フィルマンー1
フィルマン・プラドは高高度の上空から、下を飛ぶ旅客機に偽装した偵察機を睥睨した。
ネオ・トーキョーを視界に収めた航空機は、機体に爆発物を詰め込んでいるという情報が入っていた。
もちろん誤報を防ぐため、事前に様々な装置で裏付けは取ってある。
機械や超巨大企業から人類を取り戻そうという思想の元、最近勢力を伸ばしている新興宗教の信者たちが搭乗している。
もっと言うならば、旅客機を都市に突っ込んだあとは、事前に飛び降りていた乗員約二〇〇名がテロリストとなって大暴れする予定だ。
都市にとっての敵は、都市の作り出した凶悪な狗であるフィルマン・プラドの敵だ。
フィルマンは輸送機の窓から離れ、射出ポッドの中に寝そべった。自らの手でハッチを閉めると、暗闇に透過スクリーンの光が浮かぶ。
「目標確認。出せ」
三秒間、赤い光が点滅した。
そして赤い光が緑色に変わった瞬間、通常の人間なら決して耐えられないGがフィルマンを襲う。
一瞬の浮遊感の後、フィルマンは高高度から目標の偵察機に向かってポッドで急速接近する。
目標まで残り三百メートルというところで卵形のポッドが割れ、フィルマンが飛び出す。
目視で標的を確認。フィルマンは頭を下にして、弾丸みたいな姿勢を取る。風の抵抗を制御し、利用して偵察機に降下していく。
「悪いな人間」
フィルマンは右手のひらを広げて振りかぶり、虫でも潰すみたいに巨大な偵察機のボディを“ぶっ叩いた”。
轟音。
機体が激しく揺れ、内部で悲鳴が上がった。
フィルマンの“攻撃”で機体に亀裂が走り、中の人間たちが見えた。
フィルマンは亀裂に両手を突っ込み、紙を裂くみたいに機体を“めくった”。
「……ア、超人」
突然の乱入者に恐怖の悲鳴が上がる中、一人の女信者が呟いた。
フィルマンは笑みを浮かべ、闇夜に映える白い歯をむき出しにした。
「乗客の皆様、ようこそネオ・トーキョーへ」
機内に降り立ったフィルマンが、芝居がかったしゃべり方をする。
恐慌に陥った信者たちが全員銃で武装する姿を確認してから、フィルマンは胸に手を当てる。
「歓迎したかったのですが残念です。あなた方は我が都市の代表たちを怒らせた」
「う、うわあああああッ」
フィルマンの言葉に、一人の男が引き金を絞った。
安価なアサルトライフルが火を噴く。
銃弾がフィルマン目がけて飛翔する。
しかし次の瞬間、銃弾は床に転がっていた。
フィルマンが手で払ったのだが、その動きは誰にも見えていなかった。
「ムダな抵抗だ。お前たちが何をしようと自由だが、お前たちの運命は変わらない」
叫び声と銃声が一斉に発露した。
何百、何千もの銃弾がフィルマンに向かって飛んでくる。
が、すべての銃声が止んでも、フィルマンは立っていた。
横に大量の銃弾を落として、両手を叩いて火薬汚れを払う。
「……もう、終わりということで良いかな?」
弾切れの銃を手にした信者たちに浮かぶのは、恐怖だけだった。
恐怖からナイフを手にし、恐怖からフィルマンに襲いかかった。
悲鳴を上げ、尿や糞を漏らし、涙をこぼしながら、信者たちは目的を完遂するため、そのジャマとなる男に向かっていった。
そしてそのことごとくが、血煙となって現世から消え失せた。
耳に痛い破裂音。
一つ鳴るごとに一人が消える。
最初はフィルマンに近づく人間が消えた。
次に人々はフィルマンの手が動いていることに気づく。
通常の思考ならば絶望だ。こんな化け物に敵うわけがない。
しかし極限の状況下に置かれた人々は、これまでその動きさえ捉えられなかったフィルマンの動作が見えたことに、光を見た。
“疲れている”。
信者が消えるのが先か。
フィルマンが消えるのが先か。
ともかく、この旅客機が都市にぶつかるまでの時間を稼ぐことが出来れば──。
しかし人々が希望を抱いた瞬間、フィルマンが口角を上げた。
フィルマンが両手を挙げて、拍手する寸前のような体勢になる。
「チャンスをやろう。私が手を叩く前に伏せろ。生存率が上がるぞ」
パンッ。
言葉と共に身を伏せることが出来たのは、いや腰を抜かした一人を除いて、全員が血煙となった。
「あ、あぁ……」
常人では何をしたのかさえ分からない。
それほどまでの圧倒的力量の差。
操縦士を除いてたった一人生き残ってしまった信者は、フィルマンが超人だと気づいた女だった。
女は尿を漏らし、近づいてくるフィルマンに向かって何かのスイッチを盾のように掲げてみせる。
「ち、近づくなッ! これはこのひ、飛行機に仕掛けられているば、爆弾の……」
「させろ」
「へっ……?」
女の眼前に立って、フィルマンは女の手を包み込む。
「ここはまだ都市の上空ですらない。爆発しても、落下物による被害は微々たるものだろう」
フィルマンの笑みに女の顔が、全身が強張る。
「お前たち信者は、事を成せば神の許へ行けると教わっているらしいな。ではお前はなんだ。事を成せないお前は、一体どこへ行くんだろうな」
「あ、あ……ち、ちが……やめ、あぁ……」
フィルマンが手に力を込める。
女の親指が、スイッチを加圧していく。
「待って、待ってお願い待って……いや、私こんな終わりかた、そんなの……あああ、いやッ! 待って、お願いだから、いやッ、いやぁあああッ!」
見えない力で押さえつけられているように、女の手は動かない。動かせない。フィルマンの軽く押さえているように見える手のひらから逃げられない。
「助けてッ! 神様ッ、いやああッ! こんなの違うッ! 私は聖戦を……違うッ、違うのぉッ」
「……ふふ、お前の神は間に合わなかったようだ」
フィルマンの言葉の意味が分からず、女が呆ける。
刹那、女の眼前からフィルマンが消えた。
今そこにいたことが嘘のように。
タチの悪い夢を見ていたみたいに。
外から戦闘機の音が聞こえた。
接近したかと思った戦闘機はすぐに離れていく。
窓に網目状の何かが走っている。
カチン。
女はやけに響く音と感触に、手元を見る。
言葉は出なかった。
フィルマンが離れる瞬間、押させたんだと分かった。
女が息を吸い込むのと同時だった。
大量の爆発物を詰んだ偵察機が爆発を起こした。
フィルマンは落下しながら偵察機の爆発を眺めていた。
都市から送られた戦闘機によって掛けられたのは巨大な網で、極小の落下物以外はすべて網に回収される。
落下予測地点は原住民さえ住んでいない荒野。
信じるモノに救われなかった哀れな信者には、あまりにもお似合いの場所だった。
『アルファ1、回収に向かう』
耳に内蔵された無線機から聞こえたのは、先ほど網を掛けた戦闘機の内の一機だ。
「いや、いい。歩いて帰るよ」
『アルファ1、了解。帰投する』
超人の言うことに意義を唱える者はチームにいない。
唱えることが出来るのは彼らの長官だけだ。
「せめて私が祈ってやる。我々の神に」
フィルマンは空中に指を二回振って、右拳を握る。
それが彼の信奉する神への祈り方だった。
地表が近づく。
フィルマンは体勢を立て直し、地面に到達する。
土が抉れ、フィルマンを中心に衝撃波が走った。
草や木が揺れ、休んでいた鳥たちが慌てて飛び去っていく。
あれほどの高さから落下したにも拘わらず、静かなものだった。
フィルマンは背筋を伸ばし、街へ向かって歩く。
遠くのほうで、巨大な瓦礫が荒野に衝突する音がした。




