋め尽くされてたからか、少し前を行くマトハルさんが立ち止まった事に気付くのも少し遅れてしまった。
「……マトハルさん? まさかまた魔物とかですか……?」
正直勘弁してほしい。けれど武器を構えたりはしていないので、私はマトハルさんの後ろからそっと前方を覗き込んだ。
人だ。
誰かがこっちに向かってきている。
数は一人。
ギルダーが何かの依頼を受けてこっちに来た、と考えるべきだろうか。正直まだはっきりと見える範囲にいないから、本当にアレがギルダーかどうかもわからない。
単なる旅人の可能性もあるし、極論自殺志願者の可能性だって捨てきれない。
もしギルダーだったら、この先にはいかない方がいいと伝えるべきだ。
向こうには通常個体と赤化個体のキノコグマ――マッシュルームベアだったっけ? の死体がある。
マトハルさん曰くあれが死ねばその死体を食べに他の魔物が群がるらしいし、そんな場面にかち合ったりしようものなら、いくら腕利きのギルダーであっても一人では大変だろう。
マトハルさんはあまりギルドの人たちと談笑したりする感じじゃないけど、それでも顔見知りが死ぬかもしれない状況を放置する程の薄情者でもない。
だからもしギルダーであったなら……いや、ギルダーじゃなくても一応忠告はすると思うんだけどさ。
「……まさか、あいつは……」
そうこうしているうちに向こうは徐々にこっちに近づいてきているわけで。
私はまだハッキリ見えてるわけじゃないんだけど、マトハルさんは判別できてるらしい。視力いいな。私も前世に比べれば良い方だけどでも多分人並みなんだよね。
マトハルさんの横に並んで見上げてみれば、信じられないものを見るような目をしていた。
そこから視線を前に移動させる。少しずつ、少しずつではあるが私にもその姿がわかるようになってくる。
「ん? お前マトハルか……?」
私がハッキリと認識するよりも先に、向こうがこっちを認識したらしく声がかけられる。どうやら知り合いのようだ。
「やはり……ゲヘノムか……」
「おいおい相変わらず他人行儀だねぇ。いいんだぜ? お兄さんって呼んでも」
「誰が呼ぶか」
そんな会話を交わしながらも向こうは足を止めない。
そうして近づいて、私にも視覚できる程度になって。
「…………あれ?」
思わず声を出していた。
この人、見覚えがあるぞー?




