雨を切り裂けど、なかなか平和にはならない世界
パレードの先頭を行くのは、目と口を糸で縫われた仮面を着けた大男、セカ・ルーだった。
セカ・ルーは巨大な刃を携えた斧を引きずりながら、部下たちに命令を与えているMA幹部、断罪者のシスター・フュールへと向かう。
重酸性雨が幾重も降り注いでいた。
シスターの部下が、こちらへ向かってくる異変に気付く。
「おい! お前、止まれ!」
巨大斧を引きずる男。怪しくないわけがなかった。
しかしセカ・ルーは止まらない。
仮面の隙間から見えるのは、サイバネ化された赤い瞳。
狙うのはMA幹部のシスターと、部下の女たち。
男は眼中にない。
だが、邪魔な羽虫は払わなくてはいけない。
「行くぞ!」
「おう!」
シスターの部下、男が二人、セカ・ルーに向かってくる。
刀型の超振動ブレードを携え、迫る脅威に対応しようとした。
「……邪魔するな」
セカ・ルーは苛立っていた。
男たちが迫ってきたせいで、女が見えなくなった。
世界に自分以外の男はいらない。
女も、犯したくなるような女以外いらない。
股間が醜く膨らんでいた。傲慢で、身勝手。
己の色欲にのみ従う、レイプ魔。
「あっ……」
セカ・ルーが斧を振るう。
右側にいた男の首が飛ぶ。構えた刀ごと切断されていた。
「げぅっ……!?」
振った斧の反動を利用して、反対側の男にぶつける。
刃先ではないのに、刀はひしゃげ、男の頭が潰される。
「女……女を出せ。俺のモノをしゃぶる女を」
「止めろ! 奴をシスターの元へ行かせるな!」
ヒートスティックを持つ団員が迫るが、セカ・ルーはインプラントされたサイバネアームでスティックを受け止める。
それから団員を思い切りぶん殴った。
もう一人近づいてくる団員は、振りかぶった斧で頭から薪のように叩き割る。
「男は邪魔なんだよ。女だけでいい。俺と女だけ。俺のモノをしゃぶって、俺のモノでよがる女だけでいいんだ。ひ、ひひ……」
セカ・ルーの視界から、男が消えた。
前に出て、幹部を守ろうとする女の団員四名と、シスターしかいなくなった。女たちは全員マスクを着けていたが、体型ですぐにわかる。
「ありがとう。でも、あなた方ではまだ無理よ」
シスターが静かな声音で言った。
雨の中でも響く、美しく透きとおるような声だった。
誰も反抗も反論もしない。
彼女たちが守る幹部、シスターこそが、一番強いと誰もが理解している。
MAの中で仮面を着けないもの。
それは、圧倒的実力を持つ、強者である証。
「あなた“も”、私と同じ武器なのですね」
四人の間を割って出てきたシスターの手には、巨大な逆さの十字架。そう見える巨大な両刃の斧。
片手で軽々と持ってはいるが、その重量は百キロをゆうに超える。
断罪の首切り斧。
彼女の裁判から、逃れることはできない。
「あは、は……やっぱり、い、良い女だ。お、お前、そんな澄ましたか、顔してても、今に、な、泣き顔になる。俺に犯された女は全員、どんな生意気な女でも、ひぃひぃ泣くんだ」
「……色欲。取り憑いた悪魔は、魂にまで巣食っているようですね」
「お、お前……お、女の悦び、知らないんだろう? シスターってのは、そ、そうだって聞いたぞ。ひ、ひひ……お、お前を女にしてやるよ! こ、この俺が……ふふ、くふ、ふ」
「悪魔に捧げる身などない。あなたはここで、私に罪を裁かれる」
「ははは! はは、ははは! 無理だ! お、男でも、お、俺には敵わない! お、女のお前が、は、ははは!」
セカ・ルーが嗤って、一瞬で振り上げた斧をシスターの眼前に落とす。
けれどシスター服だけが切れるように狙った一撃は、シスターによって、あっけなく受け止められた。
「……は?」
「なにか?」
シスターが微笑む。
己の得物で、成人男性の身体を一刀両断する一撃を涼しい顔で受け止めている。
「あなた如きを止められずに、自警団の幹部をやっている者はいません。誰の指図かは知りませんが、あまり我々を嘗めないことです」
「ひっ! うわ! あ、ああぁっ!」
セカ・ルーはシスターの笑みに背筋がゾッと凍った。
初めての経験だった。
本能が、斧を振るえと叫んでいる。
あわよくば、逃げろ、逃げきれと叫んでいる。
「これで全力ですか?」
華奢な肉体に見えるシスターが、大男の巨斧を受け止める。
やたらめったらに振り回された斧を、十字架の斧で弾き、受け止め、受け流す。
必死なのは、攻めているはずのセカ・ルーのほうだった。
おかしい。こんなのはおかしい。
セカ・ルーはいつも勝者だった。奪う側だった。
いつも殴られ、搾取され続けていた日陰の少年が、信じられないほどの急成長と、叔父の伝手で手に入れた違法インプラントで暴力に目覚め、女を犯すことに目覚めてから、ずっと勝者だった。
それが今、食い物であるはずの女に、いいようにあしらわれている。
暴力が通用しない。初めてだった。
親や周りのチンピラたちに殴られる寸前の恐怖よりも、遥かに強い恐怖だった。
「あぁああっ! あぁあっ!」
怯え、武器を振り回す姿は、巨躯の怪物に襲われる寸前の少年のようにも見えた。
「守られずとも、自分の身は守れたのに。彼らの献身には、いつも驚かされます」
もう、シスターはセカ・ルーなど見ていなかった。
彼女の瞳には、自分を守るため、悪魔に立ち向かった己の部下の死体しか映っていなかった。
激しい金属音と共に、セカ・ルーの巨斧が飛ぶ。
「あぁあっ! なんで、なんでぇっ!?」
直後、セカ・ルーの両腕も飛んだ。
インプラントの腕なので、血は出ない。
痛覚はない。
しかし自らのモノを失った喪失が、セカ・ルーを襲う。
「だからこそ、彼らの上に立つ者として、力の限り職務を全うしたいと思うのです」
「ひぎゃあああ!」
セカ・ルーの両膝から下が宙を舞った。
大地を掴む支えを失ったセカ・ルーは、地面に転がる。
脚からは血が噴き出していた。
叔父と同じく脳に埋め込んだ粗悪なアドレナリンチップがセカ・ルーの意識を閉じさせてくれない。
巨体が無様に雨に打たれ、埃にまみれ、泥に濡れる。
その首筋のすぐそばに、巨大な刃が落とされた。
「悔い改める言葉はありますか?」
「し、死んじまう……! 早く、た、助けて……! お、俺、俺はご、ゴーストのやつ、ヤツに、そ、そそのかされただけで……」
「でもその悪魔のささやきを受け入れたのは、あなたでしょう」
「ひっ、やめろ! やめてくれ!」
戦闘の間に、黒いバンが路地に横づけされていた。
セカ・ルーは首根っこを掴まれ、シスターに軽々と持ち上げられる。
「あなたの中の悪魔が、少しでも浄化されますように」
バンの後部に投げ入れられたセカ・ルーを、車を運んできた団員たちが運転して去っていく。
それを見送りながら、シスターがネックレスにしている小さな、女性が磔にされた十字架にキスをする。
それから、ネオンに彩られた世界を見上げる。
「なかなか平和にはなりませんねぇ。この世界は……」
シスターは呟き、小さく微笑むのだった。
ー・-・-・-
「離せ……せ、せめて、お、女にしろ……男が、俺に触るな……」
バンによってセカ・ルーが運ばれた先は、シスターが教会長を務める教会だった。
地下への扉が開いていて、MAの団員、男四人がかりで両手足を失ったセカ・ルーが運ばれる。
地下から立ち昇る冷気がセカ・ルーの恐怖を煽った。
「な、なんでだ……俺は、負けるはずがない……俺は強いんだ……女はひれ伏し、男は皆殺し……俺のために、全部存在するんだ……女たちは全員……」
自分がこれからどうなるのか、見当がつかない。
負ける予定などなかった。
インプラントを入れて強くなるまで、こんな目に遭ったことはなかった。
自分が勝って、シスターも女の団員たちもすべて犯してやるのだと信じて疑わなかった。
けれど今、セカ・ルーの眼前にあるのは女体ではない。
教会地下の巨大な焼き窯だ。
「な、なにをする気だ……なあぁあ、おい!」
誰も何も答えない。
セカ・ルーの声以外、教会地下の墓地に音はなかった。
「ぎゃっ!」
焼き窯の中に入れられる。
悪態を吐こうと思ったときにはもう、扉は閉められていた。
「お、おい! なあ! ふざけるな! 俺はこんなところで! 俺はもっと、い、いいい女を、お、犯して、泣かして、俺の子種を、ぶち、ぶちこん……」
窯の中に火が点った。
教会内で浄化の炎と呼ばれる、超高温の火だった。
「ひぎゃああああ! 待て、待ってくれ! やめろ! やめろろろおおおおぉおぉぉぉ!」
悲鳴は外には届かない。
外には団員達もいない。
誰にも届かない断末魔は、一分もしない内に聞こえなくなった。
焼き窯の火が点ってきっかり五分が経った。
セカ・ルーの灰が詰まったカプセルが地下ではなく、真空パイプを通って地上、裏路地に吐き出される。
カプセルは簡易な素材で出来ていて、重酸性雨に晒されてすぐに溶ける。
色欲の悪魔、セカ・ルーは、下水道に流れていった。
そうして、パレードの先頭を走った男は、あっけなく塵となったのだった。
「もう少し、やると思ったんだけどなぁ」
路地裏には誰もいないのに、黒い影だけがぽつんとあった。
影は一言だけ呟くと、すぐに雨に溶けるように消えていった。




