20 分断
アギトが浮き蛇を倒してから数度の戦闘を経て、目的地までたどり着いた。
時間にしておよそ一時間だ。ダンジョンとしては序盤も序盤だが、初めての授業だしこんなものだろう。
目的地以降から出現する迷宮資源『魔晄コケ』を持ち帰ることが課題だ。
「あ、ありましたよ!」
小柄な体躯をぴょこんと跳ねさせて、長瀬がこちらを向く。
頬が少し上気して、肩で息している。俺は鍛えているからなんてことないが、彼女にとっては一時間の洞窟は負担だったようだ。それでもナイフでコケを削ぎ取る様子は楽し気だった。
魔晄コケは石壁にこびり付く光るコケで、細かく刻み発酵させることで肥料として高い効果を発揮する。食糧生産を支える重要な資源だ。
採取場所の観点から難易度は高くないが、継続的かつ大量に必要となる資源だ。
「よーし、このくらいでいいですかね。戦闘では役に立てなかったので、私が持ち帰ります!」
「そんなことないわよ。ハルリのおかげで無事に終わったわ」
「ふん、なんとも手ごたえがなかったな。もう少し進んでもいいが」
「ダメだろ。授業なんだから。皆初めての探索で、皆なんだかんだ疲れているし」
「分かっている。言ってみただけだ」
おっ。これだから弱者は……みたいな定型句が飛んでくるかと思いきや、案外素直に応じた。
アギトも微かに疲労の色が見える。最初から張り切りすぎていたからなぁ。
日下部さんは相変わらず涼しい顔をしている。彼女は何度かの戦闘でも、表情を崩すことはなかった。可憐に、あるいは華麗にレイピアや長剣を振っていた。
「アギト様! 楽しかったですね!」
「俺の伝説の一ページ目だ。よく目に焼き付けろ」
「はぁーい」
上機嫌のアギトと長瀬が、連れ立って道を引き返し始めた。あまりアギトを調子乗らせるなよ!
「あれソータ君、雪華様、どうしたんですか?」
「ん、いや。すぐ行くよ」
「わかりました!」
俺が立ち止まったのは、日下部さんが立ち尽くしたまま動かないからだ。
目的地に着いたというのに、その先の暗がりを見つめている。いや、睨んでいるようにも見えた。
「どうしたんだ?」
「いえ……この先にあの女がいるかと思うと、このまま帰って良いのか、と」
「あー、いるかは分からないけどな。今までダンジョンマスターという存在がいる、なんて論文見たことないし、この前のも嘘だったのかも」
「ヘルコブラを操っていたのに? ダンジョンマスターはいるわ。必ず」
底冷えのするような、陰のある表情で彼女は言った。
虚子は別れ際、会いたかったら湿地洞窟に来て、と言っていた。
同じダンジョンマスターの俺に言ったのか、日下部さんに言ったのかは分からない。だが虚子がこのダンジョンのどこかにいることは間違いない。
「でも、会ったとしても勝てないだろ」
「勝つわ。そのためにここまで努力してきたんだもの」
「そのため?」
「ええ。ダンジョンの黒幕を探して、捕まえて、尋問して、あの男のことを――話し過ぎたわ。忘れて」
「めちゃくちゃ気になるところで止めるじゃん」
ハスキーな凛とした声が、どんどん低い音になっていき、どす黒い感情が渦巻く。
そんな彼女を前に、俺は軽い調子で茶化すことしかできなかった。これは逃げだ。彼女の過去を受け止めることから、逃げた。
「ふふ、内緒よ」
はっとして笑った彼女の目は、どこか寂し気に見えた。
首席入学の秀才で、公安迷宮庁の捜査官という裏の顔を持つ。既にかなりの実力を備えていながら、先生を捕まえて訓練を行うくらい、誰よりも努力家。しっかり者で、クール。冗談が下手。あと、ニーソとスカートの間の絶対領域が最高。つまりは太ももの女神。
短い付き合いだけど、彼女のことはそこそこ知っている。だけど、この顔は知らない。
放っておいてはいけない気がした。
「なあ、お前過去にダンジョンでなにか――」
あったのか?
そう聞こうとした瞬間だった。
「ソータ!」
「――!? 日下部ッ!」
焦った様子の日下部さんが、白い手を真っすぐ伸ばした。一瞬遅れて、俺も異変に気付く。
二人の間の地面から、壁がせり上がってきていた。
彼女の反射神経を以てしても、壁が天井まで繋がる方が早かった。壁は洞窟の通路を完全に塞ぎ、俺たちは分断されてしまった。俺は一瞬で察した。ダンジョンの『通路変更』だ!
壁の向こうからくぐもった声が聞こえるがあいにく聞き取れない。
おそらく虚子の手によって、二人の間に壁を作ったのだ。一体何のために?
俺の疑問に答えるように、背後から声がした。
「いやー、この前は殺さなかったけどさー」
「虚子……」
「公安にバレたらちょっとめんどくさそうだし、私まだ死にたくないからねー」
「なにが言いたいッ」
「アハッ、分からない?」
シュルシュルと舌を出す、額に魔石の埋め込まれたヘルコブラ。日下部さんが倒した奴より一回り大きい蛇モンスターに乗って現れた虚子は、赤いチャイナ服のスリットから大胆に足をさらけ出して、妖艶に口角を吊り上げた。
「あの子を殺そうと思って、ね」
ここならポイントになるし、と小声で続けた。
なんて恐ろしい太ももなんだ……!




