ジェーズとコフィン
薄暗いバーの中が、煙草の煙で白く曇っていた。
カウンターが十席。テーブルが十卓。
その内の一卓で、ジョーカー引きが行われていた。
「……さあ、どうする?」
二人の男のうち、長髪の男が言った。
手にしたトランプのカードを二枚、対面の男に突きだしている。
左側のカードだけ、やや上方にずらしていた。
古典的な揺さぶりだった。
「さて、どうしようかな」
対してもう一人の金色短髪の男は肩をすくめ、大きな青瞳を細め、あえて左側のカードを素早く引き抜いた。
「あッ……」
長髪の男が声を上げる。
去って行くカードに対する視線は、別れを告げた恋人に未練がましく向けるモノがごとく。
短髪の男がカードをひっくり返すと同時に微笑み、手元に揃ったAのカードを二枚、場に捨てる。
短髪の手には手札無し。
「くそッ……ほらよッ」
長髪の男は拳でテーブルを叩き、ポケットからクシャクシャになった五万J$を取り出して、山となったトランプの上に投げた。
「どうも」
短髪が楽しそうに金を取り、札のシワを伸ばす。
長髪は面白くなさそうな、というか生活費を吐き出して泣き出しそうな顔で席を立った。ほぼ泡しか残ってないエールのジョッキを傾け、マズそうに顔をしかめる。
「またカモったの? ジェーズ」
長髪が去ると、テーブルの横に一人の女が立った。
「人聞きが悪いな。カモるならポーカーだ。今のは運だよ」
ジェーズと呼ばれた短髪の男が顔を上げて微笑むと、女は呆れたように肩をすくめてイスに座る。
手にしていた虹色のカクテルをテーブルに置き、軽く頭を振って、赤色の豪奢な髪を波打たせる。
「よく言う。お得意のポーカーフェイスで相手の心を操ったんでしょう?」
女はカクテルに口をつけて唇を湿らせた。真っ赤な唇が微かに虹色に輝いている。
「君だってバカ勝ちだったみたいじゃないか。カモったのはそっちだろう? コフィン」
コフィンと呼ばれた赤色の女が鼻で笑う。
「使うまでもなかったわよ。こんなの」
コフィンは何も持っていなかった手にAのカードを一枚出現させる。すると次の瞬間カードは発火し、燃えながら備え付けの灰皿に吸い込まれていく。
カードが燃え尽きるまで見ていたジェーズが再びコフィンに目を向けると、コフィンの唇に煙草が咥えられていた。電子でもドラッグパックでもないごく普通に売っているシガレット。
「なに?」
「……別に。いつ見ても様になってるなって思っただけさ」
「……ありがと」
ドラッグパックよりも安物だが、コフィンみたいな良い女が咥えているとよく似合う。
コフィンは煙草を一通り堪能すると、炭酸系ソフトドリンクを傾けるジェーズを横目で見た。
「いくら勝った?」
「……三十。君は?」
「十五。まあ、カジノじゃないんだからこんなものね」
コフィンは再び煙草を咥え、灰をくぐらせた煙を吐き出す。
赤い唇から白い煙が立ちのぼる様は、なんとも官能的だった。
ジェーズはジョッキを傾けつつ、さりげなく店内に目を配った。
そこかしこの卓で何かしらのゲームが行われている。
卓を囲む客全員がVRゴーグルを着用しているところもあった。
先ほどジェーズとジョーカー引きをやった長髪が、今度は別卓で小さなルーレットを四、五人で囲み一喜一憂している。
今日のカモられ大賞は彼に決定だ。と、ジェーズは鴨のトロフィーを掲げてスピーチしている長髪を想像して口角を上げる。
ジェーズだけではなく、コフィンにも、他の三つの卓でも負けていたと記憶している。
「……なに笑ってるの?」
「なんでも」
ジェーズは肩をすくめて小さく笑う。
それからナッツを口に放り込んで、コフィンを見た。
「……で、今日はどうする? 続けるか?」
問われたコフィンが首をゆるく振った。
「……いい。飽きてきちゃった」
「じゃあ俺とやるか?」
ジェーズの言葉にコフィンが大きな瞳を細める。
「どっちの意味?」
「もちろんこっち」
ジェーズの手にトランプの束が出現すると、コフィンはつまらなそうに頬杖をついてため息を吐いた。
「じゃあパス」
「違う意味での誘いに応じてくれたことなんてなかったくせに」
「今日は違った気分だったの」
「じゃあ行こう」
「……もう気分じゃないからパス」
立ち上がりかけたジェーズに、冷ややかなコフィンの声。
ジェーズは苦笑して座り直し、カードを切りながら肩をすくめる。
「そればっかりだ」
「アンタとはもうちょっと友達でいたいの」
「もうちょっとがあとどれくらいか分かれば、俺にもパンドラの箱の底が見えそうなものなのに」
「バカな言い回し」
「そりゃどうも」
ジェーズは切り終えたカードをコフィンに配る。
コフィンは一瞬怪訝な顔をしたが、二枚配られたカードを手のひらで隠しながら見る。
ハートのクイーンとクローバーの8。
手札自体には意味がない。カードの種類にも、柄にも大した意味はなかった。
問題は手札の間に入れられた“ホログラム”の三枚目。
描かれているのは「サーカス」の文字。
とある諜報機関を示す符牒だ。
「“どれ”について動いてんの?」
「“全部”だよ。最近、いつも以上だろ」
コフィンは苦笑し、煙草の煙を吐き出す。
暗号処理済みのホログラムカードが煙と共に消える。
卓を探している様子で、二人の近くまで来ていた男が口元に手を当てる。
コフィンの真後ろにさりげなく立ってカードを覗き込もうとするが、もう変哲も無いカードしかなかった。
コフィンは男の視線が僅かな時間、豊かで真白い谷間に向けられていることを察して店内に目を配る。
コフィンが誰も見ていないと微笑みで合図すると、ジェーズが去りかけた男の足を軽く蹴った。
「おい、気をつけ……ろ……?」
こちらを見た男が膝からくずおれた。
ジェーズはまるでそうなることが分かっていたみたいに、男の身体に片手を差しだし支える。
「ああ、飲み過ぎだ。お兄さん」
「なッ、うッ……」
ろれつの回らない男を支えて立ち上がるジェーズに、同じく立ち上がったコフィンが追従する。
「ねえマスター、奥……使っていい? 休ませてあげたいの」
小首を傾げてコケテッシュに微笑むコフィンに、マスターはだらしなく鼻の下を伸ばして首肯する。
「ありがと」
コフィンは軽く指先を動かしてお礼を伝え、店の奥──VIPルームの一つへと向かった。
室内で、男が床に転がされる。まだ喋ることは出来ない。
ジェーズはジャケットを脱いでソファに投げ、コフィンはガラスのテーブルに座り、男の前で足を組む。
そしてハイヒールのつま先で男の顎を弄ぶ。
「……クリティカル」
コフィンの言葉に、ジェーズが口角を上げる。
「じゃあ俺はナハラだ」
ジェーズは屈み、男を仰向けにしてスーツジャケットの内側を調べる。
量産型のハンドガンと無線。ありきたりな装備だ。
さらに首を持って耳の裏や、髪を上げさせてうなじを調べるが何もない。
コードもないから既製品のサイボーグということでもなさそうだった。
ジェーズがコフィンを見る。
コフィンはつま先で男の胸元を示す。
抵抗しようともがく男を気にせず、ジェーズは男のワイシャツを破った。
すると心臓に当たる位置に黒羊のタトゥーが見えた。
「マヴロ・プロヴァド」
ジェーズとコフィンが同時に呟く。
男が絶望の表情を見せた。
二人の目に晒された途端、タトゥーが消えかける。
しかしそれよりも速く、コフィンが動いた。
男の心臓、タトゥー目がけて極小の針がついた注射器を打ち込む。
「がはッ……」
男が一瞬跳ねて、それから信じられないという顔で二人を見た。
「なん、で……?」
コフィンが微笑む。
「嫌な組織ね。バレたら強制的に死だなんて」
「彼女の“毒”はこういうことに長けてる。毒を以て毒を制すって奴かな」
コフィンがジェーズの説明を鼻で笑って注射器を捨てる。
注射器はすぐに溶けて跡形も無くなった。
ジェーズは男を起こし、ソファの足にもたれさせる。
「まあでも、すぐにさっき死んでおいたほうが良かった、と。そう思うかもしれない。それはすまん」
「ど、どういう……ことだ……?」
「俺たちは何でも屋だ。調べるのは好きだが、調べられるのは好きじゃない。だからまあ、お前みたいなことしてくる奴が嫌いなんだよ。……言ってること、分かるよな?」
男は目を泳がせる。
しかしここは防音で、目の前にいる男女は微笑んでいた。
嘘みたいに爽やかに、嘘みたいに妖艶に。
「少し退屈してたんだ。ちょうど良かったよ。色々教えてくれよ。な?」
男がジェーズに怯えていると、コフィンが立ち上がり隣に屈む。
手には新たな注射器。白濁した液体が詰まっている。
「あなたがすごく面白い人生を送ってるといいけれど」
「やめッ……あ゛ッ……」
首に注射器が刺さる。注入された液体が身体を巡り、男を痙攣させる。
「まずは何を訊こうか」
視界がぶれる。ドラッグパックよりも緩やかに、時間が、男女の声が間延びしていく。




