5:動揺
吹っ切るために、私は別の方法を考えることにした。
マリエッタはしばしば私の家に遊びに来て、こう言った。
「新しい恋をするべきよ、リリアナ!」
新しい恋をするべき。私は前に進むため、マリエッタの言葉に従ってみることにした。頷くとマリエッタは驚いて、だけど嬉しそうに笑った。
私は積極的に夜会に参加することにした。
また会っちゃうんじゃないか、いやもう克服したんだから!と最初は葛藤していたけど、ロベルトとあの日以来会うことはなかった。肩透かしを食ったような気分だったけど、どこかほっとしてしまった。
夜会では、沢山の男性が話しかけてくれる。やっぱり、『妖精姫』のせいだろうか。お兄様も一緒に来てるので助けを求めようとしたら、そっちはそっちで囲まれていた。逆にお兄様こそ助けが必要なくらいだ。お兄様、いつもモテモテですねとからかってしまいごめんなさい。大変だったんですね。ようやく気持ちが分かりました。
私はなるべくマリエッタの傍を離れないようにした。そうしたら、少しだけど友人が増えた。マリエッタと同じで恋の話と噂話が大好きな人達だ。類は友を呼ぶ。マリエッタの人脈はとても広い。
ユリウス様にはあれからまたお詫びの手紙を送った。返事には、また今度、体調が良くなったら行きましょうと書いてあったけど、結局行っていない。ごめんなさい、もう行けないですと婉曲に伝えたら許してくれた。本当に優しいなあ。
その代わり、夜会でユリウス様と話すことが多くなり、私達は徐々に親しくなった。ユリウス様は現在21歳で、年の離れた弟と妹がいるそうだ。可愛くて仕方がないんだって。家族思いの人って良いよね。
マリエッタはそんな私達の様子を見てユリウス様はどう?と勧めてきた。ユリウス様は私に会う前から会いたいと言っていたらしい。とっても優しいから、良いと思うわ、とマリエッタは言っていた。
確かに、ユリウス様は優しい。話している口調も穏やかだし、さりげなくこちらを気遣ってくれる。それにいつも笑顔だ。こんなに良い人なのに婚約者や妻がいないのが不思議でならない。
でも、時々目が不穏な光を放っているように感じるんだよね。気のせいかな?
私は今日も夜会に赴く。
夜会には危険なのとそうでないのがあるらしい。マリエッタやお兄様が教えてくれた。私が行く夜会は、家族が選別してくれているから安全な方だ。危険なのだと危ない薬を使って廃人のようになっちゃったり、肉欲に溺れたりと非常に爛れているそうだ。怖い。
お兄様の職場の騎士団は、そう言うのを取り締まったりもしているらしい。でも、中々尻尾が掴めなくて大変なんだとか。
そういえばこないだ、仮面舞踏会に興味を持って行こうとしたら、全力で止められたな。それもそういう感じの危ない系なんだって。あの時、お兄様が「殺される!」って叫んでた気がしたな。誰に殺されるのかな?
「リリー、最近夜会に行きすぎじゃないか? 今日は欠席したらどうだ?」
「そうよリリー。確かに社交は大事だけど……貴女、最近顔色が悪いわよ。休むことも大事よ」
準備をしていたら、お父様とお母様に止められた。珍しい。確かにお母様は何時も優しいけど、お父様は「もっと外に出ろ!」と言うことが多いのに。最近のお父様、なんか変だよ?
「ありがとうございます、お父様、お母様。でも、私は元気だから大丈夫ですわ」
そう言って笑顔を見せると、二人は「そう、なら良いけど……」と渋々引き下がった。本当に、どうしちゃったのかな。
夜会には、大抵お兄様が同伴だ。私は馬車の中で、最近疑問に思っていたけど聞き忘れていたことを尋ねてみる。
「ねえ、お兄様」
「うん? どうしたの?」
「お兄様はどうして婚約したり、結婚したりしないのですか?」
これは前から気になっていたけど特に聞いたことはなかった。だってほら、お兄様と結婚したいと思ってくれる女性がいないからとかそんな理由だったらさ……気まずいじゃん? なんて反応したら良いか分からなくなるじゃん?
でもお兄様はモテない訳じゃなかった。むしろ女性に囲まれて大変ですねと同情したくなるくらいモテていた。それを最近知ったから、何でだろうと余計疑問が深まったのだ。
お兄様は難しそうな顔をした。
「うーん……それはね、ほら、僕が結婚する相手ってつまり、ソーントン家の夫人になるってことでしょう?だから、慎重に選びたいんだ」
もの凄く納得した。
お兄様は家のことを大切に思っている。私なんかとは比べ物にならないほどに。だから、ソーントン家にとって利があって、家を傾けるような性格に難のある令嬢じゃない人を探しているってことか。
でもお兄様、そんなに慎重にしていると、いつかどこぞのご令嬢に捕食されますよ……。私はその言葉を飲み込んだ。でも気をつけてくださいね! だってお兄様は優良物件ですから!
会場に着く直前、私は笑顔の仮面を装着した。剥がれないように頑丈にしないと。
「おや『妖精姫』、こんばんは」
「ごきげんよう、デイヴィス候」
「まあ『妖精姫』、ごきげんよう」
「ごきげんよう、リメルス夫人」
夜会はそれほど好きじゃない。笑顔を絶やさないように、ボロを出さないようにと気を張るから。しかも大抵の人は私を『妖精姫』と呼ぶ。いい加減やめよう? そのあだ名。でもこれもきっと、新しい恋のため。頑張らないと!
私はマリエッタを見つけて駆け寄った。
「マリエッタ!」
「まあ、リリアナ、今日も来たのね! ……でも、何だか顔色が良くないわ。大丈夫?」
そういえば、お母様もそんなこと言ってたな。そんなに顔色悪い? 私はマリエッタに笑顔で「大丈夫よ」と返した。
それから、新しく出来た友達やマリエッタとしばらく話していると、ユリウス様がこっちに来た。
「リリアナ嬢、こんばんは」
「ユリウス様、こんばんは」
マリエッタと友人達は気を遣ってかすすす、と離れて行った。マリエッタと同じで、友人達も私にユリウス様を勧めてくれているのだ。
「彼女達に気を遣わせちゃいましたね。悪いことしたな」
「そんなことないですよ」
それから私はユリウス様と話していたのだけど、ふとお兄様のことを思い出した。お兄様は時々、色とりどりのお花に埋もれて窒息死しないよう、私に助けを求めてくる。兄妹だからと言う理由で、大抵のご令嬢は引いてくれるのだ。あの舞踏会の日は違ったみたいだけど。
ただ、ずっと一緒にいるのはヘイトを買うので、しばらくの間離れてから救出に向かうのが良い。だから今は離れていたのだ。断じて、お兄様のことを忘れていたわけではない。
私はユリウス様に別れを告げ、お兄様を探しに向かう。どれ、今はどんな感じかな。
一人になったのでチャンスと思ったのか、何人かの男性がダンスに誘ってきたり、一緒に話そうと言ってきた。だが私は、連夜に及び夜会に参加したため、誘われた時の上手な躱し方を発見したのだ。そういうわけで、さっさとお兄様の元へ向かう。お兄様ー、どこにいらっしゃるのー?そうやって、周囲を見回していた。
急に、耳に心地よい、低い声が上から降ってきた。
「ご令嬢」
心臓が跳ねた。なんであの人の声が、聞こえるの。
こんなに大勢の人がいるんだ。きっと空耳だ。そう自分に言い聞かせたけど、我慢出来ずに振り向いてしまった。
そこには、よく知っている男が立っていた。だけど、髪色が違う。カツラだろうか。
「ご令嬢、踊っていただけませんか」
断ろうとした。だって、断り方はよく知っている。それなのに、言葉が出ない。反射的に手を伸ばしてしまった。
男は私の手を掴んだ。そして、踊り始めた。
私はちゃんと踊れているのだろうか。笑顔の仮面は剥がれていないだろうか。それすら気にかける余裕がない。私の目の前にいる男のことしか考えられない。
ねえ、どうして私を踊りに誘ったの?
ロベルトの髪色は黒になっていた。多分カツラを被っている。でも、どうして変装なんてしているんだろう?
目は、やっぱり綺麗な青空の色。顔は私が見た、最後の記憶のまま。いや、少し痩せただろうか。
私がロベルトの顔を観察していると、彼は聞き逃しそうなほど小さな声を出した。
「夜会に行かないでくれ」
「どうして?」
私も思わず小声になってしまった。ロベルトは、少し頬を赤らめた。照れてるな。でも何に?
「……君が、他の男と話しているのが気に食わない」
私はムッとした。何言っているの? 何故気に食わないの? 貴方と私は、もう婚約者でも何でもないじゃない。そもそも貴方が私を振ったんでしょう。忘れたの? それに、貴方にはあの綺麗な人がいるじゃない……
そう言おうとしたけど出来なかった。自分で言うにはなかなか辛い。それに、ロベルトがあの女の人を考えている時の顔なんて、見たくなかった。
だから私は「いや」とだけ口にした。そうしたら、ロベルトもムッとした。さっきから何なんだ。
「どうして? お願いだ」
「いやったらいや」
「頼む、リリアナ」
「いや」
私は頑なに拒否した。だって身勝手すぎるじゃないか。それでも、縋るような空色の目を見るだけで心が揺らいでしまう。ああ、なんて意志薄弱なの、リリアナったら。私は目を合わせないようにした。
ロベルトは静かになった。きっと諦めたのだろう。ああ良かった。これ以上言われたら、多分私が折れてた。私の勝ちだ。
そう思っていたら、私の顔の前にぐいっと顔が近付いてきた。え、何!? 急にどうした!? 私の頭の中は一瞬でパニックになった。
ロベルトは、私の耳元に口を寄せて囁いた。
「頼む、家にいてくれ。リリー」
ダンスが終わった瞬間、私は速攻でテラスに向かった。夜風に当たって涼むためだ。だって、今の私の顔と耳は絶対に赤くなっている。ロベルトがどんな表情をしていたかは知らない。
テラスから見える今夜の月と星は、何だかいつもより近くに感じた。
それから私は夜会に行くのをやめた。ロベルトに言われたからではない。
両親やマリエッタに、体調を心配されたからやめたのだ。それに、自分でも最近寝不足だなあと思っていたからだ。あと、何だか急に刺繍をやりたくなってきたというのもある。断じて、絶対にロベルトの言葉なんて気にしていない。
「はあ……」
私はそっと右耳に触れた。あの時、一瞬だけ当たった唇の感触が、まだそこに残っているような気がした。