ロキシーダイナーと鮮血の怪物
関連話数
9「ケイト」
26「ウィックVSケイン」
Cランクエリアにあるロキシーダイナーは、本日の営業を終了しようとしていた。
店の中には給仕ガイノイド数体と、雇われ店長のケイトだけ。
百年前以上前に流行った歌が微かに流れているだけで、客は誰もいない。
けばけばしいネオンも、一部が明滅している。
そろそろ替えなきゃ。
ケイトはそう思いながら、ドラッグシガーを咥えたまま、唇の端から煙を吐き出す。
そのときだった。
視界の端に何か大きなモノが現れた。
サイバネ化されていない瞳を向けると、それは人だった。
大柄な人間だ。
そいつはダイナーに入ってくると、入り口すぐ近くのソファ席に、大儀そうに座った。
腕にある傷は生々しい。まるで今しがた斬られたようだ。
だが少しずつ、まともな皮膚になっていく。
ああ……こいつはカタギじゃない。
ケイトは目を細める。
「……注文は?」
大男がしばらく何も言わなかったから、ケイトから聞いた。
カウンターに手をつき、つま先で緊急事態用のボタンを一つ押しておく。
Cランクじゃ警官なんてクソの役にも立たない。
店内にいる給仕ガイノイドたちを秘かに戦闘状態にするボタンだった。
(まあ、それこそ無意味だろうけどね)
ケイトもこのダイナーでの生活は長い。
いろんなカタギじゃないやつを見てきた。
だからわかる。
店内のガイノイドたち総出でも、たぶんこの大男には敵わない。
「この店で……」
数秒経って、男が口を開く。
ガイノイドたちが強張ったように思ったのは、ケイトの錯覚かもしれない。
「一番強い酒と、一番カロリーの高い飯を」
「……はいよ」
ケイトは力を抜き、背後のアルコールラックからド派手なデザインの酒を一瓶掴む。
蓋を開けて、グラスにストレートでドボドボ注いだ。
『デンジャラスラッド』。数々の馬鹿どもをあの世送りにした凶悪な酒だ。
度数は測定不能。
そんなことあるもんかと思ったが、その強烈な匂いと味を感じれば、荒唐無稽も信じるに値する。
「持ってって」
カウンターに出して給仕ガイノイドに運ばせる。
「おかわり」
ガイノイドからグラスを受け取った男は一気に呷り、グラスを突き返す。
ガイノイドは少し迷ってから受け取り、またケイトにグラスを持ってくる。
「もっとゆっくり味わいなよ。料理を作る暇がない」
「……それもそうだな」
再び凶悪酒の注がれたグラスを受け取った男は、ちびりと舐めるように飲んでからテーブルに置く。
それを見て、ケイトはようやく料理に取り掛かった。
冷蔵庫から縦にも横にも分厚い合成肉のパテを取り出し、油を引いて温めたフライパンで焼く。その間に刻んだ大量の野菜を、人の顔ほどもあるバンズに載せる。
塩コショウをたっぷりまぶしたパテを裏表焼きつつ、食が進むスパイシーなソースを作って仕上げにかけた。
最後に半分に切ったパテを二段重ねにして、野菜の上に載せる。それをもう一枚のバンズで挟めば、ロキシーダイナー名物の一つ「ギガミートバーガー」の出来上がりだ。
ちなみにでかすぎて、成人男性の一週間分のカロリーはある。
もちろんメガ・トーキョーにはこれよりさらにカロリーモンスターな食事を出すところもあるが、ロキシーダイナーではこれが最強だ。
「持ってって」
カウンターの中に給仕ガイノイドを入れて両手で運ばせる。
重いからケイトはあまり持ちたくないのだった。
「……ああ、旨そうだ」
男はテーブルに載せられた大皿を見て呟く。
そして、用意されたナイフとフォークを無視して手づかみで食べ始めた。
バンズごと中身を毟り取るような掴み方で、豪快に口に運んでいく。
はっきり言ってしまえば、汚い食べ方だった。
ガツガツと咀嚼音が聞こえてくるし、手や口元はソースや肉汁で汚れている。
けれども、ケイトは悪い気はしなかった。
旨そうに食う客は、見ていて気持ちがいい。
「……おかわりを」
食事の合間、男が酒を呷って一息に飲み干す。
「ゆっくり飲めと言っただろうに」
グラスをガイノイドから受け取ったケイトは、代わりにジョッキを取り出して酒の中身を全部ぶちまける。
なみなみに注がれたジョッキを受け取った男は一瞬驚いた顔を見せたが、ニヤッと笑ってグッと呷る。
それから再びバーガーを食べ始めた。
時間にすれば十分かそこらだっただろうか。
男は大の大人数人がかりでもギブアップするバーガーをあっという間に平らげてしまった。
それからジョッキも一気に呷って、イカれた酒をすべて飲み干してしまうのだった。
「……すごいね」
さすがに、ケイトも呟いた。
「……美味かった。いくらだ」
「3万J$(ジャパニーズドル)だよ」
「……酒か?」
「そう。けっこうなレアなのさ」
男はジョッキを見て、それから大きくゲップをした。
「カードか生体認証は使えるか」
「あいにくだけど、今の時間はもう現金だけだ」
答えると、男が舌打ちをする。
「そうか。ここはCランクだったな。血がついてるが構わないか?」
「払ってくれるなら別に……」
実際、どんな状態でも紙幣として使えるなら問題はない。
“そういう金”を洗う商売人も存在する。
「この店、何時までいられる」
男が宣言通り、血の付いた紙幣を三枚テーブルに出したあと訊ねる。
「本当はもう店じまい。悪いけどね」
時計は21時を回っている。閉店の時間だ。
「……そうか。邪魔したな」
男が立ちあがる。
入ってきたときとは違って、しっかりとした足取りだった。
さらに腕にあった傷などはもう、何もなかったような見た目になっている。
「あんたの飯は美味かった。それに少しばかり疲れている」
「……」
男が何を言わんとしているのか、ケイトにはわかる。
給仕ガイノイドたちがギシッと四肢を軋ませるが、まだ合図は出さない。
「だから、殺さない。あんたは運がいい」
そう言って男は、ガイノイドたちを軽く指さす。
「それにそいつら、俺を排除するように命令しなかったのも正解だ。あんたは地雷原を、地雷を踏み抜くことなく歩き切った。幸運だ」
男は一つ息を吐くと、もう何事もなかったかのように出口へ向かう。
ドアが閉まったあと、しばらくしてからガイノイドたちに閉店作業を命じる。
そしてシャッターが下りてようやく、ケイトはカウンター側にあるスツールに崩れるようにして座り込んだ。
背中まで汗でぐっしょりと濡れている。
心臓が痛いぐらいに跳ねていた。
「くそッ……」
震える手でドラッグシガーを取り出し、何度も失敗しつつ火を点ける。
「ふー……」
ドラッグシガーを一本吸い終わる頃に、やっと落ち着きを取り戻した。
「あれが、ビバ“鮮血”ケイン。恐ろしいやつ……」
いろんなゴロツキを見てきたケイトからしても、ケインは恐ろしい男だった。
帰り際になって、ようやく気付いた。
それが功を奏した。
最初から“鮮血”だと気づいていたら、きっとまともに飯を出すことすらできなかっただろう。
落ち着いたところで、ケイトはガイノイドの一人を呼んで超攻撃的自警団『MA』に連絡させる。
ケインの姿を見たら連絡を、と請われていたのだ。
正直に言えばMAの連中が勝てるとは思えないが、世話になったことも多い。
義理は通しておく。
こういう世界で生きるために必要な行為だ。
連絡を終えたケイトは、もう一本ドラッグシガーを取り出して咥える。
そして火を点け、一息吸うと、不意に笑いが込み上げてきた。
「げほっ、ごほっ……はは、はぁ……」
死にたかったはずなのに、死ねなかった。
息子を失った母として、もう十数年生きている。
自分が死を恐れていることがなんだかおかしくて、笑ってしまったのだ。
「……ごめんね。ママ、まだそっちに行けそうにないや」
ケイトはそう呟くと、指に差したドラッグシガーを軽く上に持ち上げる。
天国にいるはずの息子に。
それから、恐ろしい怪物相手に生き残った幸運に。




