ワイヤードー1
Bランク区画フルオール地区にあるシャイオーン通り。
活気あふれた街で、夜には歓楽街としての姿を見せる。
今日も酒や男、女を求めて蠢く人々の姿があった。
誰も彼もが欲望に目をぎらつかせ、我こそは羊を狩る狼であると虚勢を張っている。
そんな街に飲まれ、酩酊した男女もたくさんいた。
ホテルまでたどり着いて一発もすることが出来ず眠る人間はまだマシなほうだ。
泥酔した街の住人たちは、たいがい路地やゴミ捨て場の中で朝を迎える。
そんな賑やかな街から一本外れた裏通り。
そこに、一人の男が眠りこけていた。
いや、正確には眠っているように見えているだけだ。
雨が男の顔を掠めるたび、男の皮膚が“ぶれる”。
よく見れば、手の指がすべて第1関節から千切り取られている。
靴も乱雑に放り捨てられ、むき出しになった足の指は手と同様、無くなっていた。
傍らに残った財布とバッグ。
“男の顔に貼付けられたホログラムが揺れる”。
ホログラムの向こう側は、陥没していた。
いや、クレーターのように“えぐり取られていた”。
男は、死んでいた。
──◇──◇──◇──
防水加工された黒いトレンチコートを羽織り、黒いハットを被った紳士然とした男が現場に現れたのは、警察が現場を取り仕切り始めて、1時間半が経過してからだった。
「どーも」
男は警備ドローンと共に警戒線の前に立つ警官に挨拶した。
帽子を取って銀色のオールバックを見せ、特徴的な銀の瞳を若い警官に向ける。
警官は異色な男の登場に戸惑ったが、すぐに気を取り直し、手にした網膜チェック装置を男の前に掲げた。
男は軽く頷き、装置に目を近づけスキャンさせる。
すぐに甲高い音が鳴り、男の正体を警官の端末に表示する。
「確認出来ました。中へどうぞワイヤードさん」
「ああ」
男──ワイヤードはニッコリと微笑み、警戒線の内側へ入った。
路地は少し饐えた匂いがするだけで、Cランクのように吐瀉物や小便の臭いがむき出しになっていない。
ワイヤードは前方の人だかりに向かうと、一番手前にいた恰幅の良い男の肩を叩いた。
「警部、こんばんは」
「……ああ、お前か」
警部は視線だけでワイヤードを見て、すぐに興味を失った。
警部は顎をしゃくり、鑑識ドローンによって精査されている死体を示した。
「……こりゃひどい」
ワイヤードは顔がえぐられた男の死体を見て、ハンカチを口元に当てる。
警部以下、数人の警官たちの間を縫って、死体のそばにしゃがみ込む。
「指もなくなってる。歯型もない。細胞識別するとして、こいつがどこの誰か分かるまで一週間は……」
「誰か分かってるぞ」
「……はぁ?」
ワイヤードは信じられないという表情で警部を見た。
「いつからこの都市の怠惰な警察は、こんな状態でどこの誰か分かるほど精度の高い捜査が可能になったんです?」
「市民IDが横に落ちてたんだよ」
「……はい?」
「これだ。お前も持ってるだろう。俺も持っている。こいつらもみんな持っている」
警部が部下に命じて真空パックを一つ持ってこさせる。
その中に手のひらサイズのカード型IDが入っていた。
珍しくもない現物のタイプだ。
Aランク市民ともなれば生体識別タイプにしているのだが、あれは高いし、全市民に普及することは叶わないだろう。
もちろん政府だってそんなこと特別望んではいない。
「ここまでやって、そんな間抜けなことします?」
「ここにやった奴がいるだろう」
ワイヤードは納得出来ない表情で警部──フルオール署のミラー警部を見た。
しかしミラーも慣れたもので、ワイヤードを無視し、リストバンド型の端末を起動させ、宙にホログラムスクリーンを投影させる。
そこにはある男の詳細なデータが明記されていた。
顔写真は笑顔で、真面目で快活そうな男だ。
こんな惨たらしい殺され方をするようには思えない。
もちろんこれは自分の勝手な主観だと、ワイヤードは理解している。
人を殺す人間が至って普通に見えるなら、殺される人間もまた至って普通にしか見えないものだ。
いつかやると思っていた。いつかやられると思っていた。
そういうのは実は稀だ。
「ここまでしておいて、IDを残している。変な事件ですね」
「だからお前を呼んだ。探偵」
「まあ、ご指名は嬉しいですが、これはなんとも……」
「そうだろうな。都市警察としても、このあとは解剖に回して身元確認ぐらいしかやることがない」
ミラーが懐からシガーパックを取り出し、煙草を一本口に咥える。咥えるだけだ。火は点けない。
「ただの強盗殺人なら話は楽だったが、こんなことをされてはな。二人目が出る可能性も考えなくてはならんし、その前に解決したい」
ミラーの表情が疲労で歪む。
「まったく、ただでさえ違法義体共の相手をせにゃならんのに、こんな事件まで……はぁ」
ワイヤードはミラーに同情を覚えた。
都市警察にフィクションで見るような捜査能力はない。
あったとしても、昔よりはだいぶ衰退しているのが現状だ。
しかし未だに、フィクションの警察の力を求める目が多い。
国家よりも企業が力を持つ時代。
国家権力は栄光を失い、ノウハウは野へ流れた。
そして捜査能力を買われて現場へ駆けつけるのが、ワイヤードのような探偵と呼ばれる人種だ。
「いつも通り、こちらでやれることはすべてやっておく。あとは任せるぞ、ワイヤード」
「はい、任せてください……ああ、警部」
「なんだ」
不機嫌そうな顔を見せるミラー。
「ああ、そうかデータだな。今送る」
ミラーが端末を操作しているのを眺めながら、ワイヤードは肩をすくめた。
「それもなんですが、あなたは少し休んだほうがいい。今どき珍しいナチュラルなんですから」
ミラーは胡乱な目つきでワイヤードを見て、咥えていた煙草をプッと吐き捨てた。
「それはお前もだろうが。お互い様だ」
ミラーの悪態と同時に、ワイヤードの視界に情報がポップアップする。
男と、現場に関する情報がファイル化されたデータだ。
「終わったら行くぞ。あとはこいつの出番だ。俺は先に戻る」
ミラーはワイヤードの肩を叩き、現場の警官たちの敬礼を受けながら警察車両に戻る。
自動運転機能が搭載されている、レトロな小型車両、黄色いビートルだ。
大柄な身体を小さな車体に詰め込む姿は、なかなかにユーモラスだ。
「さて……」
ワイヤードはミラーを見送ったあと、死体に向き直る。
受け取った情報だけでも資料としては充分だが、やはり実物を調べたほうが精度が上がる。
捜査ドローンが終わるまでの十数分、ワイヤードの捜査が始まった。




