雨とゴースト 殺し屋は啜る
関連話数
25.フォーカス1
26.ウィックVSケイン
「……なんで、外れたのかねぇ」
小さなビルの屋上で、巨大な銃──最後の晩餐──を構えた男、フォーカスが呟いた。
元同僚であるビバ“鮮血”ケイン。
そして目障りな存在でもある超攻撃的自警団『MA』の幹部、ウィック・インソムニア・ハルバード。
その二人を同時に仕留められるチャンスだった。
けれど確かに照準を合わせたはずの銃口、そして放たれた銃弾は、しかし二人には当たらなかった。
貫いたのは今まさにケインの首を落とそうとしていたウィックの大鉈だった。
ケインが逃げる。
ウィックがこちらを見上げる。
姿を見られるのはよろしくない。
屋上の縁、その内側にそっと身を戻す。
「なんだこれは……」
フォーカスの機械眼に、奇妙な映像が映っていた。
屋上の縁を歩く黒影。
成人男性ほどの背丈。しかしその容姿はうかがい知れない。
真っ黒なのだ。
影そのものが動いているみたいに。
「おー、ギリギリセーフ」
重酸性雨の音をかき消し、耳朶の内側から響く声に、フォーカスはネットへの接続を瞬時に遮断する。
しかし影は消えず、不快な笑い声が再び鼓膜を揺らした。
「あは、は、は……ダメだよ。そんなことをしても無駄。ナチュラルでもなければ、僕もこれは防げない」
「……チッ。何者だ」
「……うーん」
フォーカスの内側に侵入してきた何者かは、しばし逡巡した。どう答えるか、考えあぐねているようだった。
「都市の幽霊ってところかな」
「……何が目的だ。人の仕事を邪魔しやがって」
「まあそう怒らないで。銃を向けても無駄だよ。わかってるでしょ」
フォーカスはスペシャルディナーをコートの内側に戻し、代わりに減音器付の銃を取り出した。
間髪入れず、影に向かって撃つ。
「ね?」
だが幽霊の言う通り、銃弾はあっけなくすり抜けていった。
わかってはいたが、不可思議な存在にまた舌打ちが出る。
「改めて聞く。何が目的だ」
「目的か。そうだなぁ。ここで二人を殺すより、生かしておいたほうが面白いことになりそう」
「……それだけか?」
「うん、それだけ」
屋上の縁の上で、影がくるりと一回転する。
きっとこれはフォーカスにしか見えていない。
「イカれてる。奴らを生かしておけば、どれだけの死人が出ると思う」
「アハハ! 傑作。人殺しを生業にしてる人が言うこと?」
「俺が殺すのは必要な人間だけだ。快楽殺人者じゃない」
「都市から見れば、どちらも同じにしか見えないよ」
幽霊が話している間、フォーカスはネットを再接続。
機械眼を忙しなく動かして、映像投影用のドローンを探す。
──なし。
超高度なセキュリティソフトで解析。
──解析不能。
三度、舌打ちが出る。
「僕が何者か。そんなことは関係ないんだ。君には」
幽霊の声と共に、影に広告が映る。
巨大ビジョンに映される『ジンナイ製薬』のCMが流れる。
影の顔に当たる部分に、CMの顔である芸妓の白粉を塗った顔が貼り付けられる。
芸妓が笑顔でフォーカスを見つめる。
フォーカスは撃った。
芸妓の額に穴が穿たれる。
しかし一瞬だ。
すぐに元の映像となり、同じ笑顔をフォーカスに向ける。
「ケインは可能性だ。危ういバランスだけど」
「ヤツは獣だ。もう可能性もない。快楽で殺しをやる最下層だ」
「本当にそう思う?」
「……なんだと?」
影が屋上から落ちる。
そして今度は屋上のダクトに座り、腹に芸妓の顔を映す。
「超人計画は凍結された。コストがかかりすぎるからね。失敗作もたくさん生まれた。でも、ただの失敗作じゃない者も何例か存在した」
「……アイツもそうだっていうのか?」
「それはわからないよ。けど、面白い兆候を示してる」
「面白い……あの殺人欲求がか」
「……君は殺人の仕方、動機に関心が多いね」
「……殺し屋だからな」
影が消え、フォーカスの背後に現れる。
振り向かない。目で見える情報は幽霊に対して無意味だ。
「君は組織から与えられる仕事に疑問を持ったことは?」
「ある。だが、もう考えたことはない」
「元同僚を殺すとしても?」
「……ああ」
「元同僚を失うことは悲しくないのかい?」
「悲しい……? ふ、感情は殺しの邪魔だ。そんなものはとっくにない」
「そうかな。僕にはそうは見えないけど」
「いい加減にしろ。ファ××ンゴースト。お前の目的はなんだ。ケインを逃がすだけか? それとも俺をおちょくってんのか」
再びスペシャルディナーが抜かれる。
当たらないとわかっている。
それでも意思表示は重要だ。
姿を特定した瞬間、殺す。
最後の晩餐をたっぷり喰わせてやる。
「ただの時間稼ぎだよ」
「……」
「ケインがいなくなったら、腹いせにウィックを殺すかと思って。彼らが撤収するまで僕に付き合ってもらった」
「なぜあいつまで?」
「彼も不思議でしょう? 亡くなった奥さんを憑依させる。非科学的だ。デジタルシートを顔に貼り付けるわけでもない。それでもあの顔は彼の奥さんそのものだ。説明がつかない」
影は雨を楽しむようにクルクルと回った。
頭部に投影された芸妓の顔だけがその場で留まり、出来の悪いホラーみたいな映像となった。
「面白い連中には生きててもらわないと」
「俺以外にも奴らを狙う連中はたくさんいるぞ」
「もちろん。人は死ぬときは死ぬ。だがそれは今日じゃなかった。そして彼らを殺すのは君じゃなかった」
「……殺すリストにお前を追加した。必ず見つけ出して殺してやる」
フォーカスの言葉に、影が腹を抱えて笑う。
「ムダだよ。ムダ。僕はどこにでもいて、どこにもいない。都市の幽霊だって言っただろ」
「なら霊媒師にでも頼むさ。どれだけ時間がかかってもな」
「……ふふふ。いいね、僕を気味悪がって遠ざかる人間は数多いたけれど、ここまで敵意をむき出しにしてきたのは君が初めてだよ」
「そして最後の一人になる。俺の仕事の邪魔をした罪は重いぞ。ゴースト」
「楽しみにしてるよ。フォーカス。そろそろ頃合いだ。また遊ぼう」
「ああ。俺も楽しみにしてるよ」
フォーカスが銃をぶっ放すと同時、影が消失する。
ダクトに大穴が空いたが、咎めるものはいない。
「……面倒くせぇ。またババアに嫌味言われるな」
フォーカスは銃をコートの内側にしまい、屋上から飛び降りる。途中の壁と窓枠を蹴って、何事もなく地上に着地する。
通りに出ると、いつも通りの日常が広がっていた。
傘を持つ人々。
時折フォーカスと同じように雨具さえ着けてない人間を見るが、大体は透明迷彩のシールドを着込んでいる。
もうここで殺人鬼と自警団幹部の戦闘があったなんてわからない。
そのままケインを追って移動しようかと思ったが、屋根付きの屋台を見つけて足を止める。
ヌードル屋だ。ジャパニーズスタイルの太い麺。うどん。
「かけうどん、二つくれ」
暖簾をくぐるなり、フォーカスは言って椅子に座る。
「普通盛り二つなら特盛一つで足りますよ」
「じゃあそれで」
「はいよ」
すぐに出てきたうどんを啜る。
熱い汁と茹で立てのうどんがよく合っていた。
腹が満たされていく。
同時に、熱くなっていた頭が冷えていく。
殺しに必要な冷静さが戻ってくる。
「ごちそうさん」
「ありがとうございましたー!」
紙幣を一枚置いて屋台を出る。
フォーカスは周囲を油断なく警戒した後、歩き出す。
幽霊の言うことに従うのは癪だったが、今日は殺さない。
確実に追跡して、然るべきときに確実に殺す。
フォーカスの足取りに、迷いはなかった。




