エマ&モニカ
「お嬢、早く帰らないと、また親父さんにドヤされますよ」
モニカが言うと、前を歩いていたエマは振り返って呆れた顔をした。
「なに言ってるの。Cランクに来た時点で怒られることは確定でしょ」
「そりゃそうですけど、早めに戻れば説教の時間が半分になります」
エマは肩をすくめ、また前を向いて歩き出す。
「貴女に何かあってからでは、遅いんです」
「でもその時は、アナタがいるでしょ?」
振り向きもせずに言う。だからモニカはソッと息を吐いた。
「そりゃ、そうですけど……」
エマは超巨大企業「陣内」会長の娘だ。
十七人いる娘のうちの一人だから、重要度は正直高くない。
会長には息子も十七人いる。
遺伝子も含めていいなら、三桁に届きそうなほどいる。
この大きくも矮小な世界で、会長はさながら神だった。
だがエマに言わせれば、まだ神じゃない。
五大超企業。
五つも同じような企業があるようでは、まだ人の域を出ていない。
エマはそう考えている。
「それにあんな人の説教、痛くも痒くもない。本当の父は私に説教なんてしない。気に入らないなら、殺してるでしょ」
「……それ聞いたら、親父さん悲しみますよ」
「……そんなの知らない」
エマは一瞬だけ振り返り、また前を向いた。
「陣内」傘下「無位灯組」。
都市の建設や邪魔者の排除などを担当する会社。
そこの社長、無位灯黒星がエマの養父だ。
「あの人の感情に悲しいはない。あるのは怒りだけよ」
「……ちゃんとありますよ。お嬢だって分かっているでしょう」
「ふん。いいから、さっさと現場に行くよ」
「……はい」
モニカは肩をすくめ、エマのあとについていく。
二人が向かったのは先日犯人とされる男が捕まった、連続殺人の現場だった。
「フェイス・イーター」と名付けられた殺人者の痕跡を探りに来たのだ。
「……まあ、当然こうなりますよね」
モニカが嘆息する。
現場について数十秒、エマとモニカは路地裏で、前後を十名の男女に挟まれていた。
「お願いしていい?」
「しょうがないですね。もとより、予測はしてましたし」
にやつき、武器を持った男女にエマは一切怯まなかった。
モニカもそれが当然であるように応え、ジャケットを脱いでシャツの袖を捲った。
「あんまり踏み荒らさせないでね」
エマは顎に指を当てて、まだ血染みの残る地面に視線を落とした。
「あんたが相手してくれんのか?」
「金さえ出せば見逃してやらんこともないぜ?」
「何言ってんだよ、バカ男共。早く犯して客取らせろよ」
男女の下品な会話が飛び交う。
モニカは手のひらを見つめ、拳を握ろうとしてやめた。
モニカをモニカたらしめる鉄拳を使うまでもない。
代わりにモニカは「始める」前に、まずは正面の五人に向かい、丁寧に頭を下げた。
「なんだ? 謝ってももう……」
「申し訳ございません。これ以上うちのお嬢に汚い言葉を聞かせることは毒ですので、駆除──させていただきます」
「……はぁ?」
正面にいた一人の女が口を開くのとほぼ同時、姿勢を低くしたモニカが女の懐に“いた”。
身体を左にねじり、左脇の下に右手が“装填”されていた。
「びッ……」
モニカが右手を振ると、破裂音がして女の顔が“逆さま”になっていた。
女が糸が切れた人形みたいに膝をつき、股間に染みが広がる。
「……は? な、なに……ばッ」
今度は隣にいた男に向かって、平手を振り下ろす。
皮膚を思いきり打つ音がして、男の顔も逆さまになった。
「ひいぃええッ」
事態にいち早く気づいた男が尻餅をついた。
そして歯の根が噛み合わず、カチカチと耳障りな音を鳴らす。
「な、なんなんだよお前ぇッ」
何千回と聞いてもう飽きた質問に、モニカは苦笑した。
「もしあなたが躾をされていたら、分かるはずですよ。悪い事をしたら頬を打たれるでしょう。“これ”は、そういうことです」
モニカの右手が男女の頬を打つたび、死体と尿の臭いが増える。
前方で何が起きてるのか分からない後方の五人は、エマを人質に取ろうと襲いかかる。
「……え?」
一人の女が手を伸ばしていた。
あと数ミリで、エマに手が届く。そんな距離だった。
突然自分の右腕が“消失”したかと思うと、目の前に女が立っていた。
十メートルは離れていた場所にいた女が、だ。
「あぎゃああああッ」
女は叫んだ。
右腕が曲がってはいけない方向へ「く」の字に曲がっていたからだ。
「お、おいお前らッ、誰でもいいからコイツを……を?」
尻餅をついて怒声を浴びせる女は、モニカが“両腕”を開いていることに気づいた。
そして自身の後ろにいる四人が、全く同じ形で死んでいることも。
「あッ、あ……ご、ごめんなさ……」
女の涙が“額にこぼれた”。
「はい」
「すみません、お嬢」
こっちを見ずに手渡されたジャケットを受け取り、軽くホコリを払う。
「何か分かりましたか?」
問うと、エマは片眉を上げて「んー」と難しそうに唸った。
「写真以上の情報はなし、ね。ただ“あの子”の仕業じゃないことだけは確信した」
「……確信、ですか?」
「ええ、ここには血しか残ってない。現場検証でも、他の体液は少量の尿ぐらいしか検出されてないの。“あの子”が力を使って事を起こしてるなら、血や尿、精液なんかも検出されるはず」
エマはようやく顔を上げて、モニカを見た。
「文字通り、“死ぬほど気持ちいい”らしいから」
「……まあ、わかってたこと……ですかね」
「そういうこと。最初から疑ってたわけじゃないけど、一応ね。陣内の名に傷がついたら大変だから」
エマは立ち上がると、伸びをして大通りへ向かって歩いて行く。
結局最後まで、襲ってきた輩を見ることはなかった。
「ねえ、何か食べて帰ろう。お腹空いちゃった」
「この前もCランクで食べて、全部残したじゃないですか」
「全部じゃない。一口は食べたでしょ」
「あれは、食べたんじゃなくて味見というんです」
「食べたことには変わりないじゃない」
「最後吐き捨てたでしょう」
「何のことやら」
「都合の良いお耳ですね」
「高性能でしょ」
「そうですね」
先を歩くエマにつきながら、周囲に目を配る。
しかし残りの住民は賢いらしい。
先ほどの騒ぎを見ていたおこぼれ狙いの連中は、すでに引っ込んでいる。
「そういえば、あの子を保護してる人……なんだっけ?」
「ドッグ、ですか。何でも屋ですね」
エマが唇に指を這わせる。
「まだ“起動”してないみたいだし、奪いに行こうか。どう思う?」
振り向いたエマに、モニカは首を振った。
「やめたほうがいいです。ドッグだけならまだなんとかなるにしても、奴に手を出すとMAのシオリが出て来ます」
「出てくる前に終われば……」
「無理ですね」
モニカはバッサリ言い切った。
「お嬢、私らがどれだけ派手に動いてるか分かってるでしょう。情報はもうMAにいってますよ。その上でドッグの根城なんかに行った日には……」
「じゃあ先にMA潰しちゃうとか」
モニカは嘆息する。
エマはすぐにこういうことを言う。
半分は冗談。半分は本気だ。
「やめてください。無位灯組の連中つかっても、勝てませんよ」
「アナタなら出来るんじゃない?」
「無理ですよ」
モニカは苦笑する。しかし、考えたことがないわけではない。
実は無位灯組全員で行けば、五分五分で壊滅させられる可能性もある。
その上で、モニカは嘘を吐く。
「私が死ぬまでに、幹部三人までです」
「一対一なら?」
「負けません」
即答だった。
「でも、それはあり得ない。一対一でいられる時間は十秒かそこら。それ以上は連中、どこからでも湧いてきますよ。幹部も嬉しそうに出張ってくる。超攻撃的自警団の名はダテじゃないです」
「そっか、残念。良いアイディアだと思ったんだけど」
心底残念そうにするエマに、モニカはふと思いついたことを口に出す。
「協力するっていうのは、どうです?」
「……どういうこと?」
エマが振り返り、モニカの目を見つめる。
「あの子を脅威から守る。そして頃合いを見て奪還する。ラッセルに渡しても、どうせロクなことにはなりません。その前に私たちで、そういうことです」
「……ふむ」
エマが顎に手を当て、考える。
数秒黙って、再び顔を上げた。
「それ、いいかもね」
エマはモニカに向かって、首をコトッと傾けた。
「そこまで考えが出るってことは、取り次ぐ手段も考えてる?」
「はい。奴の協力者にハッカーがいます。クラッカーも兼任ですが。まあそれはいいとして、Cランクにいますよ」
「じゃあ、まずはそいつのところに行こうか」
エマが両手をポンッと叩いて、歩き出す。
モニカを後ろについて歩く。
「お金はどれぐらい必要?」
前を歩きながらエマが言う。
「一応、金では動かない男です。でも、三桁ぐらいはお願いします」
「了解。で、お金で動かないやつどうすんの? 脅す?」
「いえ、脅されてから動くような三流じゃないです。私たちが来た時点で察しますよ。その上で、金を握らせたほうが向こうもやりやすい。裏切られても大義名分はこちらにありますし」
「恐ろしい女ね」
「貴女に言われたくないですよ、お嬢」
モニカが肩をすくめると、エマがケラケラ笑った。
この姿を見て、弱冠11にして「陣内」でも武闘派の「無位灯組」、その精鋭部隊である「無名」の長であるとは誰も思わない。
「でも良かった。殺さないのって難しいじゃない?」
「……そうですね」
モニカは苦笑する。
モニカはエマの護衛だが、正しくは“保管役”だ。
彼女が暴れなくてもいいように。
生まれてしまった“爆弾”が、爆発しなくてもいいように。
万が一爆発しても、モニカ一人の犠牲で済むように。
解体することの出来ない“爆弾”。
殺さず、生かさず。
その難しさを、モニカは身を以て知っている。
「なにしてるの、行くよ」
「はい、お嬢」
ゆえにモニカは、今日も、今このときも、エマを爆発させないよう生き続けていく。
頭を弄られ、自分は決して強くないと思い込んでいる、可哀相な“爆弾”のため。




