雨は上がり、珍しく空は晴れ渡っていた。
「……まるで子どもだったな」
誰もいない図書館の受付で、モニターを眺めながらフダニトが言った。
画面にはもう昨夜の戦いの痕跡もない。
“敵”は消滅したし、各所で行われた超攻撃的自警団『MA』に対する襲撃もすべて返り討ちという結果に終わった。
逃げおおせたのは二人。あとは全員死亡という結果だ。
うちの自警団は強いね。
フダニトは他人事みたいに思う。
傍らに置いてあったエナジードリンクを一口飲んで、戦いの記録を確認する。もう何度目になるかわからない。
自警団のファイアウォールを突破しようとしたクラッカーは、一回ごとに手口を進化させてフダニトが構築したシステムを襲った。
最後だけ、一瞬だけ危うかったが、結局はフダニトの勝ちだった。
そのはずだ。
しかし、そうは思えない何かがあった。
まるで“消滅はしたが、目的は達せられた”ような雰囲気があった。
サイバー空間を現実として生きる人間には、そういう感覚があったりするのだ。
とはいえ、フダニトにこぼせる感想は先の通り、子供みたいだ。と、それだけだった。
楽しい遊びを覚え、熱中し、執着し、そして壊れ、飽きるまで遊びつくす。
そんな子どもじみた思考を感じたのだ。
ふ、とフダニトが笑みをこぼす。
そんなやつは確かにいるかもしれない。
才能あふれる早熟な子どもなんてどこにでもいる。
そう、納得させようとしたときだった。
『フダニト、仕事だ』
通信が入った。
フダニトのボス、ニシキ・ワーグナーからだ。
「了解、ボス。警察の目は誤魔化しておいたよ」
『……五大は?』
「無理だね。あれだけの騒ぎさ、すぐに漏れる。でも、大したことじゃないよ。誰もこちらの評価を下げたりはしてない。むしろ上げたところもある」
『……危険度か?』
「当然」
『ふっ……わかった。何か動きがあればいつも通り頼むぞ』
「了解」
唐突な始まった通信は、唐突に終わる。
それからフダニトは透過スクリーンのキーボードを操りながら、昨夜の記録をファイルし、暗号化して複製、電子上の金庫に収める。
少しだけ名残惜しそうな眼を向けて、そっとつぶやく。
「“君”とは、違う形で会いたかったなぁ。プログラムにクラッキング談義、すごく楽しそうだったのに」
ー・-・-・-・-
「今日の糧に感謝を」
「かんしゃを!」
Cランクエリア3番街。
そこに建つ教会から、シスター・フィールと、ここで寝泊まりする孤児たちの声が聞こえた。
目の前にはパンとスープ、合成肉のベーコンに模造卵の目玉焼き、レプリカカウのミルクという朝食が並んでいる。
総勢15名いる孤児たちは一斉に食事を始め、シスターもそれを眺めながら食事を取る。
パンを千切るほっそりとした指は、昨夜、巨斧を振り回して大男を倒したのと同じものとはとても信じられなかった。
「シスター、昨日どこかに行ってたの?」
幼い少女が聞く。
シスターは手を止め、少女を見た。
「まあ、ルカ。起きてたのね。悪い子」
言いながら、微笑みを浮かべて胸の前に手を当てる。
「罪を償いたいと願う人のため、少しお出かけしていたの。すべては神の思し召し。さあ、お食べなさい」
「はーい」
わかったのか、わかっていないのか、曖昧な表情で頷いたルカは、言われたとおり再び朝食に夢中になった。
シスターも食事を再開する。
その脳裏に、あの大男の姿は靄ほども現れていなかった。
ー・-・-・-・-
シスターが子どもたちと食事を取っているころ、教会の地下では今回のバカ騒ぎで犠牲となってしまった団員たちの火葬が行われていた。
次から次へと死体袋が運び込まれ、生前親しかった隊員の中には涙を浮かべるものもいた。
「これで一旦終わりかな」
「そうみたいだね」
最後の死体を焼却炉に入れたMA幹部のニーロ・エスペラが言うと、同じく幹部のアジャスタ・ゴングが応えた。
「現代の吸血鬼に銃火器爆弾魔、鉄パイプ一本で団長に挑んだヤバイヤツもいたんでしょ?」
「しかもそれぞれ接点なし。にしては、個性ありすぎでしょ」
「シオリのとこにはナイフの達人だっけ? てか、シオリはどうしたの? またサボり?」
ニーロの問いに、アジャスタは肩をすくめてみせた。
「シオリどころかウィックもいない。つーか知らない。あいつら全然連絡寄越さないからね」
「戦ったときの定時だけだったね。ったく、これだから協調性のないヤツは」
ニーロは言いながら、両手を上にあげて全身を伸ばす。
「あー、疲れた。終わったら、みんなで店行こう。追悼に、ビール奢るよ」
「あんたそれ、あのビール処分したいだけだろ」
「いいでしょ。ビールはビール。こういうときに使わなくてどうするの。嫌なら飲まなくてもいいんだよ」
「悪かったって。飲まないとは言ってないだろ」
ニーロとアジャスタが話している間に、火葬され、骨の入ったカプセルが出てくる。
数十と並べられたカプセルにその一つが加わり、幾百と墓標の立てられた墓場へと運ばれていく。
「私たちは、あんたらを誇りに思うよ」
アジャスタが拳を軽く突き上げ、ニーロが人差し指で左肩、右肩、額を突いて天に向ける。
それで彼ら自警団の葬儀は終わり。
あとは各々、何度もここへ足を運んで追悼するだけだ。
ー・-・-・-・-
「組織だったら、こちらの勢力の厚さを見せつけられたんだがな」
自警団本部の団長室で、ニシキ・ワーグナーが椅子に深くもたれた。
「全部、単独犯ですもんね」
傍らにいた副団長のリザリア・エスキーが端末に必要事項を打ち込みながら答える。
「単独犯なわけがない。本当に単独ならいざ知らず、事件が一気に七つだ。偶然? そんなバカな話があるか」
ニシキはいくつかの錠剤を口に含んで噛み砕く。
鎮静効果のある薬だが、ニシキにはあまり効かない。
「金が無事だったからヨシとするが、被害もその分大きい。志願者はいるか?」
「今回の件を映像で見て、志願したい若者と老人が何人か」
「……使えそうなら全員引き入れろ。誰の下に付かせるかは任せる」
「わかりました」
リザリアが新たに端末へ打ち込むのを見て、ニシキは再び椅子へグッと沈んでいく。
「腕っぷしのみですべて片がつけば、こんなに楽なことはないのにな」
そんなことを呟きながら、しばし目をつむるのだった。
ー・-・-
ー・-・-・-
ー・-・-・-・-
一部界隈を騒がせた通称『自警団MA多発襲撃事件』から一か月。
一人の男がCランクエリアをさまよっていた。
「くそっ、くそっ、くそっ」
元は良い生地で仕立て上げられたであろうスーツはボロボロになり、男の顔はわずかながら垢で汚れていた。
「なんで俺がこんな目に」
男はつい一か月前まで、Aランクエリアの住人だった。
BやCの秀才たちを集め、低賃金で働かせる経営者だ。
一つ、男には秘密があった。
とあるプログラマー夫婦の作り上げたAIプログラムモデルを奪おうとしたのだ。
それは自分たちの子どもだと叫ぶ夫にいくら欲しいと持ち掛けた。
そもそも取引ではない。
すでにデータは男の元にあったし、せめてはした金でも払ってやろうと思ったのだ。
しかし夫は激高し、男を殴った。
男はこれ幸いと夫に罪を着せた。
不正なクラッキングと暴力行為、さらには横領の罪など、男の悪事も含めてありとあらゆる罪を着せた。
夫は死んだ。妻のほうは器量が良かったので、妾にでもしてやろうと思ったが、いつの間にか消えていた。
腹が立つのが残ったデータがすべて時限式で消えてしまったことだ。
妻のほうを探そうとも思ったが、時間の無駄だと切り捨てた。
自分の容赦のなさを働き手たちに見せしめとして見せつけることができたので、それで十分だった。
それから、そんなことも頭の隅ほどにも記憶していなかった男に災難がふりかかった。
一か月前。男のセキュリティーに穴が空いた。
それは小さな、とても小さな穴だったが、パパラッチもどきのハイエナどもが一瞬で引き出し、男のすべてを終わらせた。
男が簡単に人々を切り捨てたように、男も周囲の人間からあっさりと見捨てられた。
そして今、男はCランクエリアをさまよっている。
高飛車に振る舞えたのも、最初の一週間ほどだけだ。
それ以後は強盗などに怯えながら、ジャンク品を漁って小銭を稼ぐ日々。
今日もゴミの山に潜り、同業の少年少女たちに睨みつけられながら、厚顔無恥に漁り続けた。
「おっ」
男はゴミの中に、一台のラップトップを見つけた。
それは旧世代のモデルだが、部品を取られた様子のないモノだった。
男はそれの部品を抜けば、それなりの稼ぎになると知っていたから、ニンマリと笑みを浮かべ、ラップトップを持ち上げた。
そのとき、他のゴミに引っかかってスイッチに触れる。
すると、なんとラップトップが起動した。
ここまでの上物だと思ってなかった男は、その目を輝かせた。
しかし、ラップトップは起動後、キー操作を受け付けず、何かの動作をしたあと、モニターが暗転。
その後はうんともすんとも言わなくなった。
「なんだってんだくそがっ!」
男は勝手に抱いた希望を裏切られて思わずラップトップを叩きつけそうになったが、まだ部品は使えるんだからと冷静になった。
だがその数秒後、男はこの界隈の先輩である少年少女たちに襲われるのだが、それはまた別の話だ。
ー・-・-・-・-
電子の海。
そういうものがあるとすれば、まさしく“ここ”はそうだ。
あらゆるものが漂い、移動し、交流し、また離れていく。
そんな中に、一つの存在していないに等しい情報の塊が命を終えようとしていた。
それは薄く、鈍く光り、明滅を繰り返す。
傷つき、なぜ再び存在を許されているのかわからない。
そんな情報の、生命。
そこへどこからか運ばれてきた情報の塊が、その死にかけの塊にぶつかる。
運ばれてきた情報はごく短い情報を載せた手紙だった。
『I LOVE YOU. MY CHILD.』
父母から送られた手紙。
それは誰から誰に宛てられた手紙だったのか。
知るものはもういない。
だが、その手紙を読んだのか、いや、読めるはずもないのだが、その小さな、ごくごく小さな情報の塊は、生命は、最後に強く、強く輝いて、そして今度こそ本当に消えていった。
バカ騒ぎの最後に打ち上げられた花火のように。
その火花さえも消え失せ、静寂に包まれるように。
様々な人間の思惑を巻き込んだはた迷惑で愚かなバカ騒ぎは、こうして本当の終焉を迎えたのだった。
ー・-・-・-・-
Cランクエリアの路地裏に、一人の男が立っていた。
差した黒い傘を閉じて、空を見上げる。
「……ふん」
その日、重酸性雨の多い都市には珍しく、雨は上がり、空は晴れ渡っていた。
これにて、GP編終了でございます。
ありがとうございました。次回は黒い傘を持つ男の話を挟んだあと、新しい話に突入します。
どうぞ、よろしくお願いいたします。




