羊との出会い
意識が浮上してくる。耳の奥にこびり付く少女の笑い声、あの時からずっと見続けている悪夢だ。
振り払うように身じろぐと、なんだかふわふわとした感覚に包まれていることに気がついた。
自宅のベッドではない、王城の客室よりも心地よい感触がする。
すごく寝心地がいい。
しばらくまどろんでいたが、自分が寄りかかるふわふわの正体を確かめるべく、ゆっくりと体を起こした。
「う……? ひつじ? うわぁ!」
目の前に現れたのは魔物羊のメェフィだった、魔族領のカラフト草原に住む気性の荒いメェフィがどうしてここに?
僕は魔物に寄りかかって寝ていたのか?
驚いて立ち上がると、今度は正面の木にウルフ達が逆さに吊るされているのを見て、思い切り尻餅をついてしまった。
昨日の恐ろしい赤を思い出して、背中にぞわりと嫌な感覚が走る。
「おはよう、体の具合はどうだ?」
「お、おはようございます」
背後からかかった声に反射的に答える。誰だ?
あの後どうなったんだ?なぜ僕は生きている?
男は楽しそうに笑いながら、手を差し出して握手を求めてきた。
「俺はカルム、行商の途中で、あんたが森で襲われているのをうちの羊たちが見つけてね、覚えてるか?」
「はい、ソレを見てハッキリ思い出しました……」
求めに応じながら、もう一度吊るされたウルフに視線を移す。
寝起きに最高の光景だったよとは言わないが、おかげで目がしっかりと覚めた。
カルムと名乗ったのは多分、僕と同じくらいの青年だ、赤毛でちょっと背が小さく、目つきがかなり悪い。
自分の状態を確認すれば体を拭われ、服も着替えている。
彼が助け出して、手当てまでしてくれたのだろう。……追われた元勇者だとも知らずに。
「僕はクロードといいます。手当までして頂いて、なんとお礼を言えばいいか」
「ん? クロード? ランスロットじゃないのか?」
気が付かれていた。
ウルフに襲われていたときよりも暗い気持ちになる。
以前も似たようなことがあった、スラム街で僕に気が付いたお婆さんが匿うと言って家に入れてくれた時だ。
「きっと何かの間違いよ」と涙ながらに僕の手を取り、食事を与えてくれたのだ。
僕を信じてくれる人が居る。それだけでどれだけ救われたことか、心に力が戻りかけたその夜。
――衛兵がその家に押し寄せたのだ。
「森で拾ったときからもしかしてとは思ってたよ、あんなに光の精霊に好かれてるし、その容姿だし」
笑顔で羊の世話を始めるこの男も、次の町に行けば衛兵を呼ぶのだろう、毒入りの食事を与え、懸賞金をよこせと叫んでいた老婆のように。
護身用の短剣すら失った状態では、もはや逃げることも出来ない。
「……僕の逃亡生活もここで終わりか」
膝を抱え今後のことを考えてしまう。
衛兵に捕まればまず牢に入れられ、そこから護送用の馬車に乗せられて王都に逆戻りだ。
そして、目抜き通りの広場で首を落とされるのだろう、魔女裁判のように火あぶりかもしれない。
娯楽の少ないこの世界の事だから、僕の処刑でお祭り騒ぎをするんだろうな。
子供はいつもと違う空気に興奮して走り回って、大人はエールなんかを飲みながら笑うのさ……はは、そりゃ愉快だ。
「とりあえずクロードでいいんだよな? 硬パン食えそう? きつかったら煮ちゃうけど」
鬱々と自分の処刑風景を思い描いていると、いつの間にか朝食の準備を始めたカルムが緊張感の無い声で調理方法を聞いてくる。
ここしばらくの間まともな食事をしていない僕には、硬パンなんて食べても吐き出してしまうだろう、まさかそんな心配をしているのか?
餓えて体力のないままの方が衛兵に引き渡しやすいだろうに。
「あの、僕を衛兵に突き出さないんですか?」
「それならボロボロのまま簀巻きにして運んでるさ、パン煮るぞ?」
けらけらと笑い、合理的なことを言いながら硬パンを砕いて鍋に入れていくカルム。
確かにその通りだ、突き出すつもりなら僕だってそうするだろう、本当に助けてくれる気なのだろうか。
信じてもいいのだろうか。
「俺の実家さ、きこりやってるんだよ」
疑心に苛まれながら、食材の入った鍋をかき混ぜる姿をじっと見つめた。
「一年位前かな、森にエルダーウィローが出現してさ、森は魔物だらけで滅茶苦茶。通りかかった勇者一行が片付けてくれなかったら廃業だった」
「……」
魔王討伐の旅の最中、確かに魔物の討伐も行っていた。
エルダーウィローには覚えがある、古木が次々に瘴気を吸って魔物になり、他の木々を枯らして森を破壊していた。
小さな村では倒すことも出来ず、ただただ森が滅んでいくのを待つだけの状態だったが、仲間の魔法使いの防衛陣と光の精霊の瘴気払いによって事なきを得たのだ。
「廃業してたら俺は確実に実家に連れ戻されてた。こんな自由に羊たちと旅なんか続けてられなかったのさ、だからほんとーに感謝してる」
そう言って頭を下げる男の言葉は物凄いエゴの塊だった。
良い話かと思ったらこれである。
大体、メェフィを使役できるほどの実力があるのなら、エルダーウィローなんて木っ端微塵だったんじゃないかな。
普通は隠すはずの本音を話す男の話を、なんともいえない気持ちで聞いた。
「勇者ランスロットは俺の故郷だけじゃなく、俺自身の恩人なんだ、いくら王都から反逆者だって言われたからってそんなもん簡単に信じられるかよ」
王都への悪態を憎憎しげにつぶやきながら木の器に完成したスープを注いでいく。
とても演技だとは思えない。
肉と香草の匂いがあたりに漂い始める。
この期に及んで毒が入っているのではと疑ってしまう自分が惨めに思えた。
「俺はお前を信じてるよ」
お世辞にも優しいとはいえない笑みを浮かべて、カルムがスープの入った木の器を僕に差し出す。
受け取った器に入った暖かなパンスープをじっと見つめた。
あれだけ勇者排斥の声が上がる中、手当てをしてくれ、新しい衣服を与え、体調を気にした食事まで用意してくれた。
もう一度だけ、もう一度だけ人を信じてみたい。
恐る恐る口に入れたスープはとても美味しかった。
よく煮られたパンと干し肉は柔らかくて香草が食欲を掻き立てる。
夢中になって食べだすと、先に食べ終わったカルムが立ち上がった。
「足りなかったら残りも食べていいからな」
そう言って鍋を指差すと、今度は吊るしていたウルフを回収し始めた。
逆さ釣りのウルフを調べてはニヤニヤしている。なんだか変わった人の様だ。
そうだ、彼はウルフからも助けてくれたじゃないか。
引き渡すなら死んでからでも良かった筈なのに。
結局、鍋に残っていたスープを残らず食べ終え呆けていると、荷物を馬車に積み込んだカルムが戻ってきた。
そして僕が落したと思っていた短剣を掲げてニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「コレで勇者には死んでもらおうか」
羊がメェーと鳴いた。
次はカルム視点の話を投稿します。