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さすがに王族を追い返すこともできず、ラピスは軽く身支度を整えセドニーと面会した。最初は広い応接の間を案内する予定だったが、幼なじみとして、婚約者として交流のあった彼にとってラピスの屋敷は勝手知ったる他人の家で、畏まることはないと言い張り、結局ラピスがよく使っていて、実際先ほどまで本を読んでいた日当たりのいい個室で会うことになった。
強引なところは相変わらずだ。
室内はコーラルが用意していた紅茶のにおいが漂っている。部屋に入った瞬間セドニーはにやりと笑った。
「ああ、やっぱりそろそろお茶の時間だと思っていたんだ。ラピが気に入っていた菓子屋の新作を持ってきたから食べよう」
第一王子にしては砕けた口調。護衛の一人もつけずに自由に行動できているのは、彼が武力に優れた人間だからであり、それと同時に束縛を嫌う奔放な一面があるからだ。公の場では適切な振る舞いをしているため、国王は彼の自由行動に目をつぶっているという。
だからこうして婚約者として親好を深めるという名目でセドニーはちょくちょくラピスに会いに来ていたし、そのたびに気ままに足を運んだ街中で手に入れた菓子や果実などをプレゼントしてくれた。実は甘い物に目がないラピスがその手土産を密かに心待ちにしていたのはここだけの話だ。今もセドニーの手に持つ袋からほのかに香るにおいに期待が膨らんでいる。しかし、手放しには喜べなかった。
もう自分たちはこんな気軽に会っていい関係じゃない。
「どうして、来たのですか?」
「婚約者に会うのに理由が必要か?」
「必要です。特に、あなたと私では」
「じゃあ、市井調査の協力ってことで。こういうのにつきあってくれるのはラピくらいしかいないから。ほら、冷めないうちに食べようぜ」
確かに、この素のセドニーの姿を知るのは家族と城内のごく一部の者以外ではラピスくらいだろう。普段彼が息の詰まるような生活を送っていることを知っている。菓子も気になるし、惚れた身としては彼に冷たくできない。
ラピスは小さくため息をついて、コーラルに二人分の茶の用意を頼んだ。優秀な侍女はてきぱきと動いてくれる。
「くるみを入れてみたんだそうだ。ほら」
手渡されたのは焼き菓子。最初は手で持って食べるなんてはしたないと思っていたが、慣れてしまえば抵抗感などなくなってしまう。この食べ方の方がおいしいものもあるのだと知っている。
ぱくりと頬張れば甘さが口の中に広がる。素朴な味だからこそのおいしさがある。試してみたというくるみもいいアクセントになっていた。
「おいしいです」
「気に入ってもらえてよかった。また、買ってくるよ」
「・・・ありがとうございます」
どうせ断ったところで彼は自由にやってくるのだろう。
そして、その足はそのうちミコトへと向かっていくのだ。
胸が痛い。笑みが崩れそうになるのを紅茶を飲んで誤魔化した。
「それにしてもラピは昔からよくつきあってくれるよな。ジェットと一緒に口裏あわせてくれたりこうやって庶民の菓子も一緒に食べてくれたり」
「今だからいいますけど、言いつけを守っていただけですよ。お父様にいわれていたんです。セドニー様の機嫌を損なわないようにと」
「ああ、公爵ならいいそうだな」
一生告げる気のなかった秘密。けれど婚約者でなくなるのだから秘密にしておく意味もない。幼い頃から脱走癖のあったセドニーが叱られないように彼の弟のジェットと共によく言い訳を考えていた。今から考えるとどれも子供の浅知恵で、大人には全てお見通しだっただろうが。あの当時は父親の言葉に従っていただけだった。それが己の意思になったのはいつからか。
「それで、さ。頼みがあるんだ」
「今度はどうしたんですか?」
「ミコトに会ってほしい」
カチャ、とソーサーにカップを置く音が響いてしまった。動揺が隠せない。
何故それを、よりにもよってラピスに頼むのか。本当に自分たちは心の伴わない、形だけの婚約者だったのだと実感する。ラピスが何も感じないと思っているのか。苛立たしくて、悲しい。それと同時にすとんと腑に落ちた。
セドニーがラピスに会いに来たのはこの頼みごとのためだ。彼はもう、ミコトに惹かれている。『ミコト』と呼んでいるのがその証拠だろう。フレンドリーな彼が呼び捨てをしているのはそう珍しいことではないが、けれど呼び捨てできるくらいには打ち解けているのだ。
彼は、ラピスに会いたかったわけじゃない。
「それは、どうしてですか?」
「まともに食事もとらず帰らせてくれの一点張り。このままじゃ餓死してしまう。俺よりも同性のラピの方が打ち解けやすいと思うんだ。他に頼める奴がいないんだ。頼む」
「・・・陛下の許可はとりましたか?」
「ああ、好きにしていいといわれた。大臣たちも反対していない」
ラピスは思い切り顔をしかめたくなった。
誰か一人くらい異を唱えなかったのだろうか。現婚約者と未来の婚約者が顔を合わせるなどトラブルにしかならないではないか。とはいえ、確かに適任者がそうそういないこともラピスは察していた。
同年代の女性ならばいくらでもいる。しかし、教養がありミコトと衝突のなさそうな女性となると選ぶのは難しい。王妃の座を狙う令嬢は一定数いる。ミコトと親しくする名目でセドニーとお近づきになろうとする者も少なくないだろう。一見地位に興味がない女性に見えてもその本心までは分からない。
その点ラピスはセドニーと幼なじみですでに親しく、下心なく彼女と接することができる。そして、大人から見てラピスは父親に従順な聞き分けのいい分をわきまえた少女だ。うまく相手をしてくれると思っているのだろう。
ラピスの感情など、誰も考えてはくれない。
だが、餓死しそうだというミコトを放っておくのは問題だろう。彼女が死ねば婚約破棄をされなくて済むだろうが、さすがにそれは後味がよろしくない。一生の蟠りになりそうだ。
ラピスはため息と共にうなずく。
「分かりました。一度お会いしてみます」
「ありがとう。ラピは頼りになるよ」
満面の笑みをこちらに向けてくるセドニー。はたしてその心はどこに向いているのやら。
曖昧に笑って口にした紅茶は、ぬるく、しぶくなっていた。