雨と吸血鬼まがい
カミラは死体性愛家で、人の血を飲むのが好きな女だ。
身体の中には他人の血液をろ過する装置が埋め込まれている。
「う、うぅ……」
廃墟と思われていたBランクエリア郊外のビルの中だった。
カミラの前には椅子に縛り付けられた男が三人いる。
男たちは全員仮面を着けていた。
真っ黒で、目の部分だけメッシュ加工で開いている。
赤い字で大きく『MA』と書かれた特徴的な仮面。
カミラは彼らの太く逞しい首に開いた二つの痕を見て、ニッコリと嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふ……あと一分、あと一分」
カミラは腰まで伸びた美しい純白の髪を揺らす。
眉も、睫毛も白く、瞳と口の中だけが赤い。
白のワンピースに白い靴。
薄暗く、瓦礫が散乱するビルの中で、カミラだけが発光しているようだった。
カミラが動くたびに光源が移動する。
照らされたMAの団員たちが、ビクリと光に反応する。
彼らがカミラに助けを求められたのは七時間前だった。
雨の中、郊外までを巡回ルートとしていた彼らは、ビルの中で助けを求めて喘ぐカミラに誘われて中に入ってしまった。
暴漢がいて、姉が襲われているんです。
カミラの言うことを信じて、何もない部屋に入った三人は、凄まじい暴力で頭を掴まれ壁に打ちつけられた。
カミラは倒れた屈強な男三人をしばらく見下ろしていた。
口元には微笑みが浮かび、見ようによっては、今どきアナログな幽霊のようだった。
「それが君の食事かい?」
「……ええ、そうよ」
いつの間にか、カミラの横には真っ黒な存在が立っていた。
それは、カミラの影のようにも見えた。
「血液だけで足りるの?」
「お野菜もちゃんと食べるわ。お肉だって少しだけど」
でも、とカミラは加える。
「やっぱり血が一番。けどそうすると病気で死んでしまうから、血液から栄養を取れるように身体を変えたの。ふふふ」
「まるで君は吸血鬼だね」
「そうかしら? でも吸血鬼は血液を吸い出したモノには興味がないでしょう? 私はそのあとも“楽しめる”のだから、私はきっと吸血鬼じゃないわ」
カミラはしゃがんで、男たちに背中を撫でた。
慈しむように。聖母のように。
しかし、男の一人から生の熱を感じると、拳を作って小指側から男の背中に叩き落した。
「ぐっ……ぐぶ……う、う」
男がビクッ、ビクッ、と痙攣する。
死にはしなかったが、内臓のいくつか、骨がいくつかダメージを負った。
カミラにとっては軽い攻撃だったが、男は重傷だった。
「あ、いけない。殺したら血が取れなくなっちゃう」
「死んでからも血は吸えるでしょ?」
「血は温かいほうが好き。男は、死んでるほうが好き」
カミラは黒い影──ゴーストを見ずに言った。
「だから、生きていないあなたには興味がない」
「……辛辣だなぁ。確かに今の僕は血も何もないけれど」
「死ぬことすら“しない”。あなたの美点は、情報を操作してこの人たちを私の元へ連れてきたこと。それだけね」
カミラは瀕死になった男を片手で持ち上げて、部屋の中へ運ぶ。
いくつかある鉄製の椅子を三脚起こし、その一つに座らせて鉄線で手足と胴体、首を窒息しない程度に縛る。
残りの二人は片手に一人ずつ持って一気に運ぶ。
同じように処理をして、薄暗い部屋の中で、カミラは満足げにほほ笑んだ。
「彼らも殺すの?」
「ええ。血を堪能したら。冷たくなったこの人たち、とっても愛せそうだから」
「……そうやって、どれだけの人を殺したの?」
カミラはゴーストの問いに応えず、静かにほほ笑んだ。
「Cランクエリアのみならず、Bランクエリアまで跨いでの失踪事件、犯人はそれぞれ捕まってるか殺されているけど、あれ……君も関与してるんだろ?」
「……いいじゃない。どうせ捨て置く死体なんだから。顔がないだけ、四肢がないだけ。死体であれば問題はないの」
カミラの純白の美貌に、恍惚の朱が差す。
「あぁ……素晴らしい体験だった。今でも思い出せる。一人一人。誰も忘れてなんかいない。私はずっと覚えている。愛した人を憶えている」
カミラの脳裏に過る性愛と血の匂い、喉を通る人間の中身。
すべてが濃厚で素晴らしく、純白の女をそそった。
「私、男性だけじゃないの。女の子だって味わったわ。お肉が柔らかいって本当ね。私の牙がすんなり入らなかった。男の人よりほんの少しだけね、抵抗したの。ゴムみたいに。でもそれだけだった。悲鳴がうるさかったわ。猿轡をしていたのに。でもね、でも、もういいの。私は許したの。彼女を。彼女はもう、死んでるから」
「……確かに、君は現代の吸血鬼とは呼べないね」
ゴーストが言って、その存在が薄らいでいく。
「どの伝承の吸血鬼より、君は人を殺している。血を吸って、死体にして、愛して……」
「そろそろ食事の時間よゴースト。淑女のはしたない姿を好んで見るものではないわ」
「ああ、わかったよ。では、またねカミラ」
「ええ……また」
ゴーストが消える。
カミラはそこでふと、目を開けた。
一分間が待ちきれなくて、七時間前の記憶が湧き出てきたようだ。
壁掛けにしてある腕時計を見る。
デジタル時計は目を閉じてからちょうど一分過ぎたことを示していた。
「ああ、完璧じゃない」
カミラは嬉しくなって、横並びにしてある三脚の内、真ん中の男の後頭部を掴んで上向きにさせたあと、首にかぶりついた。
「ぐぁっ、あ、あぁ……」
艶めかしく唇が触れたかと思うと、注射を打つ前の麻酔みたいに男の首を舐られる。
そこに官能を感じる暇もなく、カミラの犬歯が男の首に開いた穴に突き立てられた。
もう三度目になる。
じゅる、じゅぅ……じゅ、じゅる……。
と、音を立てて血が吸われていく。
男は身体をビクビクと引き攣らせるが、鉄線で拘束された身体はわずかな身じろぎしか許さない。
「……はぁ」
男からカミラが離れた。
男がガクンと首を落とす。まだ生きているが、時間の問題だった。
カミラの唇の端から血が垂れている。
カミラはそれを指で掬って、愛おしそうに舌で舐めた。
カミラは血を吸い、殺した人間をすべて覚えている。
けれども数では認識していないので、自分が何人殺したかなんて無機質で無粋なものは、覚えていない。
「招待状は出したの。でも少し前なのよね。あなたたちの上司が来る前に、私、この火照りを我慢できるかしら。ねえ、どう思う?」
カミラは男たちに訊くが、全員が返事をできる状態にない。
それでもカミラは構わず、男たちの頬を撫でて、体温が低く、冷たくなっていくことに笑みを浮かべた。
「楽しみなの、私。あなたたちの上司さんね、私の姉に似てるのよ。もちろんあんなに強そうじゃなかったわ。でもね、雰囲気が似てるの。姉とはもう会えないと思ってたから、私嬉しくて。あの人、ゴーストに頼んだの。あの人、アジャスタさんとヤるのは私にしてって。それがゴーストの計画に乗る理由。ふふふ、計画……そんなきちんとしたものじゃないけどね。うふふ、ほら、あの子って生まれたての赤ん坊みたいなところあるから。純粋なのよ。こんなこと、上手くいかないのに」
カミラは母が愛しい子に向けるような瞳で男たちを見る。
それから瓦礫の奥に無造作に置いていた巨大な斧を取った。
カミラの姿には似つかわしくない。
身の丈ほどもある無骨な巨斧だった。
「姉は素晴らしい人だった。私ね、おかしな病気だったの。治療法もなくて。でもね、あるとき誤って私の看護中に姉がケガをしてしまって。その血が入ったときに少しだけ元気になったの。そこからヒントを得て、今のこの身体。ふふふ、最初は治療目的だった。けど、いつからかしら。最初の人からかな。私、人の血を飲むこと自体が好きになってしまって。うふふふふ」
カミラは斧を持ち上げる。
成人男性よりも遥かに重いそれを、片手で軽々と。
「姉が咎めたわ。私の行為を。血ならお姉ちゃんのをいくらでもあげるからって。だから私……喜んで吸ったの。姉の血を、全部。うふふふふ。姉は最後、寒い寒いって言いながら死んでしまったわ。そうするとどうなるか知っている? 人って血を失うと死んじゃうの。悲しい。姉は動かなくなっちゃった。それから私は……」
斧の刃先を、右端の男の首に当てる。
男はビクリと身体を引き攣らせたが、力が入っていない。
芋虫よりも緩慢な反応だった。
「他の人たちと同じように、姉と愛し合ったわ。だってキレイだったんだもの。素晴らしい体験だった。それから、私は幸せになった。この世界は、私に優しいから。とっても」
カミラは斧を持ち上げ、左端の男の頭に振り下ろす。
頭に触れる寸前、斧がピタリと止められ、髪の毛が一本、はらりと地面に落ちた。
「早く来ないかしら。もう我慢できそうにないの。でも、あなたたちがいなければきっと来ないでしょう? それにね、あなたたちがいてもいなくても変わらないけど、いないほうが動きやすくなるかもしれないの。うふふふ。私ね、悪人の血って好きよ。良いことしてる気もするし。だから、これ以上横取りされるのは嫌。ね? そういうことなの?」
カミラはもう一度斧を持ち上げて、今度は真ん中の男に振り下ろす。
斧は先ほどと同じく頭の寸前で止まったが、仮面の上部に薄く刺さった。
男の股間部分が色濃く滲み、小便が座面にあふれ、床にこぼれた。
「あらあら、おもらししちゃったの? ごめんなさいね。怖がらせちゃったかしら。でも、いいわ。今は恐怖の中にいて。すぐに、あなたたちの上司を殺したあとすぐに、快感に溺れさせてあげる。あなたたちが死んだあとだけど」
カミラは笑って斧を振り始める。
コンクリートでできた瓦礫が、豆腐でも切るみたいにスパスパと切断されていく。
「ああ、早く来て。姉によく似たあなたは、同じような味がするのかしら。とっても美味しかった。また味わいたい。あぁ、お願い。早く。早く」
カミラは自らの唇に指で触れ、長い舌でべろりと舐める。
顔は恍惚に歪み、欲望を満たさんとする人間のそれだった。
「早く来てくれないと私……うふ、うふふふふ」
斧を握った手に力が入る。
カミラの視線は、三人の男に向けられていた。
「我慢できなくなっちゃう」
雨が降っていた。
静かな郊外。
誰も近づかない廃屋と思われていたビル。
そこに、純白の悪魔がいた。
悪魔の名は、カミラ。
暴力を生業とするエクソシストは、まだ訪れない。




