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雨が降る。殺人鬼はゴミ山で眠る。

 傲慢は罪だと、信仰心の篤い母が言った。

 重酸性雨が降る都市まちで、妙にその言葉を思い出す。


 鋼鉄でできた、牛を抱き潰せるほどの巨躯を持つバスター・デイリーは、ゼリー状のドラックパッケージを飲み干す。

 サイドを刈り上げた緑髪の内部がスッキリしたところで、眼前に広がるゴミ山を眺めた。

 ボロ小屋の管理室から、標的を捜す。

 窓が開いているから、吹き込む雨と風が室内を濡らしていた。

 バスターは気にしない。

 気にするべきなのは、バスターの横で鼻血を噴き出して失神している管理人の仕事だ。

 臭いもひどかった。

 生ごみや鉄、その他さまざまな種類のゴミが重酸性雨に焼かれて、常人には耐えがたい異臭を放っている。

 それでも窓は閉めない。

 この異臭に、“血”の匂いが混じるのを待っている。

 何十人と人を殺し、また自身も傷ついている殺人鬼。

 ビバ“鮮血スカーレット”ケインの血の匂いを。


「どれぐらい強いんだろうな。あの自警団を黙らせた男。幹部相手に相打ちの男」


 バスターは椅子に座り、深くもたれた。

 両足をスチールデスクに乗せ、頭の後ろで両手を組む。

 口笛を吹いた。

 母に何度もやめろと言われた、悪魔を讃える歌。

 今はもう、嫌な顔をする人間は誰もいない。

 そんな面をされたら、すぐにぶん殴る。

 昔からそうだ。バスターは何でも暴力に訴える。

 そんな暴力が“許される”。

 口答えができるのは、バスターよりも強いヤツだけ。

 口笛の音と共に、椅子がギシギシと揺れる。

 バスターは待っている。

 自分の暴力と傲慢を止めるかもしれない男のことを。


 目を閉じると、雨の音が強くなる。

 母を足蹴にしたことを思い出す。

 父に馬乗りになって、何度も拳を下ろしたことを思い出す。

 あのときはまだ、生身ナチュラルの身体だった。

 14歳になる頃、家でバスターを止められる者はいなくなった。

 通報を受けて一度だけ警察が来たことがある。

 年老いた警官だった。

 バスターはそいつを家に引きずり込んで、顔の原形がなくなるまで殴った。

 許して。

 そう言っていた気がするが、呼吸が漏れる音が激しかったので、そういう風に聞こえただけかもしれない。

 警官は死ななかった。

 けれども警官を辞めなくてはいけなくなった。

 それから、バスターの家からの通報を、警察はシャットアウトした。

 母は疲弊した。

 父も疲弊した。

 だからバスターは生みの親たちを疲れから救ってやることにした。

 Bランクエリアの技術高校を卒業した。

 技術者枠で、サイバネ用の義肢を作っているゴリラ社にも入社できた。

 だからもう一人でも生きていける。

 バスターは床に寝る両親を数秒見つめて、家を出た。


 ゴリラ社では最初、技工士といて働いていた。

 けれど配置転換の際に、試作課に転属希望を出した。

 願いが届いて転属したバスターは、それから身体にインプラントを埋め込み続けた。

 試作課は自らを実験体とすることで、サイバネの能力を計る課だ。

 それは危険だが同時に、最新鋭のインプラントを入れる好機でもあった。

 技術高校卒業程度ではその他の労働者ブロイラーと変わらない。

 インプラントを入れようにも、自由になる金だってたかが知れている。

 だから試作課に転属し、ただで自らをサイバネ化した。

 頑強な肉体を持つバスターは重宝された。

 インプラントを埋め込むたび、自我を保つためのドラックチューブやパック、パッケージが必要になったが、会社から支給されるし、別に大したことではなかった。


 そして5大超企業の護衛向けに開発されていた全身用の試作機「タイタンアーム」が身体に馴染んだ頃、バスターは以前の凶暴性を取り戻した。

 それは大量のインプラント挿入による思考の単純化か、それともドラッグを多量に摂取したことによる意識の混沌か。

 バスター本人にも何が原因かわからない。

 ただ、何者かが囁いたのだ。


 ──このままでいいのか。と。


 バスターは急に力を試したくなった。

 そして同僚たちが揃って肉片になった頃、視界の端に黒い影があることに気づいた。

 それはこちらにゆっくりと近づいてきて、バスターを見上げた。

 本当に見上げたのかはわからない。

 真っ黒な影だったので、動きから推測するしかなかった。


「楽しかったかい?」


 影が聞いた。


「ああ、最高の気分だ」


 バスターの本心だった。

 暴力に頼り、暴力ですべてをねじ伏せる。

 なぜこの快感を忘れていたのか。


「お前が何者かは知らないが、感謝する」

「それは何よりだよ、バスター・デイリー」


 そいつは、“都市の幽霊ゴースト”は、顔は見えないが確実に“ニッコリと笑った”。


「見つけた」


 目を開けたバスターはゴミ山で動くものを見て、立ち上がる。

 管理室の壁ごと扉を蹴破り、スチールデスクを片手で掴んで外へ出る。

 派手な音に気づいてゴミ山の奥へ身を隠そうとしていた大男が振り返る。

 バスターは口が裂けそうなほど大きく開けて、破顔した。


「ビバ・スカーレッド・ケイィィィィンンンッ!!」


 雄たけびを上げると同時にスチールデスクを投げつける。

 タイタンアームの力を持ってすれば、重いデスクもゴムボールを投げるように投擲できる。


「……ッ?!」


 風を切り、雨を裂き、デスクが一直線にケインを叩いた。

 両手を顔の前でクロスさせて身を守ったケインだったが、あまりの衝撃にたたらを踏む。

 バスターがその隙を見逃すはずもない。


「はっはぁあああっ!」


 大人の頭部よりも巨大な拳がケインの左肩を殴って“壊した”。


「ぐあぁあっ!?」


 たったの一撃。

 痛みに顔をしかめるケインに、バスターは左のフックを見舞う。


「おぁああっ!」

「ははっ!」


 ケインが右拳を振りかぶって反撃してくる。

 生身の拳と強化合金の拳がぶつかった。


「ぐぁああっ!!」


 ケインが後ろに吹っ飛ぶ。


「はっはははははははは!」


 バスターはゆっくりとケインに近づいていく。

 ケインは立ち上がろうとしていたが、左肩は壊れ、右手もひしゃげている。



「敵うわけねぇだろう。こっちは暴力のためだけに造られた身体なんだぜ」


 馬乗りになって、ケインの首を掴む。

 太く逞しい首だったが、折ることは容易いように思えた。

 しかし、バスターはそんなつまらないことはしない。


「反撃する時間をやるよ、殺人鬼。なんでもいい。俺の暴力を超えてみろ」


 そう言って、バスターはケインの首を絞めたまま顔面を思い切り殴りつけた。


「ゴッ……!?」

「そら、身体を動かせ。拳を振るえ。足をばたつかせろ」


 言いながら、バスターは何度も何度もケインを殴りつけた。

 身体に降りかかる雨とケインの血が心地いい。

 熱を発する身体を気持ちよく冷やしていく。


「どうしたどうした! こんなものか! 殺人鬼ケインッ!!」


 殴られすぎて、ケインの頭部がゴミ山の中へ埋まっていく。

 口は半開きになり、意識はとうになさそうだった。

 それでもバスターは殴った。

 一部界隈を騒がし、あの超攻撃的自警団を敵に回した男を蹂躙している自らの暴力に、バスターは恍惚すら感じていた。


「……はぁ、はぁ……あ?」


 そしてガツンッ、とゴミ山の冷蔵庫をひしゃげさせてからようやく、凶悪な殺人鬼の顔が完全にゴミに埋まったことに気づいた。


「あー……やれやれ」


 バスターは立ち上がり、雨に濡れた己の髪を掻き上げる。


「こんなもんだ。所詮、伝説になり損ねた殺人鬼なんてのは」


 手ごたえはあった。

 ビバ・鮮血スカーレッド・ケインは殺した。


「次は誰から殺してやろう。こいつ程度に手こずるなら、自警団も大したことはないだろうがな」

「油断してると、足元を掬われるよ?」


 音もなく、ゴーストが視界の端に現れる。

 しかしバスターは不快を示すこともなく、ニヤリと口角を上げた。


「俺の足を掬えるヤツなんていない」


 そしてケインにぶつけたデスクを掴んで、管理小屋に投げつける。

 管理小屋は派手な音を立てて壊れた。

 デスクは中にいる何かを潰したが、バスターの興味を一㎜たりとも引くことはできなかった。


ー・ー・ー・ー


 自警団を相手に凶悪な戦闘と殺戮を行って見せた男は、ゴミ山に埋まっていた。

 重酸性雨に打たれ、今もまだ、ぴくりとも動かない。

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