FE編・2nd.ワイヤードの捜査
「じゃあ、あなたはその日、仕事を終えてすぐに彼と別れた、と?」
ワイヤードが訊くと、ウエノストリートの屋台でヌードルを啜っていた作業着の男がうなづく。
「そうだよ。警察の人にもそう言った。あいつはあの日、俺の誘いを断ってまっすぐ帰ったよ。ブロイラーハウスにな」
男──労働者テッドの同僚、ケビン・アラウィスはレンゲに持ち替えてチャーハンを口に運んだ。
それを水で流し込んでから、またヌードルを啜る。
「でもあいつはさ、生真面目なヤツで息抜きの仕方も知らなそうだから、毎回誘ってんだ。たいてい振られるけど」
ケビンは自分の言動を鼻で笑い、ヌードルの濃いスープを啜る。
「だからまっすぐ家に帰るなんて日常茶飯事。誘いに乗られるとこっちが驚く」
「……あなたから見て、テッドさんは事件を起こしそうに見えましたか?」
「テッドが? まさか」
ケビンは箸で底に溜まった麺の切れ端を掬う。しかしそれは食べずに、レンゲに持ち替えてチャーハンを軽く掻いた。
「さっきも言ったろ。あいつは生真面目だ。クソがつくほどな。それに自分の人生に不満もなさそうだ。心の底からな。根っからのブロイラーだよ。だから俺は」
ケビンがチャーハンを口に運ぶ。ヌードルのスープを飲んで、それから水で流し込む。
「だから俺は、あいつを尊敬していた。俺には真似できない。自分の人生を疑いなく真っ当しようとしてる」
そこで間を置いて、ケビンはコップにセルフの水を注いだ。
「正直なところ、わからない。あいつがフェイスイーターだっけか? そんな恐ろしいことをしてるかどうかなんてな。だけど俺から見た印象だけだっていうなら、あいつはやってない。そんなのヤツの人生に対する合理性がない。猟奇殺人なんてするより、明日の仕事に備えて夕方には布団に包まるヤツさ」
「人生に対する、合理性……」
ケビンから不意に出た言葉に、ワイヤードは妙に納得してしまう。
粗野な印象を受けるこの人物だが、案外鋭いところを突いてるような気がする。
「ところであんた、探偵さんだっけ?」
「はい」
「もし、あいつに会えるならさ、言っといてくれよ。また誘うから、遊びに行こうぜってな。あ、あと飯もだ。ま、食事は俺がうるせぇから全然乗ってきてくれねぇんだけどな」
ケビンが笑う。
ワイヤードも片頬を持ち上げるだけだが、微笑んだ。
「会えたら伝えておきます」
「頼んだぜ。さて、話は終わりか? 昼休みの残りは仮眠を取りたいんだが……」
「ああ、申し訳ない。話を聞かせてくれてありがとうございます。参考になりました」
「いーさ、俺なんかの話で役に立つならいくらでも。あ、昼寝の時間はやめてくれよ?」
「善処します」
苦笑しつつ、ケビンと別れる。
ワイヤードはサイバネアイで今の会話を録音、録画していたので、それを秘匿性の高いファイルに入れておく。
それから足を組み、右手の人差し指でこめかみを軽く叩く。
別に必要はないが、データを整理するときは同じ行動をする。
(被害者に共通点はなく、強いて言えば爽やかな印象の男性のみ。人好きのする顔。それから指。どちらも抉り取ったような状態で、顔や指をコレクションしているような犯人像は見えてこない。乱暴で粗雑。しかし顔に貼り付けるホログラムだけはひどく丁寧……)
これまで見聞きして集めた情報を整理するが、やはり写真やプロフィール、動画で見たテッドの印象といまいち嚙み合わない。
もちろんこれはワイヤードの勘でしかないが、もしも彼が犯人であるなら、もっとシステマチック、人を物のように切り捌くのではないだろうか。
それなら納得できる。だが、今回は違う。
フェイス・イーター事件。その被害者は見つかっているだけで五人。
被害者は他にもいる可能性が高い。
しかし現場の監視カメラなどは機能していないことが多く、十中八九、犯人がジャミングしているものと思われる。
そして今回テッドが捕まった事件。
なぜ今回に限って、テッドが監視カメラに映り込んでいたのか。
これまではあんなに用意周到で、雑な殺しをしても捕まらなかったというのに。
それに犯行現場とされた場所にあった遺体。
現行犯逮捕とのことだが、あの遺体は死後“三日”だ。
警察の発表では犯人は現場に戻ってきた。
そこに善良な市民からの通報を受け、死体と不審な人物を確認。
到着した警官二名がテッドを逮捕した。
そしてその直後から次々に証拠が見つかる。
恐ろしいほどの速度で。“誰かが隠していた”または“捏造した”ような速度で。
「……はぁ、厄介だな。だとすると犯人は……」
そう呟いたときだった。
「おい、探偵。向こうで飯を食おう」
突然声をかけられた。
顔を上げると、フルオール署の警部、ミラーが大きな紙袋を抱えて立っていた。
「警部? どうして」
ミラーは答えず、顎でワイヤードの後方を指した。
振り返ると、ミラーの愛車、黄色いビートルが止まっていた。
ワイヤードは頷いて立ち上がり、ミラーと共に車へと向かった。
「成果はあったか?」
車に身体を入れ込むなり、ミラーが言った。
「いいえ、何も」
「嘘つけ。二つか三つ、情報を取ったって顔をしてる。食うか?」
ミラーが紙袋の中からむき出しのホットサンドを取り出す。
「中身はなんですか」
「ハムエッグだ」
「いただきます」
ワイヤードに渡すと、ミラーは自分用のホットサンドを取る。
「ヤツが犯人じゃない証拠は一つ出た。代わりに犯人である証拠が十も出て来やがった」
ミラーがホットサンドを食べながら話す内容に、ワイヤードは思わず吹き出しかけた。
「冗談みたいですね」
「やりすぎだ。だが、正規の証拠として扱われる」
ワイヤードが一つ食べている間に、ミラーは三つ目のホットサンドに手をつけていた。
「やりすぎとは?」
「とぼけるな。怨恨の線はなし。通り魔的な犯行。だがただの通り魔じゃない。カメラをジャミングして自らの痕跡を消す用意周到さ」
ミラーが二つ目のホットサンドをよこしてくるが、ワイヤードは断った。
一つでも十分なのに、ミラーはもう四つ目だ。
「そんなヤツが今回みたいなミスはしない。そうだろ?」
「ええ。僕も今しがた、そういう結論に至ったところです」
「ということは、だ」
ミラーがコーヒーで口の中のホットサンドを流し込む。
「本当の犯人がこの事件を哀れな労働者のせいにしたがっている。濡れ衣を着せようとしている。許されないことだが、うちの上層部も“その線”に乗り気でな」
「あぁ……」
ワイヤードは前を向き、車に乗り込む前に買っておいた甘いアイスコーヒーをストローで吸った。
「相変わらず、よく飲めるなそんなの」
「糖分は脳にいいんですよ」
言いながら、ワイヤードはシートに深くもたれる。
犯人はたぶん──。
「そちらの内部に、真犯人がいるってことですか?」
「それも上層部に食い込める人間。弱みを握っているか、もしくは上層部そのものか」
「目星は?」
「まだつかない。情報を探ろうとするんだが、本部長のピグマ・アロンソからの遠回しな妨害が入る」
ミラーが五つ目のホットサンドを食べ終えて、ようやく紙袋をくしゃりと潰した。
「俺が調べようとしたものすべてに、ヤツがロックをかける。それは機密事項になったとな。本部長より上の人間しか開けない。ヤツはきっと真犯人を知っている。だから邪魔をする」
「勘ですか?」
「ああ、証拠がなければ全部ただの勘だ。だから証拠がいる。上が何かをしている証拠。しかしその証拠を得るための糸口を……」
「その上層部に潰される、と」
ミラーも深くもたれる。シートが軋む音がした。
「当然監視はされてるだろうな。相手は警察幹部かそれとも五大企業か」
「ここでの会話は大丈夫なんですか?」
「ああ、裏の連中使って徹底的に洗浄させた。盗聴器の一つも残ってねぇよ」
ミラーが深くため息を吐く。
「やれやれだ。このままだと無実の罪で一般市民が犠牲になる」
「でもまだ裁判もある。時間はもう少し……」
「ない」
「…………は?」
ワイヤードは思わずミラーを見た。
ミラーは後頭部を組んだ手で支え、正面を見据えていた。
「裁判なしだ。大量の証拠があるから、いらないと。異例中の異例だがな」
「そんなのが許されるはずが……」
「許された。話は通った。俺も何がなんだかわからん」
「……そんな……」
信じられないほどの横暴だった。
けれども話は通ったということは、本当に裁判なしでテッドに判決が下される。
「それで、彼は……?」
「当然、死刑。執行までの猶予は一週間。それまでに解決できなければ……」
「いっしゅ……!? あぁっ、くそっ、なんてことだっ!」
ワイヤードが天を仰いで吼える。
権力。それは恐ろしいほどの力だった。
機能しづらくなっているとはいえ、裁判なしで死刑判決。
それはあまりにもひどすぎる。
「探偵、証拠だ。民間人のカメラでもいい。真犯人が映ってるものを探してくれ」
「そんな無茶な……」
そうは言ったものの、ワイヤードだってやるしかないことはわかっている。
使い古された表現だが、それは砂漠で一粒の砂金を探すようなものだ。
それでも、やらなければ善良な市民が一人死ぬ。
「情報は一通り持ってますが、そちらの捜査資料もください」
「ああ、もちろんだ」
ワイヤードは車から降りる。
ミラーはビートルのエンジンを入れた。
「僕は一人目の現場を」
「わかった。俺は三人目を見てくる」
互いに頷き合って、それぞれの目的地へ向かう。
と、その前にミラーが声をかけてくる。
「ワイヤード」
「はい?」
「……気を付けろよ」
「……お互いに」
言い合って、今度こそ出発した。
事件解決のため、探偵と刑事が奔走する。
そんな二人をドローン越しに見つめる者がいることを、ワイヤードとミラーは知る由もなかった。




