2:舞踏会(前編)
死にたいと思うくらいの絶望に陥っても、人はそう簡単には死ねないらしい。気持ちだけで、行動に移す勇気は私にはなかった。
婚約破棄から1ヶ月経った今でも、私は生きている。
両親に報告をしたが、2人ともわたしを叱責しなかった。ソーントン家より格上のブルック家との繋がりが切れるから、大きな損失だろうに。
私がそんなに酷い顔をしていたのだろうか。むしろ「気をしっかり持ってね」と慰められてしまった。
優しい両親で良かった。
「……今、なんて言ったの?」
今、私はお茶会をしている。
対面しているのは、友人のマリエッタ。社交下手な私の唯一の友人と言ってもいいかもしれない。
無神経な所もあるが、正直で、時々的を射た発言をするのだ。
彼女には、私のロベルトへの想いをいつも話していた。かなり前から別れた旨も伝えてあった。
最初の頃は「まあ……大変だったわね」と同情をしているだけだったのだが、最近はなんだか話の雲行きが怪しくなってきた気がする。気のせいだろうか。
「え? 新しい恋をするべきって言ったのよ、リリアナ。新しい恋! 久し振りに夜会に参加してみない? 凄い話を聞いちゃったのよ!」
気のせいじゃなかったみたいだ。
マリエッタは噂好きで情報通だ。誰々と誰々が駆け落ちしたとか、どこそこの家で問題が起きたとか、そういう話をいつも持ってきてくれる。社交界にそれほど出入りしない私が取り残されていないのは、彼女のお陰と言っていい。
そして彼女は、恋の噂が特に好きだ。物語のような恋愛を聞くと、うっとりしながら「いつか私も……」とよく呟いている。
ただ、お伽話や童話のお姫様と違って、彼女は白馬の王子さまを待たずに自分で探しに行く。そういうアグレッシブなところも、彼女の美点である。
だが、私のことも時々誘ってくるのだ。一緒に夜会に行こう、舞踏会に参加しようと。ロベルトと別れてからは、それが顕著だ。
「面白い噂って?」
“新しい恋”などという言葉は聞き流す。私の耳には取捨選択機能が備わっているのだ。
マリエッタは私の言葉にぱあっと顔を輝かせた。
「それがね、今度の王家主催の舞踏会では、ついにジークムント殿下がお妃様をお決めになるそうなの!」
「へえ……」
ジークムント殿下は、わが国の第三王子である。殿下は私とマリエッタの2つ上の18という年齢だ。王族としては珍しく、幼い頃から婚約などをしていなかった。それが、ついに決めるとは。きっと、その日は年頃の令嬢が全員集まるだろうな。
と、つい他人事のように考えてしまったが、私も年頃の令嬢だった。だから誘ってきたのか。
もしかして、お父様やお母様が私のことを叱らなかったのってこれのせい?お妃様になる可能性があるから?いや、でもそんな博打みたいなことで?うーん……
「ね、行ってみましょう? ひょっとしたら、殿下に見初められるかもしれないわよ! それに、殿下は無理でも新しい出会いがあるかも!」
「………」
本当は分かっている。明るく振舞っているマリエッタの瞳には、心配の色が宿っていることを。これは彼女なりに私を励まそうとしてくれているのを。
婚約破棄から一週間。私は食事を摂ることも、眠ることもろくに出来なかった。部屋の中でぼうっとして、彼との想い出が浮かんではまた泣いて。頭の中にあるのは彼のことと、“死にたい”という気持ちだけだった。両親が心配して一緒に食事をしても、全部戻してしまった。
糸の切れたお人形。あの時の私の状態はまさにそれだったと思う。
そんな時、マリエッタは会いに来てくれた。
私の話を聞いてくれたり、一緒に泣いたり慰めたり、傍に居てくれた。しかも、暫くわが家に滞在までしてくれたのだ。
マリエッタのお陰で私は徐々に回復し、こうして庭に出られるまでになった。彼女は本当に、私にはもったいないくらいの人物である。もしマリエッタに何かあったら、絶対に直ぐに駆け付けようと決めた。
そんな大変お世話になったマリエッタからの好意を、私は無下に出来るだろうか。
結論。出来なかった。
舞踏会の日、私はお兄様と馬車に乗って王宮に向かう。
「リリー、本当に大丈夫? 今からでも引き返そうか?」
何故かお兄様、というか家族全員今日まで私が舞踏会に行くのを心配してくる。本当に出席でいいの? とかやっぱりやめる? などと聞いてくるのだ。
お妃様にさせる説は間違い?やっぱり、普通に心配してくれているだけなのかな。だとしたら、疑っちゃってごめん。
「大丈夫ですわ、お兄様」
「そう、なら良いけど……」
舞踏会のためにと、ドレスは新調してもらった。マリエッタ曰く、最近ではグラデーションに染まっているドレスが流行っているらしいので、今日の私は上から下にかけて夜明けの空のようなピンク色から青色になっている。空は好きなので、このドレスは気に入った。特に中間の色が混ざり合っているように見えるのが綺麗、と言ったらマダムが「紅掛空色と言うんですよ」と教えてくれた。素敵な名前。
ロベルトの目は、いつも透き通った青空色をしていた。
内面はどうあれ、見掛けは華やかな舞踏会。
お兄様にエスコートされて歩いていたら、次々とダンスを申し込まれた。
どうやら私は社交界に出ることが少ないため噂が一人歩きして、いつの間にか『妖精姫』などと言う二つ名を付けられていたようだ。マリエッタ、どうして教えてくれなかった。そう問い詰めたいところだが、彼女のいる場所に行く暇もない。
「あの『妖精姫』とお会いできるどころか、踊れるなんて! 近々いい事が起こりそうですな」
「まあ、うふふ」
私は珍獣か。
私と同い年くらいの男性、お兄様の友達だと言う男性、果てにはお父様と同年代の方とも踊った。笑顔の仮面が引きつりそうだ。これだから社交界って嫌い。
キリの良いところを見計らって「飲み物を……」と近くを歩いていた使用人に頼む。ずっと踊って喉が渇いていたし、飲み物を持っていればダンスを断れる。これぞ一石二鳥。
キョロキョロと辺りを見回していると、マリエッタを見つけた。他の男性と話していたけど、此方に気付いてくれた。私はマリエッタに近づく。
マリエッタはレモンイエローから若葉色のグラデーションをしたドレスを着ていた。彼女の快活な見た目によく似合っている。
「リリアナ! 本当に来てくれて良かったわ」
「ありがとう、マリエッタ。ええと、此方の方は……」
マリエッタと会話していた男性に視線を向けると、彼女は小さく手を叩いた。
「ああ、こちらはユリウス様よ。私の家の遠縁の、ギルフォード家の方で、今日はエスコートしてもらったの」
「初めまして、リリアナ嬢。あの『妖精姫』にお目にかかれるとは。光栄です」
「まあ、そんな。ありがとうございます」
うわ、出たよ、妖精姫。私は妖精なんかじゃなくて、普通の人です。
ユリウス様は、この国には多い茶色の髪と淡い青色の目をしていた。優しそうな容貌をしていて、今もにこにこと人のよさそうな笑みを浮かべている。
瞳の色が少しだけ、ロベルトに似ているな……。はっ、だめよリリアナ。もう彼のことは忘れなきゃ……
ユリウス様とは、いくつか話をすると何処かへ行ってしまった。私とマリエッタに気を遣ってくれたのかもしれない。
私は、マリエッタに王宮に来てからずっと聞きたかったことがある。
「ねえ、『妖精姫』って何のことかしら?」
「さあ、何のことかしらねえ」
オホホ、とマリエッタは笑ったけど怪しい。だって笑顔が引きつっている。それに、さっきユリウス様が私に『妖精姫』と呼んだ時、視線が泳いでいた。周りには分からない、ほんの少しの違いだと思うけど。話を逸らそうと思っても誤魔化されない。
私が笑顔で無言の圧をかけていると、彼女は根負けしたのか教えてくれた。
『妖精姫』と言うのは予想通りマリエッタが付けたようだ。それが徐々に広まり、今では私の通称になっているとか。そして最近では、私の夜会の出席率の低さも相まって、会ったり、会話をすると幸運になる、と言う噂が出来たらしい。私は珍獣でも四葉のクローバーでもない。
あまり顔を出さない間にそんなことになっていたとは。もっと積極的に参加するべきだろうか。でも、社交界って苦手なんだよな……
とにかく、先ずはマリエッタに本人への許可の必要性を説こうとしたが、私の声は遮られた。大広間のざわめきに。
何かと思って辺りを見回すと、玉座の方に視線が集まっている。話を中断してそこに視線を向けると、ようやく理由が分かった。遂に、本日の主役とも言っていい人物、ジークムント殿下が動き出したのだ。
令嬢達の表情は、緊張と期待で満ちている。誰が選ばれるのだろうか。最初のダンスに選ばれた人ほど、確率が高くなる。
ところで、気のせいだろうか。殿下が此方に視線を向けているような気がする。いや、それは自意識過剰だ。
そう思っていたのに、やはり此方に足を進めてきた。私達の周辺には年頃の令嬢が殆どいないのに。
私とマリエッタは顔を見合わせた。
え、なんかこっち来てない?
え? 嘘でしょ?
お互いにアイコンタクトを交わす。
ジークムント殿下は私達の前で足を止めると、それはそれは麗しい笑みを浮かべた。どうして此処に? マリエッタだよね? ねえ、そうだと言って!
だが、現実は無情である。
殿下は、よく通る声でこう言った。王子様って、声まで綺麗ナンダナー。
「私と踊っていただけますか、『妖精姫』?」
ねえ、何で私なの!?
それに、此処でも『妖精姫』か!!