FE編・Opening ピグマ・アロンソ
関連話数
16「ワイヤード1」
27「ブロイラー・テッド1」
32「チェナロ」
40「覗き屋たちとミス・コール」
フェイス・イーター。
顔を抉り取り、その上にホログラム加工をしてただ寝ているように見せる、イカれた殺人鬼。
その犯人が捕まった。
Bランクエリアの平凡な労働者だ。
「部長」
Bランクエリアの端にあるフルオール署。
そこに来ていたピグマ・アロンソは、呼ばれた声に応じて振り返った。
後ろにいたのは、このフルオール署の古株の警部だった。
「やあ、ミラー警部。どうしたんですか」
「フェイス・イーターについての資料、読まれましたか?」
「ええ、読みましたよ。彼の経歴も」
ブロイラー・テッド。
特に特筆すべきことがない、平凡な労働者。
その他の労働者と変わらず、生まれて、働いて、老いて、そこそこ幸せに暮らすはずだった労働者。
「平凡すぎるほど平凡。こんな事件を起こすとは、誰も考えない」
ピグマの言葉に、ミラーが頭部を掻く。
「……本当に、こいつなんですかね?」
「……どういうことです?」
ピグマが、金縁眼鏡型のサイバーグラス越しにミラーを見据えた。
「先ほど部長がおっしゃった、平凡すぎるほど平凡。確かに事件の犯人なんてのは、まさかこいつが……なんてのは腐るほどよくある」
ミラーが指を軽く動かす。
一見何も着けていないように見えるサイバーグラス越しに、テッドの情報でも眺めているのだろう。
「だが、ここまでの異常事件を起こすような人間には見えない」
「……刑事の勘、というやつですか?」
「……ええ、まあ」
また頭部を掻くミラーに、ピグマがゆっくり近づいていく。
そうして肩にポンと手を置き、片頬だけをあげてほほ笑む。
「映像だって、現場にいたことだって、すべて証明されてる。彼が犯人ですよ」
「しかしあの映像は不自然な点も多い。それに、逮捕されてから証拠の集まりが早すぎます」
「それはつまり、彼が逮捕されてから証拠が捏造されたと?」
「…………」
ミラーは無言だったが、それは肯定を意味していた。
だからピグマはもう一度笑みを浮かべる。
「ミラー警部。我々警察の捜査能力は確かに落ちた。だがね、それでも捏造などがわからないほど、調査班の能力は低くない。あなただって、それはわかるでしょう」
「…………ですが」
まだ食い下がるミラーに、ピグマは小さく息を吐く。
よく働く刑事など、流行らないというのに。
「なら、気が済むまで調べるといい。彼が犯人だという結論は覆らないと思いますがね」
ミラーは軽く頭を下げると、踵を返してやってきたほうへ戻っていった。
そんなロートルを気取っているが、未だに古臭い、熱い刑事魂とやらを持っている警部の背中を見つめる。
「やれやれ」
“もう結末が決まった事件を引っ掻き回さないでほしい”。
それが、事件解決のために本庁からここへやってきた本部長、ピグマ・アロンソの偽らざる気持ちだった。
「……さて、私は帰るとしましょうか」
ピグマはサイバーグラスで時計を確認し、一人ごちた。
ー・ー・ー・ー
「ただいま。帰りましたよ、母さん。父さん」
ピグマ・アロンソが帰ったのは、登録してあるAランクエリアにあるマンションではなかった。
Bランクエリアの端。それもCランクに近い、安アパートだった。
アパートと言っても、住民はピグマたち以外はいない。
不人気エリアで、BもCもどちらの住人も用もなく寄り付かない場所だ。そもそも用事ができるほどの何かがない。閑散とした、都市の空白のような場所だった。
「母さん?」
「そうかい」
ピグマがリビングに顔を出すと、椅子に座った母が返事をした。
一点を見つめ、口をパクパクと動かしている。
年齢に見合わず、施術をしているわけでもないのに、皺が少ない。
笑顔の美しい女性だったが、二十年ほど前からずっとこの調子だ。
「いるなら、もっと早く返事をしてくださいよ」
「そうかい」
「やれやれ……困ったものだ」
ピグマはコートを脱いで、キッチンへ向かう。
冷蔵庫に入っているインスタントフードを取って、レンジに放り込む。
時間を設定して、ミネラルウォーターを飲んだ。
「…………」
視界の端に見える父は、リクライニングチェアで微動だにせず、窓の外を眺めている。
曇天だ。
そろそろ重酸性雨が降るだろう。
父も母も、あの日から時間が止まっている。
当然といえば、当然のことだが……。
ピグマは出来上がったインスタントフードとフォークを持って、テーブルに着く。母の対面だ。
「母さんは? 今日はちゃんとご飯を食べたんですか?」
「そうかい」
「ならよかった。食べられることはいいことです」
「そうかい」
ピグマはインスタントフードにフォークを刺す。
栄養バランスの考えられた、美味しい料理。
もちろん天然食品ほどではないにしても、ピグマは満足だ。
「そうだ。今日、フェイス・イーターが捕まったんですよ。知ってます? 母さん、ニュースは見ました?」
「そうかい」
「ええ。どうやらこのエリアの労働者ということなんですけどね、ブロイラーってやつですよ。どうにもそんなことをするようには見えない。そんな風貌の人間です」
ピグマは愉しそうに語る。
ミラーが言っていた所見を、ピグマも持っていた。
「実際、可哀相だと思いますよ。“彼はやっていませんしね”」
合成食品のブロッコリーを口に運びながら、ピグマが言う。
「なんでわかるかって? それはそうですよ。あんな雑な証拠、いくら集めてもねえ。映像も捏造ですよ。巧妙に作られてはいますが」
「そうかい」
ふふ、と楽しそうに笑うピグマ。
ドレッシングのかかったベーコンとレタスを突き刺し、口に運んでいく。
「署の人間も言っていたんですけどね。あれはおかしい。これまで何の手掛かりもなかったのに、と」
「そうかい」
「それはそうですよね。あれは作ったものですから。そう、手がかりがないなら“作ればいい”。犯人がいないなら“作ればいい”。ああ、そうだ。ライターでも雇って、平凡に見えた彼の人生に濃い影を落としましょうか。ふふふ、どんなストーリーがいいですかね」
ミネラルウォーターを飲み、母を見るピグマ。
「母さんはどう思います?」
「そうかい」
「なるほど。“僕”の話を彼のストーリーにする。良い案ですね。それ、いいかもしれません」
母は一点を見つめ、ピグマのことなど見てはいない。
けれどもピグマは、ニコニコと笑みを浮かべる。
「幼少から母親に顔が悪い、顔が醜いと言われ、父親のようになればよかったのに。お前は本当に顔が悪い。醜い。近寄るな。父さんのような顔になったら近づいていい。ふふ、昨日のことみたいに思い出せますよ」
「そうかい」
ピグマは最後のひとかけらを口に運び、ミネラルウォーターで流し込む。
「だから僕は父さんの顔を“貼り付けた”のに、母さん、悲鳴をあげるばかりで……あのときは本当に困りましたよ。母さんが嘘を吐いたのがいけないんですよ。まったく」
「そうかい」
「ええ、そうです」
ピグマはサイバーグラスを外して、テーブルに置く。
部屋全体の明度が落ちたように感じる。
人生がオフになっていく感覚。
ピグマはこの瞬間が意外と嫌いではない。
「あのときの母さん、うるさかったですよね。ひどい目をしていた。鼻水まみれの鼻は汚くて、本当に」
「…………」
サイバーグラスを外したため、もう音は聞こえない。
ピグマは立ち上がり、キッチンへ向かう。
インスタントフードとミネラルウォーターを捨てて、冷蔵庫から紙パックのオレンジジュースを取り出す。
ストローを差して飲む。飲み干して、それも捨てる。
それから上機嫌に鼻歌を歌って、風呂へ向かう。
一日の仕事は終わりだ。汗を流して、本を読み、ぐっすり眠ることにする。
もうピグマの目に、母と父の姿は映っていない。
まだ二人がいるのに、リビングのライトを落として部屋をあとにする。
残されたのは、“顔の部分が陥没した状態ではく製化”された女性と、顔をはぎ取られ、死蝋化した男性の二体だけだった。
ピグマ・アロンソ本部長 a.k.a フェイス・イーター




