8:困惑
ユリウス様から手紙が届いた。何か話したいことがあるらしい。私の家で会うことになった。
何だろうなと思っていたら、その答えを持ってくる人が家に来た。ユリウス様より先に。マリエッタだった。
マリエッタは酷く興奮していて、取り敢えず一旦落ち着こうと宥めるのが大変だった。
「リリアナ、ユリウス様から手紙をもらったでしょう」
流石情報通。既にご存知なんですね。隠すことでもないので、私がその通りだと言うと、マリエッタは喜色満面の笑みを浮かべ、かと思ったら真剣な表情になった。
「あのね……多分だけど、ユリウス様は貴女に婚約か結婚の申し込みをすると思うの」
「へ?」
本当に言ってる? ユリウス様が? 嘘でしょ? そんな感じのことを聞くと、マリエッタの目に呆れた色が浮かんだ。
「あのねえ……リリアナ 、貴女あんなにアプローチされていたじゃない。気付いていなかったの?」
いや、それは気付いていました。だって何回か何処かに出掛けようと誘われたもの。ロベルトをまた思い出すのが怖くて断っちゃったけど。本当にごめんなさい。
でもそうやって断っていたからこそ、ありえないと思うんだけど……
「ユリウス様は貴女が好きなのよ。それでリリアナ、貴女はなんて返事をするの?」
マリエッタはわくわくしていた。
「私は……」
そこから言葉が出てこなかった。私は、何て返事をするんだろう? 自分でも分からない。
いつまで経っても答えない私に、マリエッタはまた呆れた顔をした。
「まあ、ユリウス様より先に私が聞くのもあれだものね。でも、ちゃんと返事は考えておいた方が良いわよ?」
「うん……」
それからマリエッタは別の話題に変えてくれた。最後までその話は戻してこなかった。色々と口出ししないでくれる優しさがありがたい。本当にマリエッタは優しい友人だ。
それから私は、ユリウス様に会うまでずっとそのことを考えていた。
私はどうするんだろうか。断る?了承する?
ユリウス様はとても優しい。だからどんな答えでも怒らないと思う。でも、怒らないからって傷つかないわけではない。
ユリウス様の目の色はロベルトに少し似ている。私はユリウス様をロベルトの代わりにしようとしているのだろうか? それは、ユリウス様に対して、凄く失礼じゃないかな?
でも、私は新しい恋をするんじゃなかったの?そうやって、ロベルトを忘れようとしていた。じゃあ、私はユリウス様のことをどう思っているんだろう? 恋愛的な意味で好き?
私は考えに考え、ついに結論を出した。
ユリウス様は花束を持って私の家に来た。花の種類は、リンドウ。紫や白、ピンク色など色とりどりだ。可愛らしいけど、上品でもあって素敵ですねと褒めたら、ユリウス様は破顔した。上から見ると星形に見えるな。そんなことを考えてしまった私は、きっともう重症だ。
お茶を淹れたら、ユリウス様は使用人達を人払いした。
そして、真剣な表情で私を見据えた。今日のユリウス様はいつもよりきっちりとした格好をしている。
「リリアナ嬢、手紙で書いたように話したいことがあります」
来た。私も、真剣な表情を浮かべる。
「ええ、何でしょうか?」
「私は、貴女のことが好きです。結婚してくれますか」
やっぱりその話だったか。
でも、私には不思議に思うことがある。それは、マリエッタから聞いた時から思っていた。お父様からの許可は得ているのだろうか? 許可を出したのにお父様が教えてくれなかっただけ?
そう考えている間にも、ユリウス様の言葉は続く。
「返事は今じゃなくて結構です」
「いえ、今させてください」
私の中で、もう答えは決まっているのだ。
「ごめんなさい。私はユリウス様と結婚できません」
「理由をお伺いしても?」
「私には、他に好きな人がいるからです」
「以前話していた、あの元婚約者のことですか?」
「はい」
ユリウス様は悲しそうな表情になった。私の心はズキンと痛んだけど、ユリウス様の方がきっと私よりずっと痛んでいると思う。だから、私は目を逸らさなかった。
「私では、代わりになれませんか?」
「代わりなんて、優しいユリウス様に失礼ですから」
「それでも構わないと言ったら?」
「ごめんなさい、無理なんです。私が好きなのは彼で、彼の代わりなんて何処にもいないんです」
言い終わった後、私はそっと目を伏せた。
今はロベルトが好きだけど、ずっと一緒にいたら、ユリウス様のことを好きになるかもしれない。だからOKしちゃえと言う心の声も本当はあった。
だけど、ユリウス様は私を好きだと言ってくれた。そんな人の気持ちを利用するのは、凄く不誠実なことだと思う。誠意には誠意を返すべきだ。だから、傷つけてしまうけれど、きっぱり言った。
そして、そう結論付けた時、私の中でもう一つの結論が出た。
私のロベルトを想う気持ちは、10年掛けて大きくなった。だから、この気持ちを消すのにも、同じくらいかかるんじゃないかと。
10年、もしかしたらそれ以上かかるかもしれない。逆に誰か素敵な人を好きになって、消えることになるかもしれない。彼のことは好きだから、決して邪魔はしない。
そういうことで、私は無理して忘れようと努力するのはやめた。夜会に参加したりとか、肖像画に話しかけたりとか。
というか、肖像画に話しかけるのは家族に全力で止められた。引かれて、心配されて、泣かれた。更にあの幼い頃から家にいる執事にも、どことなく余所余所しい態度を取られた。それ以外の使用人にもだ。やめた理由には、その対応が辛かったからと言うのもある。
私はユリウス様にもう一度視線を向けると、驚愕した。いつも穏やかな笑顔を見せていたユリウス様の顔が、怒りに燃えている。ユリウス様は何かブツブツと呟いていた。
「……何で、折角あんなに頑張ったのに。……どうして」
「あ、あの、ユリウス様?」
声を掛けると、ユリウス様は私をキッと睨んだ。また、小さな声で呟いた。今度は辛うじて聞こえた。
「どうして君は、僕を選んでくれないんだ」
ユリウス様は私の両手首をがしっと掴んだ。その力が強かったので、私は思わず「痛っ」と言った。それでもユリウス様の手は、力を緩めなかった。
ユリウス様は立ち上がり、私のすぐ傍まで近づいた。そのギラギラとした目が怖くて、私は離れるか助けを呼ぼうとした。だけど手は、ビクともしない。
私はソファーの上に押し倒された。ユリウス様は顔を近づけて来た。思わずギュッと目を瞑ると、彼の顔が浮かんだ。
私は息を吸い込み、出来るだけ頭を反らした。そして――
「ロビン!」
ゴンっ!!
「〜〜っ」
「リリー、大丈夫か!」
手を離し、おでこを抑えるユリウス様から、私は慌てて距離を置いた。ソファとユリウス様の間からは無事抜け出せた。
さっきの鈍い音は何かとか、ユリウス様がどうしておでこを押さえているのかは聞かないでほしい。ユリウス様はきっと、机の角か何かにぶつけたんだ。私は貴族の令嬢で、頭突きなんてそんな野蛮なこと、するわけがない。私のおでこが赤くなっているように見えるのも気のせいだ。
それより、何だか幻聴が聞こえた。私が名前を呼んだりしてしまったからだろうか。そう思っていたのに、それは幻聴じゃなかった。金髪に空色の目をした男は、私の元に近づいて来た。幻覚?と思ったけど触れる。
ロビンは、私の赤くなった手首を見て苦い顔をした。
「ニコラスめ……だからあれ程言ったのに」
ニコラスはお兄様の名前だ。何でお兄様? そう不思議に思っていたら、お兄様と何人か知らない人達が部屋に入ってきた。あ、ジークムント殿下もいる。
お兄様やロビン含め、彼等は全員騎士団の制服を着ていた。え、どういうこと?
混乱する私の傍に、お兄様も近づいて来た。そして、頭を優しく撫でてくれた。
「ごめんね、リリー。無事でよかった」
ロビンは私の手を優しく握ってくれた。私はロビンの登場に驚いていたけど、押し倒されたのが怖かったみたいだ。私は安心して、迷子の子どものように泣いてしまった。ロビンは私が落ち着くまで、優しく抱き締めてくれた。あの日のお母様のように。
「で、どういうこと?」
泣き止んだ私はロビン、じゃないロベルトの腕の中から離れた。落ち着くと普通に恥ずかしい。照れ臭くて思わず冷たい態度になってしまう。ロベルトに忘れて欲しい思い出がまた更新されてしまった……。私は頑張って平常心を保つ。
泣いていながらも、私の耳は周囲の声を拾っていた。ユリウス様は騎士団の人達に連行されていった。「放せ!」と暴れていたみたいだから、多分捕縛されて。
私の目の前にはロベルトがいる。部屋は移動した。しばらくあの部屋は使いたくない。
ロベルトには、聞きたい事が沢山ある。どうして此処にいるの? とかあの騎士さん達はどうして家に来たの? とか。状況が全く把握出来ていない。それに、ロベルトの真意も分からない。
好きな人がいるのに、何故私を抱き締めたの? 妹みたいに思っているから?
「うーん……」
「ねえ、早く教えてよ」
しばらくの間考え込んでから、口を開いたロベルトの語った話は、私にとって驚きの真実だった。