レイチェルとクローム3
Cランクエリアの八番街は、常に盛況だ。
華僑系や旧日本系の子孫が多く残る世界で、八は縁起の良い数字だから、特にこういう場所は盛り上がる。
クロームはその中にある飯屋「崑崙飯店」にいた。
店はなかなか盛況だが、誰も寄りつかない席がある。
カウンターの一番奥だ。
クロームはそこにかけて、メニューを流し見していた。
シンプルにチャーハンとラーメンのセットが旨い店だが、腹は減っていない。
「お兄さん、注文ドーゾ」
独特のイントネーションで店主が言う。
目はこっちを見ていない。
「老酒をグラスに半分、紹興酒を足してくれ」
予期していた言葉に、店主はちらりと一瞥してくる。
「……つまみに豚と鳥、牛肉あるけど何がいい? あー、牛肉はちょと多いから人必要かもネ」
豚は殺し、鳥は盗み、牛肉はマフィアや組織で動くチンピラたち相手の仕事だ。
「豚が良さそうだ。いくらだ?」
「三千ね。味見したいなら六分の一まで」
「頼む」
「OK」
店主は手早くつまみを作り始め、クロームの前に皿を置く。
クロームが皿の縁を触ると、輪ゴムで止められた紙幣が五百J$分隠されていた。
金を素早くコートのポケットに突っ込み、つまみを味見しながら皿の反対側に触る。くっついていた一枚の紙を剥がし、それもポケットに突っ込む。
「……口に合わねぇな」
つまみを吐き出したクロームに、店主は肩をすくめる。
「そりゃ残念ネ。アンタのその変な舌、三日後までには戻してこいヨ」
「ああ、そうさせてもらう」
クロームは立ち上がり、店から出る。
近くの席にいた何人かはクロームを一瞥したが、どう見てもカタギではない雰囲気に、すぐさま目を逸らす。
クロームは外に出ると、しばらく歩いた。
八番街を抜けて、Bランクのゲート間近までやってくる。
ゲートとはいっても常時開いていて、緊急時には閉まるらしいが、クロームはその緊急時をまだ見たことがない。
「……ハッ」
ようやく紙を取り出したクロームは、そこに書かれていた依頼内容に思わず笑ってしまう。
『東南幇の河野。詐欺してはいけない人、詐欺して怒らせた』
Cランクを根城にしている華僑系の組織だ。
小さな組織で、シノギも“出会い系”などを中心として小さいが、時々こうしてやり過ぎて“対象”になるやつがいる。
東南幇のつながりは薄いが、さすがにすぐさま乗り込んでサッと殺して帰る、というのも都合が悪い。
つながりが薄い連中はいつ爆発するか分からないという側面もある。
抑止力である看板を守るという意識がないからだ。
出来れば今日中に仕留めたいから、さっさと動くに限る。
幸い、相手のいる場所がおおよそ見当がついている案件だ。
ヘマをしなければ時間はかからない。
と、じいさんに埋め込まれた体内デバイスに着信。
開くと、レイチェルの声がした。
『おじさん、お仕事大丈夫? 大変なことになってたりしない?』
「ああ、心配ない。すぐに終わる。だから大人しく待ってろ」
『うん、わかった』
「そうだ、じいさんは……」
言いかけたところで通話は途切れた。
言いたい事だけ言う子だ。
「借金に加えて、ガキの世話か……まあ、この身体になったんだから仕方ないな」
ドクター・エルヴィスによって改造されたクロームは、見た目は普通の人間と変わらない。四肢は復元し、前よりも調子が良い。テストでも前の四肢より平均して500%は機能が向上した。
しかしこの機能がフルに活かされるのは、クロームが復讐するときだけだ。それ以外ではオーバースペックすぎる。
「どれがいい? なんでもあるよ」
二番街へ寄ったクロームは、シリアルナンバーの削られたハンドガンを二丁手に入れた。
元々、クロームは銃器の取り扱いが上手く、現在の身体になってさらに安定するようになった。テスト済みだ。
だから“シリアルナンバーがあったような偽装”がされた安物銃でも充分だった。
東南幇の根城はCランクエリアの西にある。伍番街の辺りだ。
百J$使って聞き出した情報屋の話では、河野は根城にいるらしい。
だからとりあえず気長に待とうと壁にもたれたところで、騒ぎが起こった。
「……なんだありゃ。何でも屋か?」
黒髪の男が白い肌をした少女を抱えて走っていく。
その一分ほどあとでビルから男たちが数名出てくるが、今さら見つけられるような速度ではなかった。
──と、一人の男が張っているビルの窓から顔を出した。
河野だ。他の連中は大部屋の窓から騒ぎを見ていたが、河野だけは小さなトイレの窓から顔を出している。
(感謝する、何でも屋)
自作した減音器を付けた銃で狙いをつけ、引き金を絞る。
バスッと空気の抜ける音がして、飛翔した弾丸は河野という男の額へ侵入し、後頭部を破裂させて抜けていく。
その光景を目に埋め込まれたカメラで撮影し、立ち去る。
幸い、それ以上銃の出番はなかった。
八番街に戻り、崑崙飯店に入る。
店主はクロームを見て、微かに目を見開いたが、手元は淡々と動いたままだった。
「舌、治ったか」
「ああ、さっきと同じモノをくれ」
クロームはここへ来る途中で寄った裏路地のカメラ屋で印刷した写真を静かにカウンターに滑らせる。
店主が手を振ると写真が消え、代わりにつまみの豚が出される。
クロームはそれを箸で何気ない風を装ってかき分け、ビニールに包まれた二千五百J$を受け取る。
そして皿の縁に触れ、新たな紙を手に入れた。
「お客さんのペースで食べられたら、豚さんいなくなっちゃうネ」
「ふッ、豚が減るかよ。分かってるだろ」
「それもそうネ」
店主は珍しく笑みを浮かべ、中華鍋を振るう。
中のチャーハンが鮮やかに宙を何度も舞った。
クロームはつまみを口に運ぶが、やはりマズい。
他は旨いのに、特別メニューだけ本当にマズいのだ。
食材を無駄にすることを嫌う料理人は多いが、どうやら店主は気にならない質らしい。
クロームは箸を置き、再び店から出る。
「……まさかまた、豚を喰ったあとの景色が見れるようになるとはな」
今日は珍しく重酸性雨が降っていない。
だから「ウォール・イン・ディーバ」の派手な外観がよく見える。
「……アンタは俺を殺しておくべきだった。完璧に」
クロームは呟き、歩き出す。
次の標的も、素敵な偶然があることを祈りながら。
時折ちらつく、自分を助けてくれた少女の笑顔を、手で振り払いながら。




