ある勇者の末路
ボロボロの外套を羽織った男が、暗い森を猛然と駆け抜けている。
自分の鼓動が、呼吸がうるさい。
酸素不足でガンガンと響く頭を気合でねじ伏せ、ひたすら前へと足を動かす。
後ろから迫る獣達に追いつかれるのは時間の問題だろう。
ウルフ達の狩りはとてもしつこい事で有名だと教えられていたが、実体験はしたくなかった。
背後と足元の木の根を気にしながら「僕なんか食べても腹の足しにならないぞ」と、心の中で叫ぶ。
追っ手から逃げ回って、体感三ヶ月ほどだろうか、まともに食事も睡眠も取っていない自分の体は食べ応えが無いと思う。
むしろ食べたら食あたりを起こすんじゃないだろうか?
危機的な状況で下らない事を考えながら、背後に迫る獣の息遣いに唯一の武器である短剣を握りしめる。
この世界に来た時に言葉を教えてくれた神官が、お守りにとくれた短剣だった。
あの頃はこんな惨めな事になるなんて夢にも思わなかったけれど。
飛び掛ってきたウルフを振り返りざま短剣で斬りつけて攻撃を凌ぎ、勢いのまま後ろへ後ずさる。
追撃の呪文――『貫け!』
漂う精霊に残り少ない魔力を捧げ、短剣を軸に複数の光の矢が一匹のウルフの体を貫く。
これで引いてはくれないだろうか? 痩せた男一人、割に合わないと思って貰いたい。
そんな願いとは裏腹に、光の残滓を踏みつけてウルフが前へ飛び出してくる。
向こうも久しぶりの餌を見逃す気など無いのだろう。
仲間の死など構わず、痩せたウルフ達の目は殺意と餓えでギラギラと輝いている。
「くそっ!」
半身をずらして牙をかわしウルフの首を肘で思い切り突いて跳ね飛ばす。
続くように飛び掛ってきたもう一匹の爪を短剣で弾いた。
体術もそれなりに学んではきたが、逃亡生活で弱った体ではたいしたダメージが与えられない。
ウルフ達は全部で八匹居た。残りは六匹、すべてをこの短剣で仕留めるのは無理だろう、あと三匹も倒せば血脂で使い物にならなくなってしまう。
肩で息をしながら、状況を打開する方法が無いかを探っていくが、残念なことに頭が回らない。
せめて後一回分の魔力が残っていれば――
そうこうしている内に、先ほど突き飛ばしたウルフが首を振りながら起き上がってしまった。
唸り声を上げて近づいてくる群れに対し、ゆっくりと後ずさる。
王都から逃げた時よりも辛い状況に、嫌な汗が流れた。
重い体を無理やり動かし、次々と飛びかかってくるウルフを凌いでいくがきりが無い。
なんとか二匹を倒したところで、疲労から、グラリと視界が揺れた。
「ぐっ…」
その隙を逃さないかのように体当たりを受け、地面へ勢いよく叩きつけられる。
僕の首を狙い、眼前に迫るウルフの赤黒い大きな口が視界に広がった。
――なんてつまらない人生だったんだろう――
意識を失う瞬間、視界が紅く染まったような気がした。
■■■■■
「※※※※※※※※※!!」
ああ、バグっているのか。そう思った。
開発中のVRゲームを起動してすぐのことだ、導入部の台詞がすべて聞いたことの無い言語になっていた。
確かに言語設定をしたはずなのに……まぁいいか。
こういったFPS(一人称)視点のゲームで入力するのは名前だ。
だから多分、この王様のようなNPCは僕の名前を聞いているのだろう。
辺りを見回すといかにもな謁見の間が広がっている。
ゲームの説明は勇者であるプレイヤーが国を脅かす魔王を打ち倒すというありきたりな物であったが、ここまで映像にリアリティがあるなんて。
起動時のノイズはとてつもなく酷かったが、グラフィックは素晴らしい、まるでダラム城のようだ。
何百年も存在し続けたような古臭い感じがまたいい。
部屋を囲む騎士達にもちょっとした差異がある、モデルの使い回しをしていないのか。
これは後で高評価をしなければ。
「※※※※※!?」
素晴らしいグラフィックに感動していると王様に急かされてしまう。
うーん、名前か。この前大学の友人達と遊んだゲームのキャラでいいかな。
「ランスロット」
まさか、この適当に決めたはずの名前で、ずっと呼ばれ続けるとは思ってもいなかった。
「ランスロット様」
可愛らしい声に振り返ると、暗い空間に華やかなドレスを着た女性が佇んでいる。
美しい銀の髪を編み上げ、胸の前で祈るように手を組むその姿は、まるで聖なる乙女だ。
「魔王討伐の旅、お疲れ様でした」
にこりと女性が微笑む。
別の世界に居ると気がつくまでそう時間はかからなかった。
軽いとはいえ、ヘッドセットの窮屈さや、握っていたはずの片手式コントローラーの感覚が無い。
音声での画面操作もできず、ステータス画面が開かない。
まさか、ゲームの世界に吸い込まれたのでは?
漫画の読みすぎだろうと思ったが、それしか考えられない。
情けない話だが、いよいよ別の世界だと確信したのは用を足した時だったりする。
もしあのゲームが催眠状態を作り出すとか、なにかしらのバグだったら大惨事になるからだ。
結果、この世界は別の世界だと確信できた。
ほっとしたような、これからどうしようという不安に冷や汗が止まらなかったのを覚えている。
そんな不安をよそに、まるでゲームのクエストをこなすかのように道が指し示されていた。
魔王の討伐。
ゲームの説明にもそんな内容が書かれていた。
選ばれし勇者が仲間と共に、王国を脅かす魔王を打ち倒す物語……と。
言語や精霊魔法を優しい初老の神官に教えもらい、軍国主義に染まったような騎士に戦い方を習った。
魔王の討伐。それが元の世界に帰る為に必要なことだと信じて。
討伐までは2年もかかった。
盛大に向かい入れられ、セレモニーが開かれることになった時、これで帰れると思ったし、何者でもない一般人にも戻ってしまうのが少し残念だった。
そんな浮かれた気持ちを吹き飛ばしたのは、目の前に居る美しい女性だ。
「これでわが国は更に大きく発展することでしょう」
「レティア姫……」
姫とは召喚されてからとてもいい感じだった。
彼女は可愛かったし、何より、見知らぬ世界に来た僕の心の支えになってくれた。
慈愛に満ちた表情で姫が微笑み、僕を見つめる。
忘れもしない、魔王討伐の為に使用していた武具を返還したときと同じドレスだ。
「魔王亡き今、勇者はもう用済みです」
「レティア姫!」
「ごきげんよう」
優雅な淑女の挨拶と共に僕の足元が崩れていく。
楽しそうな彼女の笑い声だけがいつまでも響いていた。
ちゃんと拾う神がおりますので、もうちょっとお付き合いいただければ……!