FE編・End 見世物小屋の人々
昨夜の雨が嘘みたいに、快晴だった。
太陽が雫を受けたビル群を照らす。
ワイヤードは反射する光に思わず手で庇を作り、眩しいそれを遮った。
「よぉ、名探偵」
「……面白くない冗談ですよ、ミラー警部」
Bランクエリア。
フルオール署の施設内にある喫煙所。
現れたミラーは、目頭を揉んでワイヤードの隣に立った。
「吸うか?」
「……いえ」
「そうか」
懐から出した合法ドラッグパックを一本抜き出し、口に咥えて火を点ける。
それを不味そうに吸ったあと、緩く紫煙を吐き出す。
「うちは今大混乱だ。フェイスイーターとして逮捕された者を見た人間はな」
「それはそうでしょう。まさか情報を握りつぶしていた人物がそのまま犯人だなんて……」
「匿名で本部長の家の映像も送られてきた。短い映像だが、彼が犯人であることを裏付けるには十分だ。誰が撮ったのかは知らんがな」
ミラーは一度深く吸って、それから煙はたっぷり吐き出した。
そして左手の指を軽く振って、ワイヤードの端末に情報をポップさせる。
「……え?」
そこに示されていたのは、労働者・テッドの履歴書。その上に赤字で示された『DEAD』の判。
「なぜです? 彼は無実のはずです」
ワイヤードはミラーを見たが、ミラーは目を合わさず首を振った。
「警察内部、それも幹部が連続殺人犯ということにはできない。フェイスイーターとして裁く犯人が必要だ」
「彼は無実だった」
「だが不運だった」
「……そんな言葉で納得しろとでも?」
「……俺だって納得できてねぇんだ。だがトップが是と言や、オレたち下っ端に言葉を発する権利はない。この都市と同じだ。すべてはトップの思惑通りだ」
ミラーが握りしめたドラッグパックは半分から折れていた。
ピンっと灰皿に弾き、新たにもう一本取り出す。
「本部長の犯罪を隠蔽するため、無実の市民の首が括られ、名前なしの墓石の下だ。これで決着だ。全部だ。そしてお前はこの事件を解決した名探偵だ」
「……私は何もしていない。殺されかけただけだ。皮肉で屈辱で、もはや侮辱すら感じる通称ですよ」
「だろうな。だが一つだけ、不可解なことがある」
「……なんです」
「……誰も刑の執行を見ていない。埋めるところも」
「……え?」
ミラーがようやくワイヤードを見た。
「できる限り迅速に処理されただけ。そう捉えることもできるがな」
「……警部。やっぱり一本ください。少し落ち着く時間が必要だ」
「……ああ」
ミラーが差し出した一本を取り、ワイヤードはドラッグパックに火を点ける。
それから肺に入れた煙を吐き出して、小さく呟く。
「これで何が名探偵……本当にまだまだだ」
ー・ー・ー・ー
「先輩、飯買ってきましたよ」
「おー、そこ置いといてくれ」
ガレージで車を直しているのは旧イタリア系の大男、エンリコだった。
飯を買ってきた金髪碧眼のアシュールは、自分の作業机に座ってハンバーガーにかぶりつく。
「僕のはー?」
キータイピングの音とともに上から先生の声がする。
「ここにありますよ」
「持ってきてー」
「あいっす」
アシュールはハンバーガーを置いて上階の先生のところへヌードルを届ける。
ウエノストリートで売っている安物だ。しかし美味い。
「ありがと。助かる」
「骨折だけで良かったっすね、先生」
「ホントだよー。それも足。腕だったら泣いてたね」
先生の両足は大げさなギブスで固定されていた。
座っているのは多脚型の車いすだ。
覗き屋の三人はあの日、ロケット弾で撃たれた。
しかしその直前、エンリコが急ハンドルを切ったこと、そして展開を見越してやってきた都合のいい名探偵が放った銃弾が軌道をずらしたこと。
その二つが重なり、三人とも死なずに済んだ。
「ただそのおかげで治療費にけっこう持っていかれたからなー」
「だから俺が自分で車修理してるんでしょうが」
下からエンリコが文句を言う。
「良かったじゃない。車いじり好きでしょ」
「誰の話だ先生。こんな面倒なこと嫌いだよ俺は」
「あれ? そうだったっけ?」
先生は言いつつ、伸びかけのヌードルを啜る。
「ところで“アレ”は無事に依頼主に届いた?」
「バッチリっす。データ改ざんはどうなりました?」
「こっちもバッチリだよ。追加料金も弾んでもらったからね。よほどの腕のヤツじゃないと見破れない」
「そのよほどの腕、どれだけいるんすか?」
「……さぁ?」
先生の答えにアシュールは肩をすくめ、階段を降りる。
エンリコが顔を上げ、汗を拭うと、オイル汚れが頬についた。しかし気にする様子もなく、作業用の手袋を外してサンドイッチにかぶりつく。
「仕事は?」と、エンリコ。
「もちろん斡旋しときました。Cランクっすけどね」
「そうか……まあ、あとは自分でなんとかするだろう」
「っすね」
二人が再び自らの食事にかぶりつこうとしたときだった。
「お二人さん、次の依頼だよ。三時間後、指定の場所にってさ」
「今度はあの女、関わってないでしょうね」
「うげっ、それは困るっす。面倒そう」
「大丈夫、今度はBランク上層の金持ちさんで、ペットの犬の散歩と護衛だってさ。20頭」
「……断れ」
「もう受けちゃった」
先生の言葉にエンリコが額を押さえて嘆息する。
「それじゃ、ご飯食べたら準備するよ」
「了解っす。諦めましょ、先輩」
「……」
もはや覗き屋というより便利屋だろう。
などと思うエンリコをよそに、あれよあれよと仕事の時間は近づいていくのだった。
ー・ー・ー・ー
Aランクエリア。
学園街近くのカフェ。
さりげなく店全体が見渡せる位置のテーブルに、一人の老紳士が座っていた。
ホロではないニュースペーパーを広げて、時折コーヒーを飲んでいる。
その隣のテーブルに、一人の少女が座った。
少女は金とコネ、あるいは金と何某かの特異な“質”を持っている者しか入れない学園の生徒だった。
艶やかな黒髪を流し、慣れた様子で店員に注文する。
それから端末を取り出し、紙の文庫本にガワを似せた電子書籍を読み始める。
『君の選定は見事だった。あの短時間でよく見つけてくれたよ嬢ちゃん。仕事の顧客のこともな』
少女の視界に秘匿回線でメッセージが走る。
少女は眉根一つピクリともさせずにメッセージを返す。
『いいえ、おじ様。私の“ご主人様”たちの中にあなたのファンが多かったのです。今回の事件の解決、その手際、結末に皆様お喜びでした』
『そうかい。そりゃよかった。手間をかけた分は上乗せで入れておいた。君からすればはした金だろうが、ここのお茶代にでも使ってくれ』
『ええ、感謝します。おじ様』
二人の会話はそれだけだった。
傍から見れば、ただ単に偶然、席が隣同士になった者同士。
店にいる他の者たちは、誰も二人の正体を知らないし、見抜けない。
目を合わせもしない。
合図を送るわけでも、怪しい動きをするわけでもない。
それで気づけというのも無理な話だった。
そうしてしばらく隣同士だった二人は、ごく自然に離れて店を出る。
今度顔を合わせるときは、また仕事のときだろう。
監視カメラを見たとしても、この二人に接点を見つけ出すことは不可能に近い。
店を出た老紳士、都合のいい名探偵チェナロは眩しさに手で庇を作る。それからAランクエリアの澄み切った空、都市群を眺めて小さく息を漏らす。
「……ファンね。見世物小屋に戻った気分だぜ」
自嘲気味につぶやきながら、チェナロは脇に抱えていたボーラーハットを被る。
そして居心地の悪いAランクエリアから、住み慣れたBランク、そしてCランクへと戻っていくのだった。




