お互いの相違
一体何が起きた? 目の前の事実を認識しきれずにマトハルは状況を理解するべく必死に頭を巡らせる。
黒狼たちもそれは同じだったのだろう。姿を見せている個体は上体を低くし警戒態勢に入りながらも威嚇の声は忘れない。
下手に動けば死角になっただろう場所から黒狼が襲い掛かって来る。それがわかっているせいで、マトハルは動くに動けなくなってしまった。勿論隙を見せれば黒狼はこちらが動かずとも襲い掛かってくるだろう。だからこそ隙は見せられない。ただ、睨み合いだけが続く――かに思われたのだが。
「キャイン!?」
「ギャウン!?」
「ギャワン!?」
「キュウン!?」
端から順に黒狼が吹っ飛んでいく。
何が起きたのか、黒狼さえも理解できていないのだろう。何があったのか、とばかりにまだ吹っ飛ばされていない黒狼がぱかっと口を開けて吹っ飛ばされた仲間を見ている。そうこうしているうちに他の黒狼も吹っ飛ばされていって、ぱかっと口を開けていた黒狼もその数秒後には吹っ飛んでいった。
何が起きたかわからないが、こんな事で屈するような俺たちじゃないぜ! とばかりにこちらに再び襲う姿勢を見せるようなものであればどうなっていたかはわからない。
けれども黒狼たちは何が起きたかわからないが、この場に留まるのは危険だと判断したらしい。キャウンキャウンと案外可愛らしい声を上げつつも起き上がるなりたっと駆けだして――行ってしまった。
「なん、だったんだ……?」
既に背を向けて完全敗走の流れではあるが、他に潜んでいるかもしれない魔物が次に襲い掛かってこないとも限らない。マトハルはしばらく武器を構えたままでいたが、完全に黒狼の姿が見えなくなった後、周辺の気配を探ってみてそこでようやく周囲に何もいないと判断できたので武器をおろす。
「危なかったですね」
そんな中、特に危機感とかそういったものが含まれていない声でエルテが言う。
「……お前が、何かしたのか?」
魔法であれば。
魔法であればあいつらを蹴散らす事も可能だとは思う。
けれど確か、こいつはそういった攻撃系の魔法は使えないのだと言っていなかっただろうか。
「何か、というかボクは回復魔法とあとは結界とかそういうのしか使えないので。
だから、ただ、結界で殴り飛ばしただけです」
「は?」
今、自分は何を言われたのだろうか、とマトハルの脳は理解を拒んでいた。
「悪いがもう一回言ってもらえるか?」
「結界で殴り飛ばしました」
「……あぁ、うん。……は?」
意味が分からないなと思ってもう一度聞き返した結果、やはり聞き間違いなどではなかったらしい。
そしてやはりマトハルの最終的な反応は一度目と変わらなかった。
むしろ「は?」以外の何を言えというのだ。
マトハルは魔法を使えない。魔力がないわけではないが魔法を使える程に魔力を持っているわけではない。けれども、それでも魔法に関する知識はそれなりに持っていた。
結界に関してもそこそこ知識を有しているのでどういうものであるか、というのもわかる。
本来は術者の周辺に張り巡らせて身を護る術、だったはずだ。
もしくは、術者が任意の場所に張って他の対象者を護るためのもの。
結界強度は術者の力量にもよるが、術者が弱くとも一度や二度くらいは攻撃を防いだりするくらいはできたはずだ。
圧倒的に力の差がある場合は一撃で破壊される事もあるらしいが、そういった事例は過去そこまであったわけでもない。恐らく片手で数える程度だ。
術者の力量次第では、魔力の続く限り継続される事もある。とはいえそう長続きするものでもなかったはずだ。数時間程結界が維持できれば充分だとも言われているが、世間で知られている事例からすると精々数十分もてばいい方、といったところか。
だが確実に言えるのは、結界というのは基本的に対象者を囲むように、或いは覆うように発動するものだという事だ。
間違っても結界でぶん殴るみたいな使い方をするには形状的に向いていないというのは言うまでもない。
そういった最低限の知識があるからこそなのか、マトハルにはエルテが何を言っているのかさえ理解できなかった。いや、したくなかったのかもしれない。
「とにかく、あまり長居していると危険だってのはわかりましたし……帰りましょうか」
そしてマトハルが理解する間など待つつもりもないのだろう。エルテは言うなりそそくさと来た道を引き返そうとする。
確かにいつまでもここにいたってどうしようもない。あいつらが更なる仲間を引き連れて戻ってくる可能性は低くとも、別の魔物がやってこないとも限らないのだから。
依頼を失敗しただとか、そういう事ではないけれど。
何故だろうか、マトハルは何だかとても釈然としないものを感じていた。
――最近魔物が増えてきて物騒だからねぇ、外に行く時は気を付けるんだよ。
そんな事をご近所さんが言っていたのは記憶に新しい。
だからこそ、極力外に出るつもりはなかったのだ。だって危ないし。
けれどもギルドに行ってみれば、薬草調達の依頼があって、しかもその薬草は私も必要だったからじゃあついでに自分の分もゲットするしか! ってなるよね。
流石に一人だと危ないからってんで護衛として付き添いを付けてくれたギルド長の優しさは有難いけど、その相手がマトハルさんという時点で手放しで喜べない。
いや、だってこの人、私の知る限り元は敵だった人だし……いつ唐突に裏切りフラグが立って敵になるかわからないじゃん……最初から敵だったとかならさ、まだいいよ?
でも今の時点最初味方の立ち位置ってなってると、どっかで裏切りフラグあるんじゃ? ってなるのも仕方なくなくない??
必要最低限の会話くらいは可能だろうけれど、正直この人と二人で世間話で盛り上がれる気がまるでしない。雰囲気からしてもう世界のすべてを拒んでるとか言われても納得できるくらいに何かもう、すべてを拒絶してる感すらある気するもん!
ひぃ、沈黙が……沈黙がキツイよぅ。私そこまで面白い話振ったりできないけど、それにしたってこの沈黙は厳しいわ。何も言わなくてもお互い無言の時間が続いても気まずくないっていう間柄は前世の友人とかなら多数いたけど、少なくともマトハルさんはそのカテゴリに入ってないもん。
どうにか足を動かして目当ての薬草があるあたりに来て、早速薬草見つけたからせっせと採取する事でマトハルさんと話す必要性もなくしたけど、帰りどうしよ……ひぃん、帰りたくない……いやだめだ、帰らないとずっとここでマトハルさんと二人きりだわ……マトハルさんだけ先に帰ってくれないかな……あっ、一応私の護衛扱いか。そうか、駄目か。
じゃあさっさと採取してさっさと帰るべきか……いやでも帰りの沈黙耐え切れねぇ~~~~!
せめてもうちょっと心の準備欲しい。
そう思ってたら何と天の助けとばかりに他に私が必要としていた薬草を発見したじゃありませんか! これは採取するしか!!
で、ウハウハで薬草採取してたんだけど、どうやら魔物が出たらしくマトハルさんに動くなって言われたんだけどさ。
直後に何か思ってたのと違う魔物だったらしく、マトハルさんの驚く声がしたよね。えっ、もしかして何かヤバい魔物!? って思ったけど、なんだただの狼じゃないですか。確かにあいつら連携とって襲ってくるし素早いしで苦戦しそうだけど、そんな焦る程のものでは――なんて思ってたら、私に隙を見つけてとにかく逃げろときた。
あれ……? もしかして、今のマトハルさん、私が知るレベルのマトハルさん程強くない……?
そういや私の知るマトハルさんの持ってた武器と今の武器違うな……?
いや、そもそも味方の立ち位置にいる時点で何かもう色々と違うんだけどもさ。
え、もしかしてここで最悪マトハルさんが死ぬフラグもあるの?
……いやまて、場合によってはここで死にかけた上で闇堕ちルートとかそういうのもあるのかもしれない。普通そういうのって仲間に裏切られて置き去りにされたとかいうパターンだろうけど、私という雑魚を守った結果自分の命が危ないとかでも有り得ないとは言い切れない。
え、やだやだ私のせいでマトハルさんが闇堕ちした挙句ギルドも自警団も騎士団もみんなクソ、みたいな発想になってそこから近隣の盗賊とか纏め上げてゲームで知るマトハルさんになられたらとても困る。
そんな事になったらあとがとても面倒な事にしかならないから、そのフラグはここで叩き潰さなければ!
というわけで、普段魔物が出た時によくやる対処法、結界で殴るを実行する。
結界って基本自分を守るのに使うわけだけど、自分以外にも使えないわけじゃない。その結界を、敵側に発動させてしまうのも可能っちゃ可能。
そして結界っていうのは攻撃された時点で「あ、結界あるな」ってわかる感じのやつだ。基本攻撃するまではその存在に気付かれなかったりする。なので不意打ちで結界殴りが可能というわけだよ!
ちょっと勢いよく結界を発動させて勢いに任せればなんと結界がぶち当たってしまって攻撃も可能に!
しかも目視できるものでもないから、不意打ち可能。そして大体目に見えない攻撃をされれば相手はとても警戒する。無防備に食らってダメージも受けるし、警戒するし、そういうのなくてもこっちに無防備に突っ込んできたらそれはそれでまた結界で殴れば済む話。
そうやって一方的にボコボコにした結果、狼たちは尻尾巻いて逃げていった。
よし! マトハルさんの闇堕ちルートは回避できたんじゃないかな!?
何が起きたかわかってないマトハルさんにお前何した、って聞かれたので素直に結界で殴ったと答えたら、何かとても解せぬみたいな反応をされた。いや、そんな理解不能な事した? 大雑把な説明したらぶん殴って追い払いました、で済む話でしょ?
ともあれ目当ての薬草はゲットしたし、これ以上ここにいてもまた魔物が仲間引き連れてやってこないとも限らないしで、とにかく帰る事を優先したい。
幸いにも今のマトハルさんは何でか宇宙を背景にしているかのようなきょとん顔をしているので、沈黙していても特に苦でもない。よし、帰るなら今だ!
――と、このように。
同じ状況にありながら、両者の考える事はまるで異なっていた。
エルテは敵であった時のマトハルしか知らない。だからこそ、下手に沈黙を続けていると空気が重苦しく感じられていたし、マトハルに至っては結界ってそんな使い方できたっけ……? と困惑の極みである。
とりあえず例えこの場でマトハルが重傷を負うような状況に陥ったとしても別に闇堕ちする事はなかったのだが、エルテの中では敵だったという事実がしっかり根付いているせいで、マトハルの事は些細な事で闇堕ちするかもしれない奴扱いだ。
フレッドやカイルあたりがいてくれたら、いやそんな箸が転がるだけで楽しいみたいな年頃じゃないんだから……などと突っ込んでくれたかもしれないが、生憎この場にそういったツッコミをしてくれる者はいない。
だからこそエルテの中のマトハル像は変化する事なくそのままであったし、マトハルもまさか内心でとんでもなく失礼な事を思われているなどとは気付かない。
まず間違いなくこの場において可哀そうなのは、マトハルだけであった。




