ミチルー1
マシンアート社のミチル・スメラギといえば、義体デザイナーとしてそれなりに名の売れている人物だ。
マシンアート社は、どうせファッションで義体にするのならば、もっとアーティステックを追求しようという理念の元発足した会社だ。
社長のリオン・フォースは自らの全身義体を気に入っていたが、同時に物足りなさも感じていた。
もっと野性味あふれる身体になれたら──そう考えた彼は、今は稀少なサファリパークで野生のゴリラと出会った。
それが転機だった。
人の形に近いが、より完成されつつあるフォルムだと思ったリオンは、自らにタイプ・ゴリラの義腕を取り付けた。
そして周囲の人間に見せびらかした。
子供じみた自己顕示だった。
しかし金と暇を持て余す人間というのは、いつの時代にもいる。
もちろんこの時代にもだ。
マシンアート社の理念に共感した金持ち共が、惜しげも無く金を注ぎ込んだ。
そして、アニマルタイプの義肢はマシンアート社の看板となった。
マシンアート社は、ゴリラはもちろん、想像上のドラゴンの角でも、フェニックスの翼でも、ウサギや犬、猫の耳も用意した。
人気はそこまでないが、コアなファンを掴んで離さない昆虫タイプも用意してある。
マシンアート社はあなたの変身願望に応える、素晴らしい会社なのだ。
──ところで、そんな会社が世間一般にまで浸透しているかというと、そんなことはない。
未だに義体といえば“機械仕掛けの人間の身体”だ。
人間の身体に合わせた施設、社会の中で、わざわざ異形になることが出来るのは“普通の生活”を送る必要がない金持ちの道楽なのだ。
だから必然的にオーダーメイドが中心となる。
金と暇を持て余した客は口うるさい。
ミチルが下積み時代の客も、それはそれは偉そうだった。
けれど数年前、ミチルがウサギの足を開発、デザインしたことで風景は一変した。
タイプ・ラビットのシルエットは驚くほど官能的で、人の美的感覚を魅了した。
金がなくても、ありすぎても、人は手近な“スポーツ” に夢中になる。
タイプ・ラビットの成功は、ある著名人のEDを治したことに起因する。
彼は必ずミチルを指名したし、ミチルの美的感覚を信頼して口うるさくもしなかった。
おかげで彼は今、子供を三十人抱える子だくさんだ。
もちろん母親は全員違う。
金があれば何でも出来る。
金につられて何でもする。
そういう人間の集まる街だ。
一時の快楽と一生の保証のため、人は簡単に己のナチュラルを切り捨てる。
ヘドが出る──そんな言葉は頭の中から過ぎ去って久しい。
ここは欲望の街だ。
人がどこまでも行きすぎるなんていうのは、歴史が何度も証明し、これからも証明し続けていくだろう。
ミチルもその中に飲まれた一人だ。
もちろん後悔はしていない。
そのヘドが出る客のおかげで、誰も口うるさくしなくなって、静かな環境で作業が出来る。
ミチルは白く広い工房の中で、ヘッドフォンを装着して作業している。
流しているのはランダムで、どんなジャンルでも聴く。
今は「魔笛」が流れている。
有名な「夜の女王のアリア」の部分だ。
本来の名は「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」だっただろうか。
それともこれは違う曲のタイトルだったか。
ミチルはいつも分からなくなる。
口笛を拭きながらマネをしてみてみるのだが、一番高音の部分でいつも掠れてしまう。
この作品が出来上がるまでに一回ぐらいは成功させたい。
しかし次に流れてくるのはいつになるか分からないところがランダムの難点だ。
ミチルは義肢の脳ともいえる部品の外側を覆う、柔らかい鉄をヒートナイフで削っていく。
機械に任せることも可能らしいが、社長のリオンは手作業で作ってこそのアートだと考えているし、客もそんな画一的な製品を望んでいない。
金持ちは自分の身体を奇抜にするため、一家族四人を五年は養える金をポンと出す。
ミチルはナイフを置き、分厚い手袋を填める。
手のひら部分に熱を通すグローブだ。
鉄を自在に変形させることが出来るし、人間なんて触れたらあっという間に火だるまだ。
加減が難しく、扱える職人は百人以上の職人がいるマシンアート社の中でも五人しかいない。
その中でもミチル・スメラギの腕は魔法のようだと称される。
ミチルが固定されたタイプラビットの脚部に触れると、外殻がすぐに溶け出そうとする。
それを絶妙な調整で形を押しとどめ、扇情的に、官能的になるよう作り上げていく。
工房は空調から食事から休憩スペースから、何から何まで自動なのに、そこを維持するのは職人の力だ。
ミチルは1ミリのミスも許されない最後の仕上げに取りかかるとき、いつもそういう高揚感がある。
もうすぐアリアが終わる。
圧倒的な歌唱力を持つ女性の声が高らかに響き渡る。
遥か昔のクラシックが、ミチルの作品を芸術へ高め上げていく。
曲の終わりと共にミチルの腕がラビットの脚部から離れる。
溶け流れた鉄が絶妙な形で冷えて固まり、最高の逸品へと仕上がった。
ミチルは乱暴にグローブを外し、ヘッドフォンを取って首にさげる。
「……ふぅ」
工房の壁に四角い穴が開いて、中からジンジャーエールが出てくる。
それを受け取って、一息に飲み干した。
ミチルは改めて自分の作品を見る。
今の全力を出した、完璧な仕上がりだ。
あとは皮膚を重ねるだけ。
──けれど、何か物足りない。
仕事終わり、ミチルはいつも考える。
必要な充足感が三つあるとして、いつも一つ足りないのだ。
たとえば子供のころ、両脚を失った幼なじみにタダで義肢を造って上げられたなら。
あの子に感謝されていたなら。
幼なじみはもうずいぶん前に死んだ。
たぶん一生、片隅に引っかかる過去の影だ。
しかしその影こそが、ミチル・スメラギの作品に深みを出している。
影こそが美の凄味を増している。
ミチルはその人生の皮肉には気づいていない。
そうして完璧な作品を仕上げると称される彼女は、今日も物足りなさを感じて生きていく。
いつかそのピースが埋まる仕事を求めて。




