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国の要人達の協議の結果、ミコトは週に一度セレナイト公爵邸で休暇という名目で自由に過ごすこととなった。本日がその初日である。
この日を心の支えにしていたのか、ミコトはこれまで部屋に閉じこもっていたのが嘘のように城の中を見学し、自ら教えを請い、新たな生活に慣れようと一歩を踏み始めたという。
公爵邸とは名ばかりで、本邸でありながらこの屋敷の家人は普段ラピスのみである。事前に本来の主であるラピスの父親に手紙を出しミコトに関する許可を求めたが、返事は簡素なもので、自由にするようにといった旨が短く書かれたのみだった。それでも父本人の筆跡なだけ関心を向けてくれたようだとしげしげと手紙を眺め、ラピスは大切にそれを文箱にしまう。中身の軽さについ自嘲の笑みが浮かぶ。ジャスパーが怪訝な顔をしてそれを見ていた。
現在コーラルはミコトについているため代わりにジャスパーが側に仕えている。
「お嬢様?」
「いいえ。なんでもないわ。ミコト様はまだ厨房にいらっしゃるの?」
「はい。ずいぶんと食材を買い込んでいましたので」
よほど楽しみにしていたのかミコトは朝早くから屋敷を訪れ、従者と護衛を何人か引き連れ近くの市場を回っていたそうだ。そのうちの一人がジャスパーだった。彼の話によると市場の隅から隅まで一通り歩き回り、食材や調味料を何種類も選んでいたらしい。一つ一つの分量はそれほどでもないらしいが、種類が多いため大荷物になってしまったという。
「それにしても、異世界の人間というのでどんな人物か気になっていたのですが、普通の女性でしたね。平凡といいますか、庶民的といいますか」
「未来の王妃様になんてことをいうの」
「現段階で未来の王妃はお嬢様です」
「ミコト様が現れた時点で、私はただのお飾りの婚約者よ」
「私は、お嬢様こそ王妃にふさわしいと思いますが」
「みんながそう思ってくれていれば、何も問題はないのにね」
異世界から来た少女のことはすでに国中で噂になっているという。この国では珍しい黒の短い髪は目立つ。市場では皆が彼女に注目していたそうだ。
異世界の人間が王族と結ばれる話は古くからゼオライト王国に根強く伝わっている。最も有名なお伽噺といわれるくらいだ。伝承が現実になると国中が沸き立っている。ラピスとて当事者でなければ祝福していただろう。
セドニーを愛してさえいなければ、話は簡単だったのに。
「私はお嬢様の味方ですよ」
「コーラルと同じことをいってくれるのね」
「双子ですから」
「でも、コーラルみたいにセドニー様を殴ろうとしないでね」
「それは、妹と私は違いますから大丈夫です」
「ふふふ」
不器用な励ましが心にしみる。
同じように幼少期から知り合い側で育ってきた間柄なのに、ジャスパーとセドニーは何が違うのだろう。ジャスパーと同じようにセドニーを兄のように思っていれば積極的に身を引いて二人の出会いを喜んだ。
世の中うまくいかないものだとため息をつきそうになったところで扉がノックされた。ジャスパーが扉を開けると、一礼とともにコーラルが入ってくる。
「お嬢様、ミコト様がお呼びですがどうしますか?」
「今いくわ」
実は朝方に軽く挨拶して以来ラピスはミコトと顔を合わせていない。ミコトは早々に市場へと向かい、休憩もそこそこに厨房で料理を始めたので、厨房に足を踏み入れることのないラピスは彼女と会うことがなかった。いくら好きにさせてほしいというのが彼女の願いだといっても招いた身としてろくに交流もないようでは無礼もいいところだ。セレナイト家の長女として恥じない行動をと幼い頃から言い聞かされ続けてきたラピスとしては礼を欠いたままでは落ち着かない。
ミコトは晩餐室にいた。彼女の姿を見た途端、反射的に動きが止まってしまう。動きやすい格好でいたいという本人の希望により、ミコトはコーラルと同じ侍女の制服を着用している。ミコトは可愛いと気に入っていたようだが、目上の者が着ているのを見ると違和感が芽生えてしまう。どうも令嬢が纏うドレスが好きではないらしいミコトはおそらくこれからもこの屋敷では似たような格好をすることになるのだろうから慣れていかないといけないなとラピスは心の片隅で思う。
ミコトはラピスの姿に気付くや否やすぐさま駆け寄ってきてラピスの両手をとり満面の笑みを浮かべた。
「好き勝手させてくれてありがとう!! すごく楽しかった!!」
「それは、光栄です」
いきなりの至近距離に戸惑いを隠せず、ラピスは目を白黒させる。まるで抱き合うかのような距離感はそうそう経験するものではない。社交界でのダンスくらいのものだ。気恥ずかしいがラピスから離れるのは失礼に当たるかと思い、硬直するしかなかった。
興奮しているのかラピスの動揺に気付くことなく、ミコトはにこにこと話を始める。
「まさかこんな洋風な世界で醤油が売ってるとは思わなかったよ。名前が違ったけど。味見させてもらえてよかったー。魚の粉末もあったから出汁もとれたし後は米と味噌があれば問題なし! やっぱり日本人は和食だよね」
意味の分からない単語がちらほら出てきているが、とにかく彼女は満足したらしい。見るからに表情がいきいきとしている。善意よりも打算が強い提案だっただけに少々居心地が悪い。つい視線を逸らしてしまうと、ミコトはどうとらえたのか、慌てて距離をとる。
「あ、ごめんなさい。興奮しちゃって。えっと、ラピス、さん? なんて呼べばいいかな?」
「この屋敷内でしたらなんとお呼びになってもかまいません。ただし、公の場ではマナーに沿った呼び方でお願いいたします」
「じゃあ、ラピって呼んでいい?」
「・・・っ」
とっさに返事ができなかった。
『ラピ』
それは、セドニーだけが呼ぶラピスの愛称。ラピスにとっては、特別な名前。
どんな呼び方でもいいといったのだから、快諾すべきだ。頭ではわかっているはずなのに唇が震えて言葉が出てこない。情けない。何があっても冷静に。私情など考えずに損得だけを見据えて行動すべし。そう教えられてきたというのに。ラピスは泣きたくなった。なけなしの意地で表情には出さなかったが。
ミコトは何故かくすりと笑い、首を横に振る。
「やっぱりやめた。ラピスって呼ぶね。ラピスも、私のことミコトって呼んでいいからね」
「いえ、そういうわけにはいきません」
ラピスが呼び捨てになる相手は執事や侍女など側仕えくらいのものだ。それ以外の相手を呼び捨てにするのは抵抗感がある。
「それで、何かご用ですか?」
「あ、そうそう。調子に乗って作りすぎちゃったからそれは後でみなさんで分けてもらいたいんだけど、それとは別に、ラピスにお礼の品を作ったから、食べてもらおうと思って。セドニーから甘いものが好きって聞いたから、大学芋を作ったんだ」
お菓子と迷ったけどどうしても和食が作りたくてと詳しい作り方を説明し始めるミコトだが、後半ラピスはあまり聞いていなかった。どのみち料理未経験のラピスではミコトの話の内容は半分も伝わらない。
もうそんな、ラピスの好物の話が出るくらいにセドニーと親交を深めているのか。
誰とでも打ち解けるセドニーの性格なら不思議でも何でもないが、どうにも心に靄が生まれてしまう。やはり、二人は惹かれあう運命なのかと苦しくなる。
「ほら、食べて食べて」
ひとしきり説明を終えたミコトが笑顔で椅子をひいてラピスに着席するよう促す。目の前には色のついた芋が皿に乗っている。随分とシンプルな、正直質素に見える料理だ。
「本当はゴマをまぶしたかったんだけど見つからなくて。この世界にはないのかなあ。あ、ちゃんとここの料理長さんに味見してもらってOKもらったから味は大丈夫だよ」
異世界の料理とその調理法には興味があったが、ラピスは料理の知識がない。よって、互いに了解を取って屋敷の料理長にミコトの調理する様子を観察してもらうことにしていた。ここの料理長は王城の料理長と知己であるためうまくいけば城の料理にミコト好みのメニューが加わるかもしれない。
あくまで国の食文化の向上のためだ。
そのためにもまずミコトの世界の料理がどういうものなのか実際に知る必要があるだろう。ミコトがこの国の料理を好まなかったように、その逆、この国の人々の口に合わない料理の可能性もある。料理長が認めたのならば心配はいらないだろうが。
ラピスは少し迷った後ナイフとフォークで一口サイズに芋を切り、口に運ぶ。
(・・・おいしい)
白状すれば、期待はしていなかった。光沢がありキラキラして見えるが材料は安価な芋のみ。少し甘い芋の味しかしないのだろうと思っていた。
しかし、甘みの質が違っていた。蜂蜜だろうか。とろりとした甘さと塩気がちょうどいいバランスで混ざり合っている。触感も噛んだ瞬間はカリカリとしているのに芋自体はホクホクと柔らかい。
芋も蜂蜜も庶民でも手に入りやすい食材だ。後はこの塩気の元さえ手に入れば本当に食文化が変わるかもしれない。子供の軽食にちょうどいいだろう。
後で料理長に協力してもらい再現できそうならば孤児院に提供するのもいいかもしれない。彼ならば分かりやすいレシピを作成してくれるに違いない。
ラピスは黙々とダイガクイモを食べ続け、ほどなくして完食した。
「美味しかったです。ありがとうございます」
「よかった。気に入ったならまた作るからいってね。来週はクッキーとかお菓子作るから!」
「お気遣いなく」
「私が作りたいだけだから。食べてもらいたいし」
笑顔はやはり可愛らしい。
人に愛される顔だ。つり目のせいか冷たい、氷のようだと評されるラピスとは正反対に。
ミコトは何も悪くない。
たぶん、ラピスも悪くない。
けれど、ラピスは素直に彼女の好意を受け取ることができない。
これがこれから毎週続くことになるのか。
自らが提案したことなのに、ラピスは早々に後悔した。