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重酸性雨ときどき血の雨が降ります。傘をお忘れなく。

 雨が降っている。

 そして落ちてくる雨とは逆に、赤い液体が噴き上がる。


「ヒャハハハハハハ!」


 巨大な剛腕が振り下ろされる。

 成人の頭部よりも大きい拳が黒い仮面を叩き割った。

 鼻がひしゃげ、唇も頬もズタズタになった顔が現れる。

 男だった。

 超攻撃的自警団『MA』の団員である男は、ズタボロにされながらも、睨みつけていた。

 両手足はすでに動かない。

 仲間たちはアパートや壁に埋められ、血まみれで横たわっている。

 それでも男に恐怖はなかった。

 あるのは、傲慢な暴力を振るう襲撃者に対する怒りだった。


「弱い弱い弱い!! これが超攻撃的自警団? ハハハハ! これがこの都市で恐れられてる存在か? ハハハハハ!」


 怒りの目を向けられても襲撃者──傲慢のバスター・デイリーは笑いながら団員を殴った。

 パレードが始まってからずっと、バスターはMAを襲い続けた。

 幹部クラスとはまだ遭遇していない。

 けれども負ける気はしなかった。

 団員たちではバスターを止められない。

 この傲慢なまでの暴力を止めることはできない。

 逃げ出さず、歯向かい、そして無駄死にしていく。

 バスターの暴力に晒されるだけの存在。

 それがバスターにとって愉快で仕方なかった。

 バスターは蹂躙する者だ。

 こいつらは蹂躙される者だ。

 そこには確かなカーストがあった。

 バスターはこれから上り詰める。

 パレードが終われば、こんな場所なんかで満足せず、Aランクエリアに攻め入る。

 そして五大超企業を一つずつ落とす。

 すべてはバスターの暴力を満たすため。

 この力があれば、恐れることなど何一つないのだ。


「安心しろよ。これからはこの俺が正義だ。お前らに代わって俺が全員を粛清してやろう。なんせ俺は正しい。力のある俺こそがこの都市で唯一正しいのさ。ハハハハハハ!」


 バスターの拳が振り下ろされる。

 男は一度ビクンと痙攣して、それからピクリとも動かなくなった。

 バスターはそれを愉しそうに眺めたあと、次の場所へ向かうことにした。

 ゴーストから送られてくる自警団員たちの巡回ルート。


「ねえ、バスター」


 何の前触れもなく、声が鼓膜を震わせた。

 気づけば、視界の端に黒い影が立っていた。

 ゴーストだ。


「どうした?」

「君以外全員やられちゃったよ。ここにもかなり手ごわい相手が近づいてきてる。しかも自警団じゃない。一旦ここを離れて、他の自警団を」

「何を言っている」

「え?」

「その言い方じゃまるで俺が負けるみたいだ。今の俺に勝てるやつなんざいない。その手ごわいってヤツも殺してやるよ。安心しろ。お前が何をする気なのかは知らんが、俺は負けない」


 バスターが歯をむき出しにして獰猛な笑みを浮かべる。


「お前には感謝してる。俺が楽しむべき相手を見つけてきてくれる。だがそろそろ弱者食いは飽きた。幹部を喰らう。その手ごわいってヤツを喰らう。俺の力を世に示すぞ。そして全員、俺にひれ伏させてやる」

「……そうか。じゃあ、健闘を祈るよ」

「…………ふん」


 ゴーストが消えると同時だった。

 前方に二つの影が現れた。


「……あ?」


 その姿を見て、バスターは眉間に皺を寄せた。


「……お前は殺したはずだ」


 そこに立っていたのは、ゴミ山で殺したはずのビバ・鮮血スカーレッド・ケインだった。

 焦げ茶色の革製コートに黒いシャツ、デニムジーンズにゴツいブーツ。

 そして、真っ黒で巨大な傘。

 隣には帽子を被ったスーツ姿の男がいる。

 そちらのほうに見覚えはなかったが、自警団員たちとは違う危険な匂いが濃く漂っていた。


「悪いな。“あの程度”じゃ死なないんだ。俺は」

「……あの程度だと?」


 バスターのこめかみに血管が浮く。

 確かに手ごたえがあった。

 ケインはこの手で殺したはずだ。

 しかし本人が目の前にいる。

 強がりでもゴーストのように妙なホログラムで立っているわけでもない。

 本当に怪我がなくなっているように見えた。


「なぜだ? なぜ生きてる」

「あー、その件については俺から説明させてくれ」


 帽子の男が口を開いた。

 平時であればすぐにでも殺すが、説明と言った。

 ケインが生きている説明だ。

 聞くだけ聞いてやろう。そのあとに殺す。

 バスターを顎をしゃくって続きを促した。


「傾聴痛みいる。あんた、えーっと……そう、バスターだったな。まずあんたに謝りたいことがあってな」

「謝りたいこと?」

「ああ、そうなんだ。というのも、こいつ、ケインを狙っていたのはもともと俺の所属している組織でな。自分で言うのもなんだが凄腕ばかりの組織だ。それであのときこいつは、組織の凄腕二人をぶちのめしたあと、あんたがいたゴミ捨て場に行ったんだ。ちょっとした休息を求めてな」


 チラッと男がケインを見て唇の片方を持ち上げる。


「こいつは正直面倒になるほど強いが、それでも無敵じゃあない。休息も必要なのさ。自警団との戦いのあとに飯を食っただけであとは連戦だからな」

「……なにが言いたい? 要点を話せ。俺は殺したはずのそいつがまだ生きている説明を求めている」


 男はバスターに向かって笑みを向けた。


「あー、つまり……あんた、こいつを殺して自分は強いと勘違いしているみたいだが、あんたのパンチやらは何のダメージにもなってなかった。そりゃあインプラントも入れてないような連中相手には強いんだろうが。いや、失敬。弱者なのに強者だと勘違いさせてしまったことが申し訳なくてな。まあ、そういうことなんだ。勘違いでイキってるあんたを見てるがいたたまれない。そういう話だ」

「…………なんだと?」


 バスターの奥歯がギチリと鳴る。

 つまりこいつらは俺のことを弱いと言っているのか?

 バスターはこの回りくどい男を必ず殺そうと決めた。

 しかし、バスターの怒りの視線を受けても、男は飄々とした態度は崩さなかった。


「ハハハ。そう怒るな。こっちだって悪いと思っている。俺たちがさっさとこいつを殺してれば、お前は自分が強いなんて勘違いを起こさずにすんだんだから」


 そして男は、スッと笑みを消した。

 持ち上げた手には、巨大な銃が握られている。

 いつ出した?

 いや、それよりもあれはなんだ?


「いや、長々と悪かった。俺はブチ切れてるとき、無駄口が多くなるタチなんだ。まあ、つまり、楽しい遊びの時間は終わりってことだ。バスター・デイリー」


 ズドン、と腹に響く音がした直後、バスターの右手首から先が吹っ飛んだ。

 最新の伸縮性鉄鋼で作られた、何十トンの衝撃も耐えられるインプラントが引きちぎられていた。


「もういいか?」


 ケインが言う。

 男は肩をすくめた。


「ああ。さっきまではひどくムカついていたが、こんな簡単に撃たれるようなヤツだったとはな。お前、油断しすぎじゃないのか?」

「疲れていたんだ。それに満腹だった。どうでもよかった。眠りたかったんだ」

「そういうことにしといてやるさ」

「あぁっ、ああああっ!」


 ケインと帽子の男がのんきに話している。

 いや、それよりも右手が吹っ飛んだ。無敵だったはずのインプラントアームの一部がなくなった。


「おいおい、それぐらいでなんだ。なくなったのは手首だけだろ。殴ろうと思えば腕だけで出来るだろ」

「貴様あぁあっ!」


 バスターは決めた。

 あの男はどんな手を使っても惨たらしく殺す。

 ひと思いに殺したりはしない。

 生きてきたことを、この世に生まれたことを何度も何度も後悔させてから殺す。

 絶対に救いなど与えない。


「さて」


 そんなバスターの怒りを無視するように、ケインが傘を閉じた。

 それを隣の男に渡して、グッと伸びをする。


「それじゃあ始めようかミスター・バスター。先日は居眠りをしてしまって悪かった。今度は大丈夫だ。ぐっすり眠って、調子がいい」

「ふざけるな……どんな手を使ったのか知らないが、お前らが俺より強いわけがねぇだろうが! 俺は最強なんだ! 俺は誰よりも強いんだ!」


 バスターは歩いてくるケインに向かって拳を振りかぶった。

 無事な左拳だ。

 助走をつけて、唸りを上げて拳が突き出される。

 しかし──。


「ぎゃあああああ!」


 カウンター気味に突き出されたケインの左拳にバスターの拳が“負けた”。

 拳が砕かれ、ひしゃげた。

 五指がすべてあらぬ方向を向いている。

 さらにケインがバスターの両前腕を掴む。

 そして“握り潰した”。


「な、なんで? なんで、なんで……お、俺には誰も勝てないのに、誰も勝てないはずなのに……」


 ケインは混乱するバスターを見えて、優しく微笑みかけてやる。

 猛獣のような笑みだったが。


「安心しろ。そういった勘違いは起こる。お前は知らなかっただけだ。この狭い世界が、意外と深く、底が見えないということを」


 ケインがバスターの肩を掴んで、握り潰す。


「あ、あぁ……」


 バスターは、初めて恐怖していた。

 傲慢だった男が、顔を青ざめさせて膝を震わせる。


「ゆ、許して……」


 そして傲慢な男から決して漏れてはいけない言葉を口にした。

 もう、バスターに傲慢である資格はなくなった。


「俺のあだ名は知っているだろう? ビバ・鮮血スカーレッド・ケイン」


 ケインはバスターの身体を、インプラントされてない生身の部分を掴んで引きちぎった。


「ぎゃあああああああああああ!」


 初めて味わった痛みにバスターは叫んだ。

 しかし倒れることさえ許されない。ケインに掴まれてのたうち回ることさえ許されない。

 ケインの顔に、身体に鮮血が噴きかかる。


「あの奇妙で歪な実験を終えてから、ずっと頭の中に響いてるんだ。鮮血を求めろ。鮮血を浴びさせろ。鮮血にまみれろ……ってな」

「ぎゃあああああああああああ!」


 バスターの肉体が引きちぎられていく。

 叫ぶことしかできない。万力で締められているようだった。

 身体が動かない。動かせない。

 力だった。

 傲慢としか言いようがない圧倒的な暴力に襲われていた。


「がっ、かっ……」


 喉を潰された。

 もう叫ぶことさえ許されない。


─。

──。

───。

────。


「傘をくれ」


 ケインが言うと、隣に立っていた男──フォーカスが傘を手渡す。

 ケインは浴びた鮮血が流れないように傘を差し、重酸性雨を遮る。


「やれやれ。ゴリラ社のタイタンアームもお前の手にかかれば鉄くず当然か」

「お前だって簡単に破壊しただろう」


 二人は足元に転がる引きちぎられた鉄塊を無表情に見つめる。

 よく見れば人のパーツみたいなモノも見えるが、損壊されすぎていて、一見すると生ごみにしか見えない。


「……行くのか?」


 しばらくバスターだったものを見つめたあと、フォーカスが踵を返す。


「ああ、なんだか拍子抜けしてな。お前をあんな姿にしたからどんな手練れかと思ったら……まったく。気が抜けた。お前を殺してやる気も失せた」

「……ふん。おかしなヤツだ」


 フォーカスが右手をヒラヒラと振って去っていく。

 血まみれのケインも逆方向へ歩き出す。

 今のところ行く当てはないが、どこかにたどり着くだろう。


 ケインはぶちゅりと何かを踏みつけたが、それが何かを気にする気配は一切なかった。



 そうして、傲慢を冠したはずの男は、“本物”の傲慢によって殺された。

 今回の本命であったはずの自警団の誰にもその名、その姿を認知されることもなく、ひっそりと雨に流されていくのだった。

あーあ、全部なくなった。もう僕だけだ。私しか残っていない。俺しか。アタシしか。

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続きが早めに出るかもね。やれやれ。

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