ユーリとリプラ1
ユーリにとって、世界の半分は自分のものだった。
誰も彼もがうらやむ世界。
それがたとえゲームの中のものだとしても、ユーリにはこの世界こそが現実で、すべてだった。
「どうしたのユーリ。元気がないね」
狼族のリプラが話しかけてくる。
ユーリに鼻先をそっと寄せて、具合を確かめてくる。
「元気、元気かぁ……うーん、どうなんだろう」
ユーリは曖昧に答えた。
応答したというよりも、呟いたといった様子だ。
「今朝、パパが死んじゃったんだ」
「……え?」
歩いていたら転んだ。
そんな些細な不幸と同じような口調で、ユーリが言った。
当然、リプラは何を言われたのか一瞬理解できず、戸惑ってしまう。
「死んだって……本当に?」
「そんなウソ、ついたって無駄じゃん」
しばらくリプラは立ち尽くしていた。
ユーリに対して何をしたら、何を言ったらいいのか、探っているようだった。
「パパの元へ行こう。今朝ってことは、まだお墓に埋められてないんだよね?」
「……うん。それどころか」
ユーリはリプラを見る。
「まだどこにも連絡してない」
「……そんな、ユーリ。どうして」
リプラの反応に、ユーリは少しだけ唇を尖らせた。
まだ子供の彼女が拗ねるのは当然だが、この世界では彼女は大人だ。だからそんなユーリの仕草は、ややアンバランスに見えた。
「だって、私なにも知らないんだもん。どこへ連絡して、誰になんて言えばいいのか。なんにも知らないの」
「それは、警察とか、病院とか……色々あるだろ」
「そこには、どうやって連絡すればいいの?」
「どうやってって、連絡ツールもデバイスもあるだろう」
「あるよ。でも、全部使えない」
「どうして」
一呼吸あけて、ユーリが言う。
「だって私、寝たきりだから」
「……あ」
この世界のユーリはなんでもできる。
どんなに凶悪なモンスターでも、どれほど険しい秘境であったとしても、ユーリなら立ち向かえる。
けれども、この世界なら、という話だ。
現実の彼女は、生まれついてからこれまで、一歩も歩いたことのないほど、重い病気だった。
「私、もうすぐ死ぬ」
「…………誰か、来てくれないの?」
リプラの絞り出した声に、ユーリは微笑む。
リプラだってわかっているのだろう。
そんなものがないということを。
「パパが全部やってくれた。パパが全部つないでくれた。こんな子いらないってママが出ていってから、世界を広げてくれたのはいつだってパパだった」
ユーリは一つ、とても疲れたようなため息を、そっと吐いた。
「だからこれでユーリの冒険はおしまい。今までありがとう、リプラ」
「ユーリ、ダメだよユーリ。もっとお話ししよう。まだ手はあるよ。そうだ、僕が君の家へ行く。そしたら君を……」
ユーリは微笑み、そして首を振った。
「アドレスを教えるのは規約違反でしょう。それにあなたには、本当の私の姿、見られたくない。きっとがっかりされる。こんなにキレイじゃないから。だから、バイバイ」
「待って、待って待って待って……! “お姉ちゃん”!!」
リプラの叫びにユーリの瞳が大きく見開かれるが、すでに接続は切れている。
ユーリは──世界の半分を支配し、反対側のプレイヤーと日夜骨肉の戦闘を広げていた伝説の少女は──消えた。
リプラ──エリンは即座に接続を切り、身体に張り付くスーツ型デバイスを引っぺがして部屋を出ようとする。
すると扉が勝手に開いた。
向こう側にいた母親が、迷惑そう顔をして立っていた。
「ちょっとエリン。何時だと思ってるの。もう寝なさ……」
「お姉ちゃんが、ミリアが死んじゃう!」
「……え?」
母親の顔が強張った。
エリンは母の寝間着を掴み、必死の形相で訴える。
「パパが、ミリアのパパが死んじゃったんだって。ミリアは一人で動けないんでしょう? 部屋には誰も来ないって、だから、だから……」
「そ、そんなこと言われても……私は……」
エリンは涙をこぼしながら叫ぶ。
「ミリアはママの子でしょ! 私のお姉ちゃんでしょ! ママは、私が死にそうになっててもそうやって知らないって逃げるの!?」
母親が黙る。
眉間に皺を寄せて何か考えているようだったが、エリンにはうかがい知れない。
とにかく、早く行動しなければ。
父親違いの姉が死んでしまうのだ。
「……あなたとあの子は違う。それに、今のアドレスを知らない。本当よ」
エリンは母がどれほど苦悩したかを知らない。
ただ事実として、娘を一人捨てたということだけ知っている。
だから、燃えるような怒りの瞳で母を睨んで言った。
「……最低。もういい」
「エリンッ!」
エリンは携帯端末型デバイスと重酸性雨対応のコートを引っ掴んで部屋を飛び出す。
Bランクエリア全体を包むように雨が降っている。
警報は出ていない。ただの酸性雨だ。
エリンはコートのフードを深く被って走る。
公的な機関はきっと役に立たない。なぜならエリンが探してほしいのはCランクエリアの住人だ。
だから、こういうときに頼れる知り合いは一人しかいない。
“何でも屋”と呼ばれるドッグのもとへ、エリンは走った。




