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「うまくいっているみたいだな」
今日も、手土産を片手にセドニーが屋敷へとやってくる。頻度としては以前と変わらず。むしろ少し上がっているかもしれない。
その原因が週に一度の来客なのだと考えるとラピスの心は沈む。
今も、いの一番に口にしたのはミコトの話題だ。
「ミコトにずいぶん感謝されたよ。おかげでここでの生活もうまくいきそうだって。あいつ、喜怒哀楽が激しいというか、見ていて楽しいよな」
彼らは順調に仲を深めているらしい。セドニーの砕けた口調からそれを察し、苦々しく思う。そして、そう感じてしまう自分を恥じた。この国の未来のためにはそうあるべきなのだ。
悲しい、苦しい、いやだ、やめてほしい。どれも全て、いらない感情だ。
セドニーが笑顔を引っ込めラピスの顔をじっと見つめる。
「調子が悪いのか? 大丈夫か?」
「・・・大丈夫です」
ラピスは幼少時から感情を表に出さず常に笑顔でいるように指導されている。その笑みは完璧で、両親相手ですら隠し通せる自信がある。例外は、コーラル達身近な使用人達。そして、目の前のセドニーだけだ。
第一王子の婚約者という立場から、愚かにも嫉妬の対象にされたり露骨な媚びを受けたりは日常茶飯事だった。それら全てうまくいなしていたが、ストレスは溜まる。傷つくこともある。隠し通しているつもりでも、何故かセドニーはいつも見抜いてしまう。
その気遣いが、優しさが好きだったが、今はただ、辛い。
「もしも俺に言いづらいのだったらコーラルにでもこぼせばいい。一人で抱え込むなよ」
「ありがとうございます。ところで、ミコト様の世界の技術は取り入れられそうですか?」
「んー、なんとかできそうだが、一般化は難しいものが多いな。ミコト自身しくみに詳しいわけでもないからな。ただ、料理に関しては別だ。料理長がうなってたぞ。自分はまだまだだって毎日遅くまで研究しているらしい」
特別な素材を使っているわけでもないのにミコトの料理はどれも美味だ。毎回一人では消費しきれない量を作るため屋敷の使用人達に分け与えているがどれも好評でこんなにおいしいものは食べたことがないとみな口々にいう。ミコトがいうにはダシというものがないのが原因だというがよく分からない。とにかく手間がかかっているらしい。勤勉な城の料理長はさっそく彼女の調理法を見習い、活用している。結果、城での料理もミコトの好みに近くなってきているようだ。
それならばこの屋敷にくる必要はないのではないかといってみたが、ミコトとしては料理が息抜きになっているらしく、ぜひ継続させてほしいと懇願されてしまった。一生このままというわけにもいかないため引き際を見極めているところだ。
サクリ、と本日の手土産であるクッキーを口にしながらラピスは思案する。
自ら尋ねておきながら、ラピスは異世界の技術が再現できるかどうかにあまり興味がなかった。国の発展は喜ばしいが、彼女自身は他国に嫁ぐであろう身であるためその恩恵を受ける可能性は低い。あくまで話題を逸らすのが目的だった。
唐突な話題の変換に違和感があっただろうが、長いつきあいからかセドニーは特に指摘することなく話を合わせてくれる。この気兼ねしないなにげない会話が心地よい。
「どれも簡単に手に入る食材ばかりなのが幸いでしたね」
「ああ。ここは国土が豊かだからな。作物の種類は豊富だし、地方に行けば魚介類も多くとれる。だが、反面素材がいいから工夫せずともうまい料理ができてしまって凝った調理法が生まれなかったんじゃないかってミコトがいっていたな。確かに一理ある」
「ミコト様の調理法が広まれば国の名物が増えますね」
「ああ。加工品として他国へ輸出できれば国益も上がる。豊かな国土を有効活用できるな」
「異世界の料理ですし、人気が出るでしょうね」
「それにしても、そんなにうまいというなら食べてみたいな。ちょうど明日はミコトがここに来る日だし、俺も食べに来ようかな」
「それは・・・」
「あ、ダメだ。明日は会食があるんだった」
ラピスはセドニーに予定が入っていたことに安堵した。
まだ、身近で仲睦まじい二人を見るのは耐えられない。セドニーの口からミコトの名が出るだけでこんなにも胸が痛いのだから。まだ、時間が必要だ。
幸いセドニーはミコトのいる時間帯に屋敷にやってこない。セドニーとミコトの家庭教師は同一人物であるため、ミコトのいない間に教育を受けているのかもしれない。
「はあ、面倒だな。堅苦しい食事や会話よりもここに来た方がよほど有意義なのに」
「機会はいくらでもありますよ」
心の中では、そんな機会などなければいいと思っている。二人の逢瀬に自らの住まいが利用されるなど考えたくもない。
ただ、実際のところ、セドニーとミコトがこの場で顔を合わせることはないだろう。
セドニーは多忙だ。
第一王子としての公務で予定が詰まっており、その合間合間に鍛錬をしていることをラピスは知っている。それでありながら時間を見つけては城を抜け出し城下を散策、さらに気紛れにこのセレナイト邸まで足を運んでくるのだから、体力の有り余っている男だ。実は影武者がいるのではないかと考えてしまう。
本人は息抜きがないとやっていられないと言っているが、動いていないと気が済まない質なのだろう。
「まあ、直接城で作ってもらえばいいか。今ならあの料理長もミコトの調理している様子を見たいだろうし、厨房にミコトが入っても嫌がらないだろう」
「・・・っ」
ガツン、と、鈍器で頭を叩かれたような衝撃だった。
知っていたはずなのに、分かっていなかった。
セドニーとミコトは今、同じ建物の中で生活している。
何が逢瀬の場所にだ。わざわざこの屋敷を利用せずとも二人は容易に顔を合わせることができる。
セドニーが会いに来るのを待っていなければいけないラピスとは立場が違う。
『ミコト』『セドニー』
気安く呼ばれる名前。
交わされる雑談。
周囲の期待。
以前は自分のものだったはずなのに、少しずつ、けれど確かにラピスの手のひらからこぼれ落ちていく。そして、相手の方がはるかに上等なものを持っている。
なんて惨めなのだろう。
セドニーはラピスの婚約者。
形だけの、婚約者。
いっそのこと今すぐにでも婚約を破棄してほしい。生殺しもいいところだ。じわりじわりと居場所がなくなっていく。
目の前にいる男性は、ずっと側にいた、誰よりも好きな大切な人。
彼も、同じ思いだったらよかったのに。
ラピスの想いは、セドニーにも、誰にも届かない。