FE編・6th.花束の代わりに手向けの煙
「ごほ、げほっ……」
ワイヤードが喉を押さえむせていると、頭上にスッと透明の傘が差される。
「悪いな青年。野暮用を済ませてたら、少し遅くなっちまった」
「あなたは、引退したはずでは……?」
「引っ張り出されたんだよ、昔の相棒にな」
チェナロは言って、いつの間には空いていた右手でスーツの懐から葉巻を取り出す。指で吸い口をちぎり、小指と薬指で挟む。人差し指でマッチ箱を支えて、親指でマッチに火を、それから葉巻を炙るように火を点けた。
「少し預かっててくれ」
傘をワイヤードに被せるように渡したチェナロは、雨に濡れるのも構わず、葉巻を咥えたまま、倒れているピグマのもとへ向かう。
「……ハァッ!?」
と、ピグマが空中をもがくようにして目を覚ました。
動いているのは左手と両脚だけ。肩を撃たれた右腕はダランと垂れたままだ。
さらにその右肩から鈍色の機構が見えていた。
ピグマの腕は、サイバネ化されていた。
ピグマは今撃たれたとは思えないほど素早い動きで起き上がると、片膝をついた状態でチェナロと相対する。
「探偵……あなた、まさか……あの都合のいい名探偵……?」
「そう呼ばれてることもあるな」
「なぜ、あなたのような化け物が……」
「偶然さ。全部偶然だ。だが、俺はその偶然に最善を尽くした。それぞれの要望にもできる限り応える形でな」
チェナロが葉巻を人差し指と中指で挟み、煙を吐く。
「お前さんがこっそりとこの路地に仕掛けた迷彩も解いた。雇った連中が優秀でな」
ピグマがバッと顔を上げる。
そこにピグマが仕掛けたドローンはなかった。
迷彩投影ドローン四台が、建物の屋上にいる何者かに確保されている。
何者かは三人。
真ん中のラップトップを持った男と、その男に傘を差す大男。そしてこちらを睨みつけるように見ている男。
「これで、全部ですか?」
「……悪いことはいわん。もう希望に縋ろうとするな」
「けれど、たかが5人。私をただの警察高官だと思ってもらっちゃ困りますよ」
ピグマは左手で雨に濡れた髪をかき上げる。
「あなた方を殺せば、またリセットされる。生きていればなんとでもなる。Aランクに居住を持つ私は許される。私は、死なない」
「そいつは傲慢ってやつだ。たとえお前さんが金と権力に物を言わせて作った白兵戦用のサイバネ義肢を着けてるとしてもな」
「やってみなければわからないでしょう!」
ピグマは脚に力を込めてチェナロの首を、頸動脈を毟り取ろうとした。
しかし、先に発砲音が聞こえ、ピグマは態勢を崩した。
また、チェナロの手に大振りの銃が“出現”している。
ピグマは一発分の発砲音で“両脚”を撃ち抜かれていた。
「お前さんが言ったんだ。俺は都合のいい名探偵。俺が出張った時点でお前さんのような悪党に希望なんてないのさ」
「……ガァアアッ!……アッ……」
重酸性雨を切り裂き飛翔した弾丸が、片手で身体を起こしたピグマの頭を貫いた。
侵入口は小さく、後頭部に大きな穴を開けて、ピグマは反動で上半身を大きく跳ねさせ、仰向けでどしゃりと倒れた。
目から光が失われている。
重酸性雨が当たっても、反応一つしない。
「…………」
チェナロはピグマに近づき、その胸に吸いかけの葉巻を置く。葉巻はわずかな煙をくゆらせたあと、重酸性雨にジュッ、と消される。
チェナロは屈み、ピグマのこめかみに触れた。
わずかな抵抗のあと、ピッ、とピグマの顔が“ぶれる”。
顔に貼り付けるシートだった。
隠したいものや、変えたいものがあるときに使うものだ。
シートを剥がれたピグマの顔は鼻を削がれ、いくつも肌を千切れた痕のあるものだった。火傷の痕もある。
「……お前さんが傷つけられたのは顔だけじゃない。心もだったろう。傷だらけのピグマ」
チェナロは黒いハンカチを取り出し、ピグマの顔にかけてやる。
「同情できる点は大いにある。だが、お前さんはこの都市に嫌われた。悪党だった。だからまあせめて、全部から解放された今、せめて安らかに眠るといい」
立ち上がったチェナロは、ピグマに向かって片手をあげ、それからワイヤードのもとへ戻ってくる。
「立てるかい、青年」
「は、はい……」
ワイヤードはチェナロの手を借りてなんとか立ち上がる。
ダメージは重いが、歩けないほどでなかった。
「ほれ」
チェナロがワイヤードの帽子と傘を取って寄越す。
「あ、ありがとうございます」
礼を言って受け取り、透明の傘を返す。
「さて、頼みがあるんだ青年」
「……なんですか?」
「ピグマ・アロンソを署に届けてくれや」
「……は?」
意味が飲み込めないワイヤードに、チェナロはふっふと笑って新たな葉巻を取り出し、火を点けて口に咥える。
「話はもうな、つけてある。今からここに警官たちがやってくる。ひよっこミラーが部下を引き連れてな。それを自分が片づけたということで引き渡せばいい」
「ま、待ってください……どうして私なんですか? あなたが引き渡すべきでは」
「俺にはまだやることがあってな。それにいいじゃねぇか。探索の筋は良かった。証拠を引き寄せる運もある。探偵としての素質はあるぜ。まあただ、今回みたいな事態になっても負けないように鍛えるのもいいかもしれないな」
チェナロは片頬だけ上げて笑い、ワイヤードの肩を叩く。
「あ、あの……」
「そんじゃ、頼んだぜ。老兵は去るのみさ」
呼び止めようとしたワイヤードに振り向きもせず、チェナロは去っていく。
もう止めることはできない。
止めたところで、何を言えばいいのかワイヤードにはわからない。
「都合のいい名探偵……本当に都合が良すぎる……」
真実には迫った。
しかし解決する力はなかった。
ワイヤードは大きく嘆息する。
「鍛え直すか……どれだけやっても、あの域には到達できそうにはないが……」
ワイヤードは壁にもたれ、警察の到着を待つ。
とにかく今は、熱いコーヒーが飲みたい気分だった。




