ある二人の刑事
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43「情報屋ティッキー」
49「黒羊と季節を売る人」
うどんチェーン店『ラッシャイ』の店内に、二人の男がいる。
一人はきちんとプレスされた灰色のスーツ姿で、七三分けの黒髪と銀縁眼鏡の優男だ。
もう一人はくたびれた黒のスーツに、同じくくたびれたベージュのトレンチコートを羽織っている。防重酸性雨機能なし。
くたびれたほうの男はがっしりとした顎に無精ひげを生やし、角刈りに意志の強そうな太い眉毛。その下にある三白眼は鋭く、ただ見ているだけで射抜かれるような圧を感じる。
優男のほうは波濤蓮司。
くたびれた男は黒沼道三といった。
二人は刑事で、今は熱いうどんを食べている。
「沼さん。羊の蹄、出てきますかね」
蓮司がきつねうどんに七味をかけながら聞くと、大盛り肉うどんを啜っていた道三が、目だけで蓮司を一瞥した。
「知らん。奴らは狡猾だからな」
ずるる、とうどんを啜ったあと、道三は蓮司から七味を奪うようにして自分の器にかける。
汁が真っ赤に染まったが、道三は気にせずスープを飲む。
全身が温まっていく感じがたまらない。
「今回の情報も、奴らが流したフェイクの可能性もある」
「警戒されますね」
「警戒を覚えた獣はより狡猾になっていく。その点、蹄の頭は相当警戒心が強い」
「なら、なおさらガセの気配濃厚ですね。こんなところに来るとは思えない」
二人のいる『ラッシャイ』はBランクの端にある。
道を少し行けば、饐えた臭いのする貧民街に端にたどり着く。
「阿呆。こんなところだから来るんだろうが」
『ラッシャイ』の入っているビルの真向かいに、もう一つのビルがある。
壁に埋め込まれたプレートには、擦れた字で『サボ・コーポレーション』と書かれていた。
窓はいくつも割れていて、三階などは窓枠に青いビニールシートがかけられている。
二階は電気もついておらず、唯一最上階、四階の雀荘だけ明かりが漏れていた。
「イケイケの人間が高級街で遊んでいるのは当然。そんなのマークされるに決まってる。だがここなら」
「誰に見られることもなく“遊べる”と」
「そういうことだ」
道三はずるるるっと最後の麺を啜り切ると、汁もすべて飲み干す。
それから親指で唇を拭いてから、やっと真正面から相棒である蓮司を見た。
「ところでよ、蓮司」
「なんですか?」
「俺たちが追ってるヤツらの名前、油断して口にしてんじゃねぇぞ」
「……え?」
道三の目が蓮司からその背後、労働者風の男たちに油断なく向けられる。
誰も二人を気にしていない風だが、その“気配”はありありと感じられた。
「今日はここでお前と飯を食うだけになりそうだ」
「……!? すいません、僕……」
「バカ、遅ぇよ。つーか、謝るようなことしてんじゃねぇ」
道三はプラスチックのコップを取って、喉に水を流し込む。
「早く食え。出るぞ」
「……はい」
熱さと辛さに噎せながら、蓮司がうどんを食べきる。
道三は素早く立ち上がり、自分と蓮司の分の器を取って返却口に戻した。
「ありあとあしたー」
ほぼすべて機械任せの中で唯一いる本物の人間が、機械的に言うのを聞き流して、道三は蓮司と店を出た。
「蒸し暑いな」
外は重酸性雨の雨が降っていた。
風は温く、トレンチコートを脱ぎたくなる。
そんなことをすれば道三の両腕の義手が早くダメになるので脱ぎはしないが──。
上空を飛ぶ飛行船から『陣内製薬』の広告が流れる。
白と青とピンクに黄色、様々なネオンが道三の目を眩ませる。
「すいません、沼さん。僕、本当に……」
「いい。よくあることだ。それよりお前、傘持っとけ」
「はい」
道三は開いた黒い傘を蓮司に持たせ、その間に懐からドラックパックを取り出す。黒いフィルターの『猿人』を口に咥え、火を点ける。
二口ほど吸ってから、蓮司から傘を受け取った。
「行くぞ」
「はい」
蓮司も自分の黒い傘を開いて慌てて後をついてくる。
向かう先はCランクの通りだ。
車のある駐車場は反対方向だが、これでいい。
「……何名ついてきたかわかるか?」
「……六名、ですか?」
「当たりだ。次の角曲がるぞ」
「……はい」
背後に人の気配。
『ラッシャイ』を出たあとから、すぐに店から出て来た男たちだ。
緊張した面持ちの蓮司を横目に見ながら、道三は深く吸った煙を、長い時間をかけて吐き出した。
「……!?」
二人を追ってきた羊の蹄の構成員六人は、角を曲がって、振り向いているのが優男一人しかいないことに気づき足を止めた。
しかしそのときにはすでに、背後に強面の刑事が立っていた。
「話はゆっくり聞くからよ。とりあえずツラ貸せや」
「ぐっ!?」
「あがっ……!?」
「げっ……!?」
言葉が終わるかどうかという刹那、道三の拳がまずは一人目の鼻の下、人中を打っていた。
続けて二人目の喉に突き。三人目の鳩尾につま先蹴りが入る。
殺さないが動けなくする。
一瞬で三人が狩られたあと、残り三人はなんとか反撃しようとした。
しかし彼らは背後にも人間がいることを忘れていた。
「あっ……!」
「このっ……!?」
「ごはっ!?」
長い脚を使って駆けてきた蓮司が、後ろから刈り取るように頭部をハイキック。
駆ける音でこちらに気づいた五人目も、ハイキックの遠心力を利用して回転した蓮司の後ろ廻し蹴りで顎を打ち抜かれて膝から崩される。
最後の一人は道三が手のひらの手首側、一番硬い場所の掌底で顎を打ち、脳を揺らされた男は酔っ払いのように数歩歩いてから倒れた。
「よし、ごくろうさん」
「はい。沼さんの日ごろの指導のおかげです」
「じゃあ車回してこい。こいつら連れてくぞ」
「はい」
蓮司が角を出て、駐車場へと走っていく。
二人が転がすのは刑事にはあまり似つかわしくない大型バンだ。
窓にはスモークとデジタルグラスで加工されていて、サイバネアイでも容易に中は見えないようになっている特注。
「六人程度じゃ牙城は崩れねぇだろうけどよ。まあ、ちょっとの間付き合ってもらうぜ、兄ちゃんら」
道三はドラッグパック『猿人』を取り出し口に咥える。火を点けて数回吸ったところで、蓮司が乗ったバンが横づけされた。
ー・-・-・-・-
六人の中で、一人だけ意識が残っていたのは副リーダー的ポジションであるブラモだけだった。
そのブラモでさえ、黒布の袋を被せられ、首を縄で締められていたから車がどこへ向かったのかさっぱりわからなかった。
「……ッ」
袋を乱暴に取られると、視界が真っ白に染まった。
ほとんど暗闇の状態から光を当てられて、目が眩んだ。
「起きてるのはお前だけだ。なかなかタフだな兄ちゃん」
正面から声が聞こえる。何度か頭を振り、瞬きをしてようやく目が慣れてきたころ、ブラモは正面に自分たちが追っていた角刈りと七三の男二人がいることを認めた。
仲間たちはパイプ椅子に座らされた状態でぐったりとしている。
死んではいない。が、意識はないようだ。
ブラモもパイプ椅子に座らされ、手足を拘束具で締め付けられている。
「……お前ら、なにモンだ」
「刑事だよ。お巡りさん。わかるだろ?」
あっさりと答えた角刈りに、ブラモは少しだけ動揺した。
「なんで刑事が? このあたりの警察は全部、俺たちマブロ・プロヴァドの言いなりだろう」
「俺たちとは、また大きく出たなぁ」
角刈りが口に咥えたドラッグパックに火を点ける。
二、三口美味そうに吸ってから、横にいた七三に目で合図する。
七三は頷くと、ブラモに機械的なキビキビとした動きで迫り、そして躊躇なく殴った。
「がっ……!?」
拳には保護用のグローブ。もちろん守られるのは七三の拳だけで、ブラモは口の中が切れた。
「確かに俺たちは五大さんとは持ちつ持たれつ。なんていうと対等みたいに聞こえて偉そうか。まあいい。とにかくまあ、一応警察としての面子ってもんがあるわけよ。で、一つの企業がでかくのし上がるってのを阻止したいわけだな」
「俺らにこれ以上手を出したら、ミスタが黙ってないぞ」
「それだ、それだよ」
角刈りが頭をボリボリ掻いたあと、ブラモを指さす。
「俺らはそのミスタってヤツを、捕まえたいんだよ」
「無理だ。あの人は強い」
「だろうな。だから弱くなるまで“削る”」
「……は?」
角刈りが笑顔で近づいてくる。
「おい、いいかチンピラども。お前らの流した麻薬で俺の知り合いがたくさん死んだ。妊婦もいた。旦那は自殺したよ。お前らが殺した」
「知るか! ハマるヤツが悪い」
「そうだ、その通りだ」
角刈りが咥えていたタバコを取り、ブラモの額に押し付ける。
「ぎゃああああっ!?」
「そうだ、悪いのは結局薬を流したヤツじゃなく、心を強く持って回避できなかった俺の知り合いたち……そんなわけねぇだろう。ぶち殺すぞこの野郎」
角刈りがブラモの顎を掴んで、真っすぐにその三白眼で見据えてくる。
「餌になってもらうぞチンピラ。お前ら野放しにして面子がズタズタだからよ。落とし前つけさせてもらうわ」
「じゃ、ジャパニーズマフィア……」
「はっはっは! 安心しろ。あいつらよりは、優しく壊してやる」
その瞬間、ブラモは激しく後悔していた。
追わなければよかった。この男たちを、と。
連絡をするだけに留めておけばよかった。
この男たちは本気だ、と。
どうしようもないほど手遅れの今になって、ようやく理解した。




