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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

開けて悔しき玉手箱 

旅路

作者: 秋山太郎

今年もまたこういう季節が近づいて来たので書いてみました。

 子供や孫達に見送られながら、私は列車に乗り込んだ。


 近くの席に座ると、扉が閉まる。すぐに出発するようだ。



 ――汽笛が聞こえる。



 がくん、と小さく揺れた後に私は目を瞑る。


 大きな造り酒屋の三女として生を受けた私は、両親の厳しい指導や姉達の我儘に振り回されながらも、楽しい幼少期を送ることが出来たと思っている。


 お手伝いさんも数名いるような環境で、近所の子供達も一緒になって遊んでいた。写真だって撮ってもらえたのだ。若い母は美人だったし、父も格好良かった。






 戦争は私の価値観を大きく変えた。


 父と数名だけを残し、私達家族は満州国へと渡る事になった。幼いながらも私はそこで、人間の恐ろしさを目の当たりにした。


 自分の身を守る為に他人を蹴落としてまで生き残ろうとする執念を、一体誰が咎める事など出来ようか。そこに秩序はなく、裁く者もおらず、暴力のみが正義であった。


 剥き出しになった人間同士の欲望がぶつかり合う様は、国と国がぶつかり合う戦争の縮図と言えた。


 私は母や姉達と共に、怯えながら毎日を過ごしていた。


 夜半に時折、外へと出かける母の姿を見ては泣きそうになるほど胸が苦しかったが、今から思えばあれは母が身を挺して私達を守ってくれていたのだと理解できる。


 暴動、略奪、強姦、拉致……人間の欲望はとどまる所を知らない。主義主張を曲げてまで相手方に付く者もいた。そして同属の人間に対して無体を働くのだ。偶然現場に居合わせてしまった私は、人間とは人間に対してあれほどまでに残酷になれるのか、と戦慄した。


 やがて終戦を迎えると、在満日本人は帰国の途に付く事になったのだが、実際には現地で数十万の命が散って逝ったと聞いている。


 周辺の都市や村での暴動、略奪、そして山には人を食らう獣だっている。逃げ場などないのだ。集団自決も多かったと後から聞いた。当然、裁かれる事もないし罪に問われる人間などいない。そんな事実はなかったとされているのだ。


 終戦後の満州ではしばらく、軍が立ち入り政権が変わる度に軍票が発行された。そしてその都度、経済が生死を繰り返すのだ。お金が価値を失い、紙屑になる事を繰り返す。自分の中での価値観が崩壊していくのを覚えている。


 帰国船が到着するまで、人々は常に命が危険に晒されていた。


 船の中も悲惨極まりなかったと言える。栄養失調で倒れれば、そのまま死んでいく。配られる食料は劣悪で、病気も蔓延している。死体はそのまま船から投げ捨てられていった。皆の目も一緒に死んでいたのが強烈に記憶に刻まれている。


 彼の地で相手側へと与した人間達は、船旅の中で徐々に姿を消していった。誰も気に留めない。波の音は全てを飲み込んでいくようだった。






 私達が誰一人欠ける事なく帰国出来たのは幸運という他ない。今から思い返しても信じられない事だ。


 帰国後は残っていた父を中心にして、造り酒屋の仕事に全員で取り組んだ。その甲斐もあって人気がでたお酒は、国からも認められるほどであった。


 私は仕事を介して知り合った男性と結婚し、子供を授かった。人間の本能を見て育ってきた私は、子供をしっかりと愛せるかとても不安だった。夫と二人三脚で仕事に精を出しながら、必死に子育てをした。


 姉達が全員家を出て行った関係で、私の夫が家業を継ぐことになった。


 そして間もなく母が亡くなり、後を追うように父も亡くなった。


 多額の遺産を残してくれた父であったのだが、その金額を聞いた姉達は、全員目の色が変わってしまった。泥沼の遺産相続問題に発展し、姉妹間で大戦争が起きた。


 結局、父が一代で築き上げた造り酒屋は全て売却してしまう事になった。


 仕事を失い路頭に迷う人間が大量に出た。父と母の希望と夢が詰まった、私達姉妹が大切に守ってきた物ですら、人間はこうも簡単に捨ててしまえるのかと、私達夫婦は絶望し涙した。人間の欲望はいつの時代も同じだと知った。


 どこまでいっても、同じ集団の中で、家族同士でさえも、人間は争う事をやめない。






 知り合いの伝手で同じ仕事に就けた夫を支えながら、育児に励み、この歳になるまで全力で人生を駆け抜けてきた。


 子供達は無事に育ち、それぞれの人生を歩んでいる。時折私達を訪ねて来ては、面白い話を聞かせてくれる。それだけで心が満たされていくのを感じた。


 私達にも可愛い孫が出来た。夫の可愛がり様は少し異常だったかもしれない。思い返すと自然に口角が上がってしまう。






 病室のベッドの上では、白髪に染まった夫が優しい笑みを浮かべていた。


 他愛もない会話をしながら、しかし、そこに確かな愛情を感じる事が出来た。


 戦争に翻弄された私達だったが、最期の時は幸せだった。






 がくん、と小さく揺れた車内で私はゆっくりと目を覚ました。



 ――汽笛が聞こえる。



 窓の外に流れる景色は、緩やかに視界へと映っている。


 とても良い旅路だった。


 やがて列車は大きく息を吐き出し、ゆっくりと、その歩みを止めた。




戦争の悲惨さは語り継がれるべきですよね。

私が祖母から聞いた話を、少しフィクションを交えながら書いてみました。

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして、こんにちは。 私は父が歳がいってからの子どもなのですが、父は戦時中に生まれました。疎開先で生まれ、戦争が終わってから今住んでいる場所に帰ってきたそうですが、父は多くを語りたがり…
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