12:赤面
ニコラスから、リリーがユリウス・ギルフォードと一緒に出かけたことを聞かされた。
「はあ!? 何で教えてくれなかったんだよ!」
「そんな反応をするって分かってたからだよ」
ニコラスの冷静な口調に言葉が出てこなかった。そうだ、こういう時は深呼吸だ。吸って吐く、吸って吐く。よし、少し落ち着いた。
「それで、どうして止めなかったんだ。あいつは要注意人物になってるんだぞ」
「そんなことは分かってるよ。本当に、僕が止めなかったと思う?」
ニコラスは笑顔だったけど、目が笑っていなかった。俺はすぐさま謝罪をした。
とりあえず、どういった経緯でそんなことになったのか聞くことにした。
リリーは、馬車を呼んでもらったお礼の品と手紙を送ったらしい。そうしたら、ユリウス・ギルフォードの奴はそれのお礼に一緒に出かけないかと誘って来たそうなのだ。何がお礼だ。そんなの、ただの口実じゃないか。
もしものために、ちゃんと護衛は付いていたそうだ。それを聞いてほんの少し安心した。
それから、リリーは何だか急に体調が悪くなってしまい、直ぐに帰って来たそうだ。複雑な思いだ。リリーの体調が心配だが、そのおかげで早く帰れたのだから。
ユリウス・ギルフォードめ、リリーと2人(護衛付き)で出かけるなんて。俺なんて、リリーの顔を見ることも話すことも文通することも出来ないのに……。ニコラスから聞くリリーの話と、自分で描いたリリーの絵を見て何とか補っているけど、本当はもうとっくに限界なんだ。リリー不足で死にそうだ。もう、ユリウス・ギルフォードは有罪で良いだろうか?
俺の心の声は漏れていたのか、ニコラスに落ち着けと宥められた。そして、証拠が無いことには捕まえられない、と懇々と言い聞かせられた。俺だってそのくらい分かっている。ただ、ちょっと考えてみただけだ。そう反論したら、嘘つけ、さっきのお前の目は、本気でやる気だったと返された。そんなつもりはない。
ニコラスの話はこれだけで終わりじゃないようだった。次の話も、多分それ程良いことではない。ニコラスは苦い顔をしている。
「……リリーは、しばらくの間夜会に参加するそうだ」
「はあ!?」
俺は思わず、また「どうして止めないんだよ!」と言ってしまった。ニコラスは「だから、本当に止めていないと思ってるのか!?」と返して来た。俺は謝罪をした。
同じことを繰り返していることが馬鹿らしくて、俺たちは思わず笑ってしまった。
「まあ、考えようによっては良いだろう? リリーが舞踏会に参加したおかげで、リリーに好意を持っているのが誰か分かったんだもの。それに、リリーのことは僕が見ているから大丈夫だよ」
「………」
確かに、リリーが来れば犯人は直ぐに捕まるかもしれない。でも、俺はリリーを守りたいから嘘までついたのに。それなのに、リリーが来るってどうなんだ? それに、囮役になって無事に守りきることなんて出来るのか?
そう呟くと、ニコラスは「お前は心配し過ぎなんだよ。いいから早く犯人捕まえて、リリーと結婚しなよ」と笑いながら言われてしまった。俺が心配し過ぎ。本当にそうなんだろうか?
ニコラスの話が終わったあと、俺はずっと気になっていたことを聞いた。
「そういえば、今リリーは、何に興味を持っているんだ?」
リリーは何かに興味を持つと、自分が納得するまでとことん追求する。ニコラスが止められないと言うことは、つまりリリーは、新しく興味のあるものが出来たと言うことだ。何だろうか?
「あ〜。う〜ん、それね……探ってみたんだけどね……」
「分からなかったのか?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
何だか歯切れが悪い口調だ。さっさと言ってしまえはいいのに。なにが言いたいんだ。ニコラスは意を決したようにして、口を開いた。
「リリーは、恋がしたいそうなんだ」
俺はかなりの衝撃を受けた。いつの間にか、ニコラスが去って行ったことに気付かない程には。
リリーが、恋? 俺がいるのに? いや、俺とまだ婚約者なのは知らないんだった。
でも、恋がしたい? 俺がいた時はそんなこと一度も言わなかった。気を遣ってくれていたのかもしれない。
恋、恋、恋……
その日はずっと“恋”という言葉が頭から離れられかった。
ニコラスが言った通り、リリーは何度も夜会に参加することになった。
リリーが行く夜会には、俺もこっそり参加しようとした。それなのに、ニコラスは「お前がいるとリリーがおかしくなる」と却下した。酷い。俺だってリリーを守りたい。それに遠くからでも良いから本物のリリーを見たかった。
同僚に相談したら、変装したらと言われた。俺はその言葉に従い、茶色いカツラを被ることにした。
俺の中でユリウス・ギルフォードは、もうほぼ黒になっている。時々、こいつは不審な動作と表情をした。疑って観察していなければ気付かないくらいだけど。ユリウス・ギルフォードはかなり周到だから、証拠は見つからなくて俺は苛立っていた。
それにしても、ちょっとリリーに近づき過ぎじゃないか? もっと離れろ、この野郎!
リリーは何日も続けて夜会に出ているからか、具合が悪そうだった。彼女に夜会は向いていない。きっと、無理が祟ったんだ。
リリーは透き通った白い肌をしているから、熱があったりすると赤くなって分かりやすい。今日のリリーは確実に熱がある。だけど、大抵の人はそれを、夜会で気分が上がっているせいだと思ってしまう。そして彼女は、自分の体調を隠してしまう人だ。
リリーの家族や友人は、リリーにあまり強く言えない。今話しているユリウス・ギルフォードは、リリーに熱があるのに気付いていないようだった。近くにいるんだ、気付けよ!
リリーはユリウス・ギルフォードと別れると、会場を1人で歩き始めた。色んな男に誘われても、蝶のようにひらりひらりと躱していく。だけど心なしかフラフラしていて、今にも倒れそうに見えた。だから、俺の前を気付かず通り過ぎた彼女に、つい声をかけてしまった。
「ご令嬢」
一応変装しているから、気付かれないかと思った。髪色を変えるだけで、結構雰囲気も変わるから。
だけど、リリーは気付いてしまったようだ。振り向いた金色の目は、こぼれ落ちそうなほど見開かれている。久しぶりに、リリーと話せる、近付ける、リリーの目には俺が写っている。幸せだ。
「ご令嬢、踊っていただけませんか」
口調を戻さなかったのは、ユリウス・ギルフォードに見張られていることを考えてだ。
俺は微かに震えながらも伸ばしてくる手を了承と取った。繋いだ手は、やっぱり熱があるのか熱くなっていた。踊りつつ、あまり目立たない場所に移動した。
リリーは何だか夢うつつとしていた。と思ったら、俺の顔をまじまじと見てきた。目の前にリリーがいるなんて、夢みたいだ。
俺はリリーに話しかけた。念のため、小声で。
「夜会に、行かないでくれないか」
「どうして?」
どうして。なんて答えようか。危険な奴がいるから?これは言えない。熱がありそうだから?これも言えない。言ったら寧ろ無理するのがリリーだ。じゃあ……
「……君が、他の男と話しているのが気に食わない」
これも本当だ。俺はリリーが他の男と仲良くしているのが嫌だ。自分で言っておいて、何だか顔が熱くなってきた気がする。
リリーは不機嫌そうな表情になった。多分、自分から振っておいて何言ってんだこいつと思っているんだろう。俺が逆の立場だったら絶対そう考える。しまった、言葉選びを完全に失敗した。
そうやって反省していたのに俺はまた、リリーの「いや」という言葉に不機嫌になってしまった。ああ、リリーの前だと、感情が上手く制御出来ない。
「どうして? お願いだ」
「いやったらいや」
リリーの口調は子供っぽくなっていた。
頼む、リリー。そう言おうとして、今はそう呼んではいけないことを思い出した。
「頼む、リリアナ」
「いや」
当たり前だが、リリーは了承してくれなかった。だとしたら、別の方法を考えるしかない。だけどもうダンスは終わってしまう。俺は焦っていた。
そうだ。
俺は唐突に、リリーが以前読んでいた恋愛小説の、お気に入りの場面を思い出した。リリーはあの話をすごく気に入っていて、何度も読み返していた。あれを実践しよう。
俺は、リリーの耳元に口を寄せた。
「頼む、家にいてくれ。リリー」
その途端、リリーの顔と耳は真っ赤に染まった。多分熱があるとかじゃない。それからリリーは目を伏せていた。助かった、俺の顔を見られないで済む。
ダンスが終わると、リリーは脱兎のごとく逃げ出した。俺はそんな彼女を見て、両手で顔を覆った。
「何やってんだ、俺……」
焦っていたからと言って、あれはない。俺は冷静になるとそう思えた。
絶対にリリーに変人だと思われた。最悪だ……。あれじゃあ、俺の頼みは聞いてくれないだろう。
だが、予想に反してあれからリリーは夜会に来なくなった。俺が原因か分からないけど、リリーが家にいてくれるなら意味があったな、と自分を慰めた。
ニコラスからはまた「リリーが変だ。またお前なんかしただろう」と聞かれた。今回は自覚があった。
あの日、誤ってぶつけてしまった柔らかい耳の感触と、彼女から漂う花のように甘い香りがしばらく忘れられなかった。