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ヴィンセントー1

「マジかよ。切れてやがる」


 ヴィンセント・コルブッチは舌打ちして、ドラッグパックを投げ捨てた。


「あーくそ、やる気出ねぇだろうが」


 たかだか純度5%のドラッグでも、あるとないとでは気分は大違いだった。


 気分をあえて例えるなら、小便を漏らしたズボンを穿いたまま、お気に入りの娼婦に会いに行くようなものだ。


 そんなバカでダサいマネをしたらきっと死んでしまう。


 ヴィンセントはタバコとドラッグの煙で黄ばんだ天井を見上げ、盛大にため息を吐いた。


「ちっ、しかたねぇ。今日はこいつにしておくか」


 上半身を起こしてソファに座り直し、ラップトップを起動させる。


 立ち上がるのを待つ間に、だらしなく伸ばした金髪の右側をかき上げた。使い込まれた鈍色のソケットが露わになる。


 ヴィンセントは完全に電脳化していない人間だった。


 意外と規制が多く、漫画のようにはいかないフル電脳という仕組みに興味が持てなかったということもある。


 電脳化すれば楽だと言われても、そのための費用を右から左、安物ドラッグの大量買いで消費する。


 ただ、一部は電脳化が済んでいるので、こうやってラップトップとケーブルを繋げてソケットに差し込めば電脳化された人間に近いことが出来る。


 むしろ規制外の違法改造であるため、制限がない分、やり様によっては並みの人間よりもサイバー空間を自由に潜ることが出来た。


 だからヴィンセントは周囲からは『麻薬漬け潜水士ドラッグ・ダイバー』と呼ばれている。


「お、あったあった。今日は……いいね、ラズベリーちゃんの作った奴だ」


 ヴィンセントが探していたのは、無料電子ドラッグサイト──もちろん違法──『ヘブン・クリエイト』の人気ドラッグ調合師『エミン・ラズベリー』のドラッグだった。


 可愛らしい名前だがラズベリーはれっきとした男で、サイクロプスみたいな単眼グラスの良く似合う髭面のおっさんだった。


 ネット上で女を装うプッシーボーイでもないのにラズベリーがその名を使うのは、ただ単に可愛い名前で呼ばれたかったという、それだけの理由だ。


 だからヘブン・クリエイトを利用する人間たちはそれを知っていて、彼のことをラズベリーちゃんと呼ぶ。良い物を創る人間には最大の敬意を。それが彼らなりの礼儀だった。


「うひゃっ、ラッキー」


 ヴィンセントが声を上げて手を叩く。まだドラッグの在庫があったのだ。

EDEA(電子麻薬取り締まり局)の摘発を逃れるために、ドラッグは垂れ流しにはされない。現実のパッケージよろしく、パスワードファイルに丁寧に梱包されて個数限定で配られている。


「おぉおっ、キタキタキター!」


 パスワードを割り出してファイルの中身を吸い出す。情報が脳内に流れ込んできて、眼前で火花が散った。めちゃくちゃな言語が鼓膜を揺らし、インディアの幻想的な音色に思考を流される。


 ドラッグネーム「アプリコット」は、間違いなく当たりだった。


 肉体が、精神が覚醒させられる。脳を叩かれネガティブを根こそぎ持っていかれる。

 世界は毒々しい色彩に溢れ、虹色の猫が窓の外からヴィンセントを見て逃げていく。


 十本の指がビクビクと痙攣した。動き方を忘れていた筋肉を強制的にアップロードしているような、己が高められていく高揚。


「潜りてぇ。速く、俺のコードでめちゃくちゃにしてやりてぇなぁ」


 ドラッグによって蕩けていたヴィンセントの目がぎょろりとラップトップを見た。


 それぞれが別種の生き物みたいに十本の指がキーを高速で叩き始める。


 とある富豪のサイバースペースに潜入。コードの書き換え。破壊。そして──乗っ取る。


「楽勝だぜフール・ホール(底なしの間抜け)


 セキュリティ会社を営む男のプライベートスペースに手ぶらで入り、隠し口座の一つから金を丸々奪ってわざと警報を鳴らす。


 男のセキュリティソフトからサイバーソルジャーが飛び出し、猛烈な勢いでサイバースペースを走ってくる。だがヴィンセントは悠々と口座の金を戻して入ってきた穴を閉じた。


「これが大手セキュリティ会社トップのプライベートマシンだっていうんだから、参っちゃうね」


 男が慌てて私的空間に入ってくる様子が見えた。だがそこにはもうヴィンセントもいなければ、侵入された痕跡も残っていない。


「次はもっと楽しいの、期待してるぜ」


 ヴィンセントは聞こえていないだろう相手にそう言って、画面を閉じる。


「やっぱり俺って天才だろバッガー!? なあ、おい!」


 ドンドンと壁を叩いて隣人に大声で話しかける。すると壁を壊さんばかりの力で隣人が壁をぶっ叩く。


「うるっせぇんだよヴィンセント! ハイになってねぇで永遠に寝てろボケっ!」

「はっははははぁっ! 永遠に寝てろってお前、それ死んでんじゃねぇか!」


 ヴィンセントはバカ笑いするが、隣人はもう返事もしてくれなかった。


「あっはっは……さぁて、次はどこに侵入してやろうかな」


 テーブルの上に置いていた飲みかけのぬるくて不味いコークハイを呷って、ヴィンセントは再びラップトップに向かった。

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