ドッグー6
「ドッグさん、あなたは我々の提案を拒みましたけど、依頼を完遂したあとはどうするつもりなんですか?」
横を歩くメイド服を着こなすメガネの女性、モニカが訊ねてくる。
エアリスを「バー ベアトリーチェ」まで護衛している中の何気ない質問だった。
「どうするって……それで終わりだろ」
「本当に……? 我々がその場から彼女を浚っても文句を言いませんか?」
「……好きにしてくれていい。俺は俺の仕事を完遂したいだけだからな」
「だったら、私からのお金をもらってサッサと権利を譲渡すりゃいいのに」
エアリスと手をつなぎ、前を歩いていたエマが言う。
「金の問題じゃない。むしろ金で依頼を途中放棄したとなったら、俺はもう二度と俺を誇れなくなる」
「はぁ、面倒くさいやつ……」
呆れたようなエマの声に苦笑いするドッグ。
五百万J$。なかなかの大金だ。
受け取っていれば、しばらくは遊んで暮らせる。
それでも“こっち”を選んだ。面倒くさい性分。
そんなことは自分でもよく分かっている。
(何かが起こりそうだからせめてベアトリーチェまでは送る。あそこには不可侵条約があるからな。一度関わった以上、後味の悪い思いだけはごめんだ)
エアリスの後ろ姿を眺める。
身長はそれなりにあるがまだ幼い少女。
生まれてまだ五年だという信じられない情報付き。
警戒心のなさに、何もかもを受け入れたかのような目。
ドッグは自分が何でも屋の探偵として優秀だとは思っていない。
だからきっとこのままエアリスを連れてベアトリーチェに辿り着けたとしても、彼女にまつわる真相を10%も解けないだろう。
なのでひとまず不可侵条約のあるベアトリーチェに“入る”ことが目的だ。
今は協力しているがエマとモニカは当然信用できない。
彼女たちは一企業の人間だ。利益のためならエアリスをどうにかすることなど、赤子の手を捻るよりも簡単に違いない。
(こんなヤツらが出張ってきて、子ども一人を社内政治に利用しようとしている。しかもエアリスの意思は関係なしに、だ)
今のところドッグには、ベアトリーチェに入ってもエアリスを引き渡す気はなかった。それが自分のエゴだとしても、子どもが酷い目に遭うのは良しとしない。
ただのエゴだとは理解している。
『そんなめんどくせぇ信念なんざ捨てちまえばいいのに』
昔、ヴィンセントにそんなことを言われた。
けれど困っている人間を、ましてや自覚のない子どもを、見捨てることはできない。
それを捨てたら、きっとこの都市で生きる意味も、サイバネ化してまで生き長らえた意味も失ってしまう。
「……第一陣か」
「そのようですね」
ドッグとモニカが同時に気付いた。
エマは振り向きながらも、余裕で鼻歌を口ずさんでいる。
「ありゃーりゃー、気付かれちまいマシタか。さすがドッグ、鼻が良く利きマスねー」
路地の闇からヌルッと出て来たのは派手な色彩のチャイナ服に身を包んだ五人の女だった。
全員が両手に一刀ずつ、青竜刀を握っている。
「バタフライ・ドールズ……」
Cランクエリアの巨城、三叉城のトップ直属の部隊、その一つだ。
「あんなに脚を出して……下品な」
モニカが呟くと、バタフライ・ドールズの先頭にいたお団子頭の女、リー・ウーが歯をむき出しにして笑みを浮かべる。
「自分が出せねぇからって嫉妬すんなヨ、時代錯誤の色気なしメイド」
モニカとリー・ウーの顔に青筋が浮かぶ。
「まさかお前らクラスが出てくるとは……」
俺が呻くと、リー・ウーはモニカと睨み合ったまま答える。
「小遣い稼ぎしてこいってボスに言われたンダ。それにその子、ゴールデンダックになるって話らしいし?」
リー・ウーが青竜刀の切っ先をエアリスに向ける。
「だからその子チョウダイ、ドッグ。お礼に一年間、うちのチャーハン食べ放題にしてあげる」
「できるわけねぇだろ」
「ま、ソダヨネー。うん、言ってみたダケ。じゃ、交渉決裂ってコトデ」
言葉が終わると同時、リー・ウーが軽く跳んだ瞬間、姿を消した。
素早く銃を抜いて構えると、モニカがスカートをつまみ足裏を前面に蹴り出していた。
ガンッ──と振り下ろされた青竜刀とモニカの靴が激突する。
「ヒー、やるやるー。アンタの頭と同じで、カッタイ靴だねぇー」
「貴女のスカスカな頭を吹っ飛ばすのに、ちょうどいいでしょう?」
「当てることができるならねぇ」
リー・ウーが舌を出す。蝶の刺青が舌の動きに合わせてパタパタと飛ぶ。
「オマエラ! ヤッチマイナ!」
リー・ウーの命令で後ろにいたバタフライ・ドールズもモニカに飛びかかる。
「うひひ、一回言ってみたかったんダヨネー」
イタズラっぽく笑うリー・ウーらバタフライ・ドールズに、ドッグが銃口を向けようとする。
が、モニカが手でドッグの援護を制する。同時に、飛んで来たドールズの一人を大砲みたいなサイドキックで吹っ飛ばす。
モニカは銀縁メガネのズレを直しつつ“鉄拳”を握る。
「この程度、私一人で充分ですので」
「イー、カッコイイネー。両手両足斬り飛ばされても、同じこと言ってたら超間抜けだけどネー」
モニカとバタフライ・ドールズの戦闘が本格的に始まった。
ドッグは銃を構えたまま後退し、エアリスの元へ向かう。
その瞬間、全身が鳥肌立った。
エマだ。彼女が横の路地を見つめ、口角をほんの少し上げている。
頬には一筋の血。後方には投げナイフが落ちていた。
「ちッ、死ななかったか」
路地の奥にいたのは、総勢五十名ほどの武装集団だった。
武装とはいっても、銃器はほとんどない。
鉄パイプや金属バット、ナイフに包丁、アイアンナックルなど様々だ。
わざわざCランクから出張ってきた、チンピラ連合だった。
「バカッ、殺すんじゃねぇよ。賞金は生きて持って帰ったらだ」
「てか、どっち?」
チンピラたちはあまりにも鈍かった。
自分が誰を殺し損ねたのかも、どれほどの危険が迫っているのかも理解出来ていない。
「ちょっと行ってくる」
散歩にでも行くような口ぶりで、エマが歩きだす。
ドッグは、その隙にエアリスの手を取って走り出した。
「お、お兄さん……二人は……」
「アイツらなら大丈夫だ。万に一つも負けはないだろうよ。それより、あの場に留まっているほうがマズい。あんなチンピラ連中にまで情報が行ってるならもう……」
言いながらドッグとエアリスが路地を抜けたときだった。
「そやなぁ、その通り」
通りの中央に立っていた人物から、そんな声が聞こえた。
「……嘘だろ……なんで……」
「なんでって言われても、お仕事やさかい?」
ジャパニーズキングビー“オオスズメバチ”を模したフルフェイスヘルメットを被った10人。
五大超企業の一つ「ナハラ」の特殊戦闘班「明王蜂」だった。
「かんにんな。あんたに恨みはあらへんけど、うちのお偉いさんがその子欲しがっとって。そやさかい、素直に渡してくれたら嬉しいんやけど」
「……嫌だと言ったら……?」
「……そら、ねぇ?」
先頭の女、班の女王蜂と呼ばれる「ミサオ・ヨドミザキ」が腰に佩いた刀を抜く。
横に軽く振った刀の切っ先が、ドッグの喉元に向けられる。
「言わへんでもわかるやろ?」
ゾッとするほどの殺気。
これまで相手にしてきた連中とは格が違う。
戦うことは可能だ。しかし今の状況で勝てる気はしない。
「選択肢あげるわ。ひとつ、その子を渡す。ふたつ、うちらと戦う。みっつ、根性出して逃げてみる」
ジリ──と足を僅かに後ろへ引く。
しかし、フルフェイスの中でミサオが嗤った。
「あかんえ、ドッグはん。めんどいさかい逃げるのんはやめて。みっつめはやっぱなし。渡すか死ぬか、早う選んで」
対抗しうるかもしれないエマとモニカはまだこちらへ来ない。
ドッグ一人では切り抜けられない。絶体絶命だ。
と、そのときだった。
「みっつめ、私らがアンタらと戦う」
路地の横から入ってくる集団がいた。
ドッグとミサオたちはほぼ同時にそちらへ顔を向ける。
そこにいたのは、黒スーツの集団。
そして超攻撃的自警団『MA』の幹部、シオリだった。
MAのメンバーと共にこちらへ歩いてくる。
「騒がしいと思って来てみれば、蜂の皆さんなにしてんの?」
「……みっつめはなしって言うたでな? 邪魔するつもりなん?」
「ハッ……ドッグに売ったケンカは私に向けて売ったケンカなんだよ」
「……ちッ、簡単な仕事や思たのに、ゴキブリみたいにわらわらとようもまぁ……」
十メートル挟んで、MAと明王蜂が睨み合う。
その間でドッグは、エアリスを背中に隠すようにして油断なく両者の動向を見つめる。
「ねえドッグ、今日のお礼はチューでいいからね」
「は?」
こんなときにもシオリはドッグへの求愛を忘れない。
さらに呆気にとられたのはドッグだけではなかった。
「チューて……あんたまさか、その子目的ちゃうん?」
「ん? 知らない。私はドッグを助けられればそれでいいけど?」
ミサオが嘆息してフルフェイス越しに額へ手を当てる。
「じゃまくさい。こんなんと戦わなあかんて、骨折り損やな」
「なら退けばいい」
「そらもっとあかんえ。こっちかてお仕事なんやさかい、やることはやらな。……はぁ、しゃあないなぁ。はい、総員構えて。先にアイツら潰すで」
ミサオの合図で明王蜂が全員刀を抜き、MAが電気や熱を帯びた特殊警棒を展開する。
「害虫駆除の時間だよぉ、気合い入れてけお前たち」
手を叩きながら発破をかけるシオリが最後に刀型の超振動ブレードを抜き放つ。
「ドッグ、ここは私たちに任せて逃げていーよ」
「悪い。頼んだ」
ドッグはその場をシオリたちに任せ、エアリスを連れて抜け出す。
「ドッグはん、覚えとき。明王蜂はしつこいで」
ミサオがドッグの背中に投げかける。答えはなくても、ミサオは満足そうな雰囲気を出していた。
二人が角を曲がって見えなくなると、女傑二人の視線が絡み合う。
「「さて」」
「始めようか」「始めよか」
そしてホームレスも逃げ去った路地で、派手な剣戟の音と火花が散った。




