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雨の日は襲撃に向いている

 雨の音が鬱陶しい。

 兄貴のことを思い出す。

 たかだか26年生きただけで死んだ兄貴。

 殺された兄貴。


 毛布もかけず、ソファで丸まって寝ていたアドゥは目を覚ました。

 湿った布の匂いが鼻に入って、抜けていく。

 暗く寒々しい部屋で、寒さにブルっと身を震わせる。

 起き上がって、ソファに座り直す。

 目の前にある窓の向こう、継ぎ接ぎだらけのアパート群を、重酸性雨が濡らしていた。

 明滅するネオンの光と、ノイズのように走る雨滴。

 アドゥはクシャクシャの黒髪を掻いて、パーカーのポケットからドラッグパックを取り出した。

 中から一本、取り出して咥える。

 火を点けて一口吸うと、目を閉じて深く息を吐く。

 アドゥの顔が紫煙に包まれた。

 ドラッグパック:パソ・エルはアドゥの兄が好きだった銘柄だ。

 このスモーキーでスパイシーな匂いを嗅いでいると、直前まで見ていた夢を思い出す。


 血まみれの兄貴が、地面を這って手を伸ばしている。

 背後にはブラックスーツの連中が大勢立っていた。

 俺は兄貴を助けようとしたが、上手くいかない。

 いつも手が届く寸前で連中に引きずられていく。


「兄貴!」


 叫ぶ声も虚空に消えていく。

 兄貴は死んだ。殺された。

 連中のことはよく知っている。

 CランクとBランクに生息する悪党狩り。

 超攻撃的自警団『MA』。

 連中は俺の兄貴を殺した。

 様々な事件を起こした犯罪者。

 麻薬の密売人で、破滅させた人間は何人か。

 けれど、そんな人間珍しくもなんともない。

 Cランクじゃ生きていくために犯罪ぐらい、簡単に手を染める。

 兄貴は殺されるほどじゃなかった。

 それなら殺されるべきクズな連中は他にもいる。


 アドゥは兄が好きだった。

 他の連中からどう見られていたのか、そんなものはどうでもいい。

 大切なのはアドゥの主観だ。

 アドゥの面倒を見て、飯を奢ってくれ、優しくて、楽しい時間をたっぷり共有した。

 たった一人の兄弟。家族。

 外の世界を見せてくれるのは、いつだって兄だった。

 他の誰にとって最悪でも、アドゥにとっては最高だった。

 アドゥはパソ・エルを吸って、それから首を回して壁に立てかけてある鉄パイプを見た。

 人の頭くらいなら簡単に砕ける1mの得物。

 地面についた丸い先端には血が付いている。

 まだ、一人分の血だ。

 テーブルには食い終わったチャイナデリバリーのチャーハンと瓶ビール。

 それから猿を模したフルフェイスヘルメット。

 猿の目は真っ赤に充血している。

 アドゥは瓶を取って、温くなったビールを飲み干す。

 瓶を床に転がすと同時に、視界の端に黒い影が映る。


「やあ」

「……ああ」


 視線を向けても影は影のまま。

 強い日差しを浴びた濃い影がそのまま動いているような姿。

 彼は己のことを『都市のゴースト』と呼んだ。


「何か用か」

「君が今日も外に出るのか気になってね。今夜もるんだろう?」

「……見つかればな」

「幹部とぶつかったらどうする? たぶん今の君じゃ勝てないよ」

「……知らん。死ぬまで殴り続けるだけだ」


 ゴーストが揺れる。

 たぶん、笑ったんだろうとアドゥは思う。


「自分の身を犠牲にするのは感心しないけど」

「……お前の意見なんかどうでもいい。あいつらは兄貴を殺した。だからあいつらも殺す。俺と兄貴の思い出一つ分と奴らの命一人分。等価交換としちゃ当然だ」

「つかぬことを聞くけど、君とお兄さんの思い出は少ないの?」

「いいや。多い。とてもな。自警団の連中全員殺しても、おつりが来るだろうよ」

「……全員殺すつもりなんだね」

「何かおかしいか?」


 アドゥには見えないが、ゴーストの口角が上がるのを肌で感じる。

 ゴーストは明らかにアドゥの殺しを、やることを楽しんでいる。

 けれど、アドゥにはどうでも良かった。

 彼、もしくは彼女がMAの人間ならどんな手を使っても突き止めて殺してやろうと考えるが、そうじゃないならどうでもいい。

 最愛の兄を喪ったアドゥの世界には、己とMAの二つだけだ。

 あとは羽虫か何かと変わらない。

 復讐が終わるまでは、どうでもいい。


「行くのかい?」

「……ああ」


 ドラックパック:パソ・エルが燃え尽きた。

 アドゥは立ち上がり、フルフェイスヘルメットと鉄パイプを取って、斜めに歪んで閉まりもしない扉へ向かう。


「兄貴……すぐそっちにサンドバッグ送ってやるからな」


 アドゥはそう呟いて、ヘルメットを頭部に装着した。


ー・-・-・-


 メガシティー・トーキョーのCランクエリアは、治安は悪いが繁栄していないわけではない。

 人々はそれなりに活気に溢れているし、AやBに敵わないにしろ、生活を営む余裕はある。

 もちろんそれ以上にあぶれものも多い。

 そんな中を、超攻撃的自警団『MA』の構成員の男三人が巡回していた。

 ブラックスーツで身を固め、顔には目の部分だけメッシュになっている黒い仮面。左頭部から右顎にかけて、赤い文字でMAと表記されている。

 雨が降っているが、透明迷彩のレインコートを着ているので、三人に触れる前に雨滴が弾ける。


「三番通り、異常なし」


 一番大柄な男、イルが手首に巻き付けるバンド型の通信端末で定時報告を行う。

 これであと三十分は連絡義務がなくなった。

 だからといってサボタージュはしない。

 筋肉質な男ドンと、ひょろいが電気警棒の扱いが上手いエベスと共に、巡回に戻る。

 三人は幹部ではないが、両腕と両脚をサイバネ化しているので、並の人間では相手にならない。

 少しでも身に覚えのあるものは、道の中央を歩く三人に見咎められないよう、端っこを歩いた。


「イルさん、今度シスターのところに配属でしょう。おめでとうございます」

「いきなりどうした」


 エベスの言葉に、イルが鋭く周囲を警戒しながら応える。


「いや、シスターのところここから近いじゃないですか。挨拶にでも行きますか。と思って」

「お前はシスター目当てだろう。あの人、美人だからな」


 エベスの腕を、ドンが肘でつついた。


「まあ、それもありますけど」

「ふっ、少しは隠せ。それにシスターは今、子どもたちを寝かしつけている頃だろう。今訪問しても邪魔になるだけだ」

「あー、そっか。残念です……ね」


 話しながら、三人がピタリと止まる。

 大通りから道を一本外れた路地裏の中央に、奇妙な人物が立っていた。

 猿を模したフルフェイスヘルメットを被り、パーカーに両手を突っ込んで立っている。

 ジーンズの濡れ具合からすると、レインコートさえ着ていないようだった。


「……なんだ?」


 イルが眉を顰める。

 それからサッと手で二人に合図を送り、腰のホルスターに入れた電気警棒に触れる。

 危険だ、とイルの直感が警報を鳴らしていた。

 しかしそいつはイルの意に反して、スッと横道に入っていく。


「追いますか? イルさん」


 イルは一瞬迷ったが、超攻撃的自警団『MA』がここで退くという選択肢はない。

 相手があの有名なビバ“鮮血スカーレッド”ケインでもあるなら別だが。


「三番通り、イル。怪しい人物を発見。これから追う」


 ひとまず連絡を入れて共有する。

 それから三人で猿のヘルメットが入っていった横道へ向かう。


「俺、先に行きます」


 横道は狭かった。

 さらに奥は暗い。

 暗い場所でも比較的目が利く、ドンが先頭を買って出る。

 そのあとにエベス。殿しんがりはイルが務めることにする。

 そして進んで10メートルもしない間だった。

 ダクトを蹴るような、ボゴッと軽く鈍い音がした。


「……?」


 ドンが顔を上げる。

 そのほぼ同時。

 猿のヘルメットが上から降ってきた。


「ゲゥッ」


 奇妙な声を上げて、先頭のドンが顔と頭部を叩き潰される。

 べちゃりと、雨に濡れた地面にくずおれたドンの身体を踏んで、襲撃者が突っ込んでくる。


「グッ!?」


 しかしさすがはMAの構成員。

 エベスは強襲にも瞬時に対応した。

 手にした警棒で横薙ぎの一閃を、体勢を崩しながらガード。

 襲撃者の得物は鉄パイプだった。

 エベスは鉄パイプに警棒を滑らせ、相手の手に触れさせ、思い切り電気を流す。


「えっ!?」


 しかし襲撃者はグラブをしていた。

 効いている様子はない。


「絶縁体だ!」


 イルが叫ぶと同時だった。


「ぐぶっ!?」


 襲撃者が突き出した拳がエベスの顔にヒット。

 鼻血を出してたたらを踏むエベスに、襲撃者がもう一度鉄パイプを振る。


「あぇっ……?!」


 首の血管ごと潰すような横薙ぎの一撃に、エベスの首がぐにゃりと歪んで、関節を失ったみたいにべちゃんと地面に倒れた。

 ドンと同じく即死だった。


「……シッ!」


 エベスが倒れたその後ろから、イルが警棒を突き出す。

 電気は通らなくても、喉への一撃は効く。

 が、襲撃者は身体をわずかに捻るだけでその不意打ちを躱した。

 逆に、イルが無防備になる。

 ヘルメットの内側で、襲撃者が笑ったような気がした。

 ガード姿勢に入ろうとする。しかし遅かった。

 襲撃者が鉄パイプの端と中心を握り、下からイルの前腕に向かって思い切り振り上げる。


「ガァッ!?」


 鉄パイプの先端が当たったと思った瞬間、イルの前腕が折れて皮膚の内側から折れた金属が飛び出す。

 サイバネ化している腕を軽々と折られ、イルは驚愕する。

 さらに鉄パイプの先端が顔の中心に迫る。


「……ッ?!」


 ゴズッ、と鈍い音がした。

 鼻血が噴き出し、歯が何本も折れて口からも流血する。

 エベスと同じようにたたらを踏む。

 しかしイルは苦痛に意識を失いそうになりながらも、無事な腕を持ち上げて横からの一閃に対応しようとした。


「……カッ……カガッ……ア゛ッ、ア゛ッ」


 けれど襲撃者が選んだのは喉への突きだった。

 丸い先端がイルの喉に突き刺さり、パイプを通って血が地面に滴る。

 反射的に鉄パイプを抜こうとするが、それより早く髪の毛を掴まれ、前方に引き倒される。


「ガッ……」


 鉄パイプの持ち手が地面に激突。

 その衝撃で先端がイルの喉を突き破る。

 襲撃者が鉄パイプの先端を掴むと、イルは自重で地面に落ちていく。

 襲撃者は鉄パイプを引き抜き、イルのスーツを乱暴に剥ぎ取って血を拭った。

 それから三人の仮面を取り、真ん中から叩いて割る。

 通信端末の光が煩わしかったので、それも壊しておく。

 そして鉄パイプの先端で三人を順に差して数え、パイプを肩に担いだ。


「……これで思い出三つ分。弔うぜ、兄貴」


 襲撃者──アドゥはフルフェイスヘルメットの下でそんなことを呟くのだった。

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