羊の行商人
緩やかな傾斜が続く道を進んでいくと、丘の上から風車の羽根が見えてきた。
既に日は高く上り、頭上を過ぎようとしている。
進むにつれて視界に広がっていく麦畑は、収穫時期を迎えているようだ。
黄金色に輝いている部分と、既に収穫された土の部分が見える。
まるで教科書で見た農村の風景だ。なんだか不思議と懐かしい気持ちになる。
「あー!羊の兄ちゃんだ!」
「薬草取ってこなきゃ!」
村の中心へ近づくと、子供達が歓声を上げて散っていく。
その騒ぎに気づいた大人たちも久々に来た行商人に顔を綻ばした。
魔王を打ち倒した勇者が呪いによって新たな魔王となった。
そんな噂を証明するかのように、一時期減っていた魔物が増えだしてから、ここのような小さな村々には、高い護衛を雇ってまで商人は来なくなってしまったそうだ。
「おお、カルムじゃないか、よく無事だったなぁ」
「そりゃあそうさ、この可愛い羊ちゃんが居れば魔物もメロメロよ!」
荷車の主であるカルムは、荷台から降りると、動力源の羊たちを撫でまくっている。
勿論、魔物羊の姿では驚かれてしまうので、カルムの幻術で普通の羊に見えるよう誤魔化している。
それでも若干大きいが。
「相変わらず馬じゃなくて羊なんだな」
少し呆れたように体格の良い壮年の男がその様子を眺めている。
本来荷車は馬やロバが引く物なのだ。
羊では足も遅いし、荷車を引く力も弱いので滅多に使われることはない。
羊は毛や乳を取るための生き物というのが世間一般の常識だろう。
カルムはそうではないようだが。
荷物整理や商売の基本を教えてもらって1日と少しの付き合いだが、カルムは羊愛好家だ。
もはや狂信者と言ってもいい。
羊と四六時中一緒に居るためだけに行商人をしている変人。
「馬も可愛いけど、俺にとっては羊のほうが何万倍も可愛いんだよなぁ、見ろよこのメリアラちゃんの艶かしい角の曲線を! この角度の子は珍しいんだ。なんていってもこの子が生まれたのは遠く離れた西の大草原地帯で」
「はいはい、ストップ。羊が可愛いのはよーくわかったから、早く車を広場まで移動させて下さい」
荷台から降りた僕は、前のめりでおじさんに羊の愛らしさを語りまくる男の頭を掴む。
と、すごい勢いで僕の手を払いのけ、「わかってるよ!」と叫んだ。
カルムは血筋にハーフリングという小柄な種族が居たらしく、先祖返りで背が小さいのをかなり気にしている。
ので、かなり効果的な手法だ。
「そうだオヤジ、短剣買い取ってもらいたいんだけどいいか?」
「お前が武器を扱うのは珍しいな。いいだろう、査定しといてやるから寄越しな」
確認を取ると、カルムは懐から僕が持っていた短剣を取り出し、おじさんに渡した。
話しぶりと体格の良さから察するに、彼は鍛冶屋を開いているのだろう。
短剣を見るなり、おじさんの目つきが鋭くなる。
「これは……お前、これをどこで手に入れた」
「ここから1日くらいの場所にある森の近くさ、森で拾ったって男が売りつけてきたんだよ」
「どんな男だ?」
「え、何? 気になっちゃう? オヤジそっちの趣味が?」
カルムが茶化すとおじさんがの眦がギリッと上がった。これは怖い。
睨まれた本人は気にした風もなく、手をヒラヒラさせて余裕の表情だ。
「冗談だよ、オッサンだった、身なりは冒険者か盗賊か、怪しいラインだったな」
「素直に買ったのか、お前が?」と、おじさんはかなり驚いている。
「かなり安く買い叩いてやったから損はしないと思ってさ。そうだ、ソイツからウルフも二匹引き取ったからそれも頼む」
しれっとウルフの買取まで押し付け「色つけてくれよ」と、にやーと笑う。
その様子に呆れたようにおじさんは肩を竦めた。
「ウルフまであるのか、まぁいい、それは後で店まで持ってきてくれ。代金といつもの商品はお前がこの村を発つ前には用意しとくよ」
「りょーかい。それで、次はメリルちゃんの説明なんだけどな?彼女は全体的にシュッとしていて」
「カルム、早く荷物を広場に運んでください、その大事なメリアラとメリルが待ちくたびれてますよ」
再び始まりかけた羊の話に無理やり割り込む。
わざとなのかは分からないが、カルムの話は本当に長いのだ、肝心の商売すら忘れている気さえする。
不満そうではあったが羊たちと荷車を連れて広場へと進みだしたことにホッとした。
「いやぁ、助かったよ、あいつの羊談義は長くてたまらん」
「分かります。いい人なんですけど、あれは苦痛です」
広場へ向かうカルムたちを見ながら、おじさんと笑い合う。
僕もここへ来る途中、羊について何度も暑苦しく語られてしまっていた。
なんとか軌道修正させて、商売の基礎を教えてもらえたのだが……あの悪癖は今後ずっと続きそうな気がする。
慣れるべきか、丸め込む術を磨くべきか。
「申し遅れました。僕は少し前から、カルムさんの護衛と商売の勉強をさせて頂いている、クロードです」
「へぇ、護衛ねぇ」
そう言って、僕をしげしげと見定めるかのような視線を送られた。
痩せた細い体、清潔感を出すため、短く切られた黒髪に眼鏡。
魔法使いのような風貌の腰に下がっているのは、似つかわしくない古びた長剣だ。
とてもではないが、護衛というより、護衛の役割を与えられただけの商人見習いのように見えるだろう。
「悪いが、あいつの護衛より、大きな町の商人の所で働いたほうがいいんじゃないかなぁ」
「最近まで体調を崩していまして……戦闘経験は少しはありますから大丈夫ですよ」
そう言って力瘤を作ってみせる……が、自分でもかなり心もとない雰囲気だ。
「うーん、俺は鍛冶屋を開いているんだが、降ろし先でよければ紹介できるぞ?」
「ありがとうございます。ですが、まだ体調も戻っていませんし、お気持ちだけで」
丁寧に断っていると広場に着いたカルムと荷車が子供達に囲まれているのが視界に入る。
自分の役割を思い出す。彼を手伝わなければ。
「それに、カルムさんには恩があるんです」
そう言って駆け足で広場へ向かうと、店を出す準備に合流した。
クロードの髪の毛はカルムが羊用のハサミで切ってくれました。