10:脅迫
それが届くようになったのは、リリーのデビュタント後だった。
「何だ、これ?」
俺の元には何通も手紙が届いた。それも差出人不明の。
内容は
『リリアナ嬢と別れろ』
『リリアナ・ソーントンとの婚約を破棄しろ』
『婚約者と別れろ』
といった、どれもそれ程大差ないものだった。だけど、何が目的なんだ? 気になったので、軽く探ってみた。
結果、あの日リリーを見たり話したりしたことで、心酔してしまった奴等がいることが分かった。確かにあの日、リリーはとても目立っていた。不埒なことを考える輩が出てもおかしくないくらいに。だから俺は、絶対にリリーを1人にしなかった。きっとそいつらは、その行動に不満を持ったのだろう。そういう奴等が出てくることも予想していた。
俺は舌打ちをした。だからリリーを人前に出したくなかったんだ。リリーの容姿は本人にその気がなくても、人を惑わせる。
俺は筆跡鑑定を依頼した。犯人は見つかった。
この国では貴族が貴族を脅すのは犯罪だ。貴族が平民を脅すのは合法だが、俺はそれをするのも、する奴も好きじゃない。
俺は手紙を証拠に犯人を捕まえた。大抵は罰金を払っておしまいだが、中には余罪がある者もいた。俺は犯人一人一人にしっかり釘を刺しておいた。怯えていたので、そいつらはもうやらないと思う。ニコラスには、お前が打ち込んだのは釘じゃなくて杭だと言われた。そうやって俺は対処していくから、徐々に手紙の数は減っていった。
そう言えば、リリーに恋文が届いたと聞いたことって無いな。俺にこういう手紙は届くけど。そう思ってリリーにそれとなく聞いてみたけど、届いたことが無いと言った。おかしく無いか?
後でニコラスに聞いたら「家の使用人は優秀なんだ」とだけ返ってきた。使用人か。確かにあの執事は凄いよな。あの人がどうにかしているんだろうか?
そんなある時、俺の家にはまた手紙が届いた。リリーと別れろと言ういつもと変わらない内容。差出人不明なのも同じだ。ただ、字は新聞の切り抜きで筆跡鑑定は出来なかった。
切り抜きの手紙は以前にも来たことがあった。犯人は分からなかったけど、その時は一通だけだったので今回も直ぐに終わるだろうと俺は楽観視した。
だが、予想に反して切り抜きの手紙は何通も届いた。そこで漸く真剣に考え始めたが、手掛かりが無い。職場にも相談したが、誰も名案が浮かばない。どうすればいいか焦っていた。
「……ねえ、ロビン。ロビンってば」
俺はその声と揺さぶられる感触で気付いた。そうだ、今はリリーの家にいるんだ。いつのまにか自分の考えに耽ってしまった。むうっと頬を膨らませているリリーに慌てて謝罪する。
「済まない、リリー。何の話をしていたんだ?」
俺の言葉にリリーはまた頬を風船のようにぷくっと膨らませたが、頭を撫でると徐々に小さくなった。そしてまた笑顔で話をしてくれた。
リリーと過ごしているのに別のことを考えるなんて。俺は反省した。
リリーと街を歩いていた時、俺は何だか視線を感じた。じっとりとした、悪意のこもった視線だ。辺りを見渡したが、何処からかは分からない。
「ロビン、どうしたの?」
「いや、何でもない。行こう」
その時は、あの手紙のせいで疑心暗鬼になっているのだと思い、気に留めなかった。
だけど、翌日届いた手紙は、いつもと違う内容だった。
「これは……」
其処には、昨日の街での行動が事細かに書かれていたのだ。そして最後に書かれていた言葉。
『お前のことは見張っている。早く婚約を破棄しろ。彼女がどうなっても良いのか』
やはり、あれは思い込みなんかじゃ無かったんだ。こいつは尾行していた。
手紙の主は特定できない。尾行されていたことにも気付けない。こんな俺が守れるのか。ただの脅しかもしれないが、万が一、リリーに何かあってからでは遅い。
俺はリリーに婚約破棄を告げることにした。
とは言っても、婚約というものはお互いの親同士によって決められるものだ。最近は本人同士で決めることもあると言うが、俺とリリーの場合は前者である。つまり、リリーの父親に話を通さなくてはいけない。俺はリリーに告げるだけだ。
そもそも、婚約破棄をするということは大変な醜聞だ。家同士の関係も大きく変わる。それに、俺はリリーと別れたくない。彼女はどう思っているか分からないが……
手紙の主は俺を尾行している。そのことを利用することにした。
決行の日、俺はリリーと喫茶店に行った。多分だけど、あいつはまた何処かに隠れている。あの嫌な視線を感じた。
「ねえロビン、話って何?」
ああリリー、済まない。本当に済まない。俺は君を傷付けたくなんて無い。だけど、誰かに傷付けられるのも、同じくらい嫌なんだ。無事でいてほしい。
俺は嘘をつくのが下手だ。リリーに嘘をついても、いつも直ぐにバレてしまっていた。だけどあの日の俺は、一世一代の名演技を披露したと自負している。
「済まない、リリー。婚約を破棄してくれないか」
別れる理由には「好きな人が出来たから」と言った。俺には、嘘でもリリーが嫌いになったなんて言えなかった。嘘をついている間、俺はリリーの顔が見れなかった。傷ついた表情をされたら、嘘だとバラしてしまいたくなる。
だがリリーは、思ったよりも簡単に了承した。揉めなかったことにはホッとしたけど、寂しくなった。俺にとっては大切な10年間だったけど、リリーにとって大したものじゃなかったのか。
家まで送ると言ったら遠慮されたが、俺は引かなかった。手紙の主に何をされるか分からない。リリーは渋々頷いてくれた。
帰りは殆ど無言だったけど、リリーがポツリと俺の家を通りたいと零した。俺は迷わず了承した。
俺の家を見るリリーの金色の目は寂しそうだった。何度も遊びに来ていたから、色々と思い出してしまったんだろう。俺との思い出も、少しでも覚えていると良いなと希望を持ってしまった。
「送っていただき、ありがとうございました。ごきげんよう、ロベルト様」
リリーは社交モードになっていた。余所余所しい口調に作り笑顔。俺に向けてきたことは今までなかったので、かなり辛かった。だが何より辛いのは、彼女が『ロビン』と呼んでいないことだった。
ロビンと呼んでほしい。
その言葉を、俺はグッと飲み込んで別れた。
やっぱり、リリーは俺との婚約が嫌だったのかもしれない。だったら本当に破棄するべきなのか。
家に帰ると、ずっとその考えが脳内に占めていた。
翌日、手紙は届かなかった。寝不足のまま職場に行くと、待ち構えていたニコラスに怒鳴られた。
「昨日、お前と家に帰って来てからずっと、リリーは部屋に篭って出てこないんだ! 僕の妹に何をしたんだ!」
長い付き合いだが、普段穏やかに振る舞っているこいつが、こんなに激昂したところを初めて見た。だが、俺はそのことよりもニコラスの言ったことに衝撃を受けた。
「リリーが、部屋から出てこない?」
「そうだ! それに中から啜り泣く声が聞こえる!お前が泣かせたんだろう!」
「まさか、そんなはずない!」
だって、昨日のリリーは淡々としていて、俺との別れなんて別に平気そうだった。涙なんて一粒もこぼさなかった。だから別に、彼女は俺のことなんて――
徐々に声が大きくなってしまったせいか、人が集まって来た。そんな中、俺たちを制止する声が聞こえた。
「2人とも、落ち着きなさい」
その声は丁寧な口調だが、従わざるを得ない迫力がある。俺たちは一旦口を閉じた。声をかけて来たのは、一応俺たちの同僚である、ジークムント殿下だった。
殿下はリリーとはまた違った雰囲気だが、人とは思えないところが似ている。性格はまあ、アレだが……。とにかく、殿下は俺とニコラスのことを気に入ってくれているのか、良く話しかけられるのだ。
「一体、2人ともどうしたのですか? 私についておいでなさい」
優雅な足取りの殿下についていくと、殿下の部屋(と俺は呼んでいる)に到着した。此処は王族のためにある特別な部屋だ。殿下と話していると、時々忘れてしまうが、此処に来るとやはり殿下は王族なんだなと実感する。
殿下は質のいいソファに座ると、対面に座るよう促した。俺とニコラスはそれに従う。
「さあ、何があったのです?簡潔に、分かりやすく説明なさい。先程と違って冷静に」
俺たちは一人ずつ、なるべく分かりやすく説明した。殿下には、俺の婚約者でニコラスの妹であるリリーのことは、元々話してあった。そして俺のリリーへの気持ちも。だから殿下の理解は早かった。だが、俺たちはまた喧嘩しそうになった。というか、俺の発言にいちいちニコラスが反応してきた。
「――だから俺は、リリーに婚約破棄を告げることにしたんです」
「お前、そんなことをしたのか!?」
「――それで、『好きな人が出来たから』と言いました」
「最低だな!」
その度に殿下は「落ち着いて、ニコラス。話はまだ終っていません」と宥めてくれた。
話し終わると、殿下は細くしなやかな指を顎に当てて考え始めた。剣なんて、生まれてこの方持ったことが無いような指だ。だけど殿下は強い。
「ふむ……成る程。ニコラス、ちょっと耳を貸しなさい」
殿下はニコラスに何かごにょごにょと囁いた。俺には全く聞こえない。何を話しているんだ?
「はい、その通りです。ですが殿下、妹は……」
「大丈夫、分かっています。貴方の妹のために、私も秘密にしておきましょう」
殿下の言葉にニコラスは安心した顔で「ありがとうございます」とお礼を言った。だから何なんだ一体。
殿下は俺に視線を向けると含みのある顔で笑った。何か黒いものが蠢いている。
「それで、ロベルト。ご自分の婚約者を泣かせてまで、嘘をついてまで守りたかったんでしょう?」
「リリーが、俺のために泣くわけが――」
「それはこの際結構です。で、もう犯人は見つかったのですか?」
俺が言葉に詰まると、殿下は楽しそうに笑った。
「……まだです」
「それは大変ですね。私も何か手伝いましょうか?」
「いえ、お気持ちだけで充分です」
この人に手伝ってもらうと、絶対大変なことになる。
殿下はクスクスと上品に笑い「そうですか、頑張ってくださいね」と俺たちを追い出した。あっさり引かれると逆に怖い。
その後、俺とニコラスはもう一度話し合った。殿下が一度間に入ってくれたお陰で落ち着いて話せた。
ニコラスは「絶対に婚約破棄しちゃ駄目だ。父上と母上には、僕が事情を説明しておくよ」と言ってくれた。俺はひとまずニコラスの言葉に従うことにした。こいつのアドバイスが間違っていたことは、今まで一度もない。
俺がリリーにしたことにニコラスは怒ったけど、彼女に真実を伝えなかったことは一応褒めてくれた。そして、ニコラスも言わないことを約束した。
こいつも良く分かっている。リリーが、何と言うか……一直線なことを。昔、星は取れないという言葉に不満を持って、屋根に登って取ろうとしたことを俺は忘れていない。そんなリリーに教えたら、絶対囮になって犯人を捕まえようとする。彼女はそういう性格だ。
それから1ヶ月程、犯人探しに尽力した。ニコラスの他にも、色んな人に手伝って貰った。だけど見つからない。
犯人はやはり、俺とリリーが話していたのを見ていたようで、あの日から手紙がぷっつりと途絶えた。
八方塞がりだ。
「ロベルト」
ニコラスが俺を呼んだ。
こいつはここ1ヶ月程、ずっとリリーの様子を教えてくれた。「リリーが食事をしない」とか「食事をしても吐いてしまった」と聞くと俺は心配で会いたくなり、「リリーが友達のマリエッタのお陰で、だんだん元気になって来た」「久し振りに笑顔を見せてくれた」と聞いても顔が見たくなった。辛い。
最近は元気そうだと嬉しそうにしていたのに、何だか今日のこいつは浮かない様子だ。リリーに何かあったんだろうか。
心配で早く話してくれと急かすと、ニコラスは重い口を開けた。
「リリーが今度の王家主催の舞踏会に、参加することになった」
俺は言葉の意味を理解するのに、しばらくの時間がかかった。