壱話 転生した先はちょんまげでした
ストックがもう少し欲しかったけど溜まらないからしょうがない(;'∀')
※年齢の描写が無かったので追加しました。
※色々問題が発生しましたので時間軸を動かしました。天和>貞享 将軍 綱吉>家綱
いきなり六歳児の中で目が覚めた。 赤ちゃんモードスタートでなくて良かったよ、恥辱遊戯は苦手なんだよな。
どうやら判ったのはこの時代は江戸時代であった、元和偃武 万歳! この時代なら疫病や飢饉など以外で命の危険は少なくなった。
因みに俺は武士の家に生まれたようだ、外様大名の領地の百姓でなくて良かったよ。普通に六公四民酷い所だと七公三民というのもあるらしい。 けどな、大名みたいな家じゃないのは分かってる非常に質素だからね、うん。
どこかの大名の家来なんだろうけど一帯どこの家中なのかね?
Δ
八歳になった。
どこの家に仕えているのか判ったよ、なんと幕府に仕える旗本だった。
旗本って言うのは徳川幕府に仕える侍で将軍様に会うことが出来る御目見の家格を持つ者で1万石以下の石高の者の総称であるとのこと。
教えてくれたのはこの世界での俺の親父である…父上と呼ばねばならんのだが何か凄く抵抗があったよ最初はね。
あと教えられたのは我が家のルーツだ。
名乗りを忘れていたが我が家は榊原という、そう榊原といえば徳川四天王の一角榊原康政の家かと色めき立ったけど父上から教えられた事はとんでもない事だった。元々はうちの先祖は榊原康政が家康に仕えた頃に仕官した口で縁戚関係にあった訳ではなかったとの事、向こうは出世してやがて四天王の一角になったが我が家はぱっとせず底辺旗本になったとの事だった、その後諸家家系図が作られる事になり先祖の怪しかった我が家は困り果ててなんと康政に一族に入れてくれと頼んだそうだ、そこで超傍流の某という人物が分家して我が家の祖になったとしてもらい現在に至っているということだ。
「源三、それは先代までだぞ」
父上に言われて頷く、そう父上の父上、俺にとっては祖父の時跡継ぎの男子に恵まれなかったため親父が婿養子に来たわけだ。
そして父上の生まれた家が旗本榊原家、うちとは違ってちゃんとした康政の分家である。 ただし父上は部屋住みの五男だったそうだ、それを見るといかに向こうが此方をどうでもいいと見ているか判るよね。 そんなこんなで家系図上で親戚だったのがやっと本当の親戚になったというわけだ、結果良ければそれでよしという事さと父上は笑っていたけどね。
そして月日はそこそこ流れていきその間に色んな事があった。火事はまあ江戸の華らしいけど家を焼かれたし母親が亡くなるとかもあった。
十五の年で元服してもう二年、家督は継いでいないから将軍(公方)様への御目通りは未だである。
と言う事で俺の名前は榊原源三久之、最底辺の旗本榊原家の嫡男だ。
その我が榊原家は禄高150俵で知行地無しの蔵米取である。旗本としては最低クラスというわけだ、御目見えの出来ない御家人の最高クラスより下である。
当然役も無い小普請組に属している、父上は部屋住みの五男だったからそれでも文句は無い様だ、最も出世の糸口も無いから致し方ないよね。榊原本家も其処までは世話してはくれないらしい。
そういうわけで我が家の立ち位置を確認したわけだが、今は江戸時代の何時ぐらいなのかな?
「公方様? 今は家綱様だ」
え? もしかして犬公方様の前の将軍様なのか?実は次代の犬公方様のイメージが強すぎて全然知らない人なんだよな、確か子供が居ないから甲府の犬公方様にお鉢が回ってきたんだっけ?
とりあえず生類憐みのは直ぐには起きなさそうなので窮屈な思いはしなくてよさそうだ。
かくして旗本の家に転生した俺の退屈な? 日々が始まった。
■
我が家の生活は質素である、底辺の旗本なんだから当然だが、何でも徳川に仕えた初代が「我が家は清貧を家訓とする」と言ったそうなのだ、なんか負け惜しみが強いけどあんまり継ぎ当てだらけの着物を着ていたので、本多忠純が咎めたのだが神君家康様が『倹約の志見事!』と逆に褒められたとの事、きっとケチ同士シンパシーを感じたのだろうか、褒められた上に家康公から着古しを賜ったとかで其れが家宝になってたりする、初代がさらに着古したのでぼろぼろだけどね。
食事は一汁一菜、朝晩二食で非常に健康的だ、これなら間違ってもメタボにはならんな、でも同じくらい貧しいはずの他家に太った奴がいるのが信じられん、水でも飲んで太ったのか?
質素ではあるが栄養バランスはいいみたいだ、ご飯も白米ではなく七分搗きという米に麦を混ぜた物を食っているので脚気にはならないな、あれは白米ばかり食べているからなる物だしね。
動物性たんぱく質は主に魚である、肉が食いたいと言ったら猪か鹿か鳥しか無いと言われた。牛肉という選択肢は無い様だ、最もあのジューシィな牛肉なんて手に入ら無いけど。
当然魚屋で買うなんて贅沢が許される訳がないので専ら釣りや網で魚を採るわけである。
因みにまだ生類憐れみの令は出ていないので咎められる事は無い、今日は投網でもするかね。麻で出来た網を担いで俺は川に向かう。何時行っても魚影の濃い川に着いて一網打つと結構な収穫となった。
「よしよし、大漁だな」
この時代は上流に人がたくさんいないので生活排水も少ないし、河川整備されてないから魚影が濃い。
川魚だから刺身とはいかないが、おかずが豪華になるのは良いよね。
「さて、帰って焼いた魚をおかずに晩飯にしますかね」
まるでTVのバラエティ番組でやってた1ヶ月○円生活みたいだなと思いつつ(この時代だったら○文生活だな)家路に急ぐのであった。
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「おおい、帰ったぞ、今日は大漁だぞ」
「おお若、何時もながら御見事な腕でございますな」
帰宅した俺は表からではなく裏から屋敷地に入りそのまま勝手口の方から屋敷に入る。入って直ぐが台所になっており其処には我が家唯一の家人である彦爺が女中の睦さんと夕餉の支度をしていた。因みに二人は夫婦ではないよ、二人は親子程の年の差がある、彦爺は名を彦三と言い屋敷地の中にある厩兼住居に家族で暮らしている(馬は居ないので元厩というのが正しい)睦さんは屋敷の使用人部屋に暮らす三十路の寡婦(未亡人)である。俺の見立てでは親父と出来ている様である。
俺の母親は三年前に亡くなっているし、雇ったのは一年前程だから問題は無いはずだ。実家は八王子の富農の出で代々苗字帯刀を許されていると言うから八王子同心の家なのかもしれない。だったら後添えで良かったのでは?と思ったが彦爺に聞いたところ彼女は十五の時に嫁いで娘を授かったが夫と死別し母娘供に実家に帰されたのだそうだ。それ故に実家に居辛く口を利く人が居て家に奉公に上がったのだそうだ。旨くいけば主人の手が付いてって……思い切り付いてるから狙い通りらしい、此の侭いけば後添えに上がることに成るんだろうな。娘はそうなると此方に来るのかな?俺に妹か、可愛ければ良いんだが。
おかずに焼いたもの以外の魚は佃煮でもするかな、醤油と塩で煮詰めて作る。砂糖があれば甘辛く出来るのだけどまだ輸入品で馬鹿みたいに高いのでとても口に出来ない。と言うわけでとても塩辛い佃煮の出来上がりである。因みに本当の佃煮はもっと後の時代に作られたはずなので正確には佃煮もどきと言うわけだ。
「しかし、若はこのようなものどの様にして考えられるので?」
「これは塩が効いているので長持ちするだろう、どうやら三河にいたうちの御先祖様が戦のときの保存食として考えていたみたいだ、古い書付に書いてあったんだ」
「ああ、蔵にある古い書物ですか、なるほど」
もちろんそんな物は在りはしない。彦爺が古い書物を読むのが苦手だからつける嘘である。
「流石若様ですね、頼もしいです!」
睦さんは無邪気に喜んでくれる、こう見ると若いときには凄く可愛いかったんじゃなかろうか、親父め、地獄に落ちろ!
内心で親父に悪態を付きながら保存食作りに精を出すのであった。
現在感想返し等は出来かねますのでご容赦ください。
この作品に登場する人物は全て創作によるものですので、現実の歴史、史実について関係はございません。