探り屋社長 丸田ロビンス
「はぁ……」
丸田ロビンスはため息を吐いた。
今年で54になる。
立派な中年も終わりに近づき、そろそろ壮年と呼ばれることになる。
老眼鏡なしでは、ずいぶんと文字が見づらくなった。
幸い電子デバイスは文字の大小が自在なので、大きく困ることはない。
が、自分が老化しているという現実にため息を出るのだ。
「丸田さん、目、サイバネにしないんですか?」
秘書の真奈アルバートが己の瞳を差しながら言った。
虹色に一瞬光るそれは、サイバネティクス、つまり機械の目を埋め込んでいるのだ。
「便利だとは思うんだがね、どうにも……」
「便利ですよ。視力のことでいちいち悩まなくなりますし」
「ふふ、でもね、若者ほど思い切ったことは難しいよ」
「簡単ですよ。麻酔してもらって寝て起きたら終わってますし」
「そんなもんかい?」
「そんなもんです」
真奈がにっこりと微笑む。
魅力的な笑みだが、整形を繰り返しているというから、どこか作り物めいた笑顔に見える。
作り物じゃないものがこの都市にどれだけ残っているのか。
という疑問が浮かび上がったが、ロビンスはそれを頭のゴミ箱に捨てた。
哲学は自分の専門ではない。
「そういえば丸田さん。上からこんなの届いてましたよ」
「ん? ありがとう」
真奈から手渡されたのは封書だった。
こんな時代に封書。
しかも宛名だけ。
差出人なし。
嫌な予感がする。
上の部分を手でちぎり、中の紙を取り出す。
「ん?」
しかし中は白紙だった。
代わりに真ん中にチップが貼り付けられている。
挿入型のUSB端末に似たチップだ。
「真奈くん」
「はい?」
「君の頭を借りたい」
「ああ、“そっち系”ですね」
ロビンスは紙から剥がしたチップを真奈に手渡す。
真奈は慣れた様子でこめかみに触れ、皮膚をスライドさせてからチップを埋め込む。
「どうだい? なにか連絡事項は?」
「……んー、これといって特別なものは……というかどこにもデータが……」
真奈は身体中をイジっている。
だからほとんどヒューマノイドのようなサイボーグだ。
ゆえにロビンスの秘書をやっているし、時折送られてくるチップのような情報媒体を直接読み取ることも彼女の仕事である。
「ウィルスは?」
「探索中です……うーん、弱いヤツはあるんですけどね、こんなの入れたところでどこの会社も乗っ取れないですよ、今どき」
「ふーむ」
ロビンスは鼻の頭を掻き、顎に手を当てる。
「五大が仕掛けてくるものでもなさそうだ」
ロビンスはひとりごとみたいに言った。
五大超企業。
ネオ・トーキョーを実質支配する文字通り5つの企業だ。
得意業種は違うが、様々な分野でお互いのパイを食い合っている。
均衡が取れている今、下手に崩すよりも互いに共存したほうが良いという意見もある。
その中でもトップに近い企業が『陣内』。
古くから製薬の分野で活躍していた企業だ。
資本、人材ともに他の企業より頭半分は抜けている。
というのがロビンスの印象だ。
とはいえ、他の四企業が劣るかと言えばそうではない。
ほんの少し、差があるといえばある。その程度。
でなければ均衡は取れない。
「とすると、うちを嫌う五次団体辺りか?」
五大超企業には当然下請けが無数に存在する。
会社として名前があるだけで、実質の社員は社長ただひとりというのも珍しくない。
五次団体は元請けから数えて五番目に当たる企業だ。
そこそこの数を抱えている企業も多い。
ギリギリAランクで生活しているのも、そういう五次ぐらいが多い。
そういう連中は、ロビンスの会社みたいな『探り屋』を嫌う。
探り屋は超企業にとってよろしくない行動をしている者を探って、超企業に伝え、報酬をもらう会社だ。
ハイエナや小判鮫、寄生虫とも呼ばれる。
そして企業ごとに設置されている監査部でもないフリーランスに近い立場のため、企業のトップではなく、探られたら痛い腹がある◯次団体の企業連中に嫌われる。
今回もそういう連中が送ってきたチップだと思うのだが──。
「丸田さん、すみません。失敗りました」
不意に、真奈が言った。
瞬間、ロビンスは目の前の机を真奈に向かって蹴り飛ばしていた。
「かっ……!?」
机ごと真奈が吹っ飛ぶ。
スチール製とはいえ、決して軽い机ではない。
そして蹴り飛ばす際に机の引き出しから銃を抜き取っていた。
「蜘蛛の二次以降の団体の可能性あり」
真奈が机を折り曲げて這い出てくる。
いくらサイバネ化しているとはいえ、人間の力ではない。
「他には?」
ロビンスは大口径の銃口を真奈に向けたまま訊く。
照準は真奈の額に向けられている。
「許可されていないカジノ、裏食堂、建築関係。すみません絞れません」
真奈が歪な、糸に吊られた人形みたいな動きで近づいてくる。
「他には?」
ロビンスの照準は、一切ぶれない。
「ノーデータ、です。あと三秒で、の」
乗っ取られます。
真奈がそう言い終わる前に、ロビンスが引き金を絞った。
ドフッ、と奇妙な音がして、銃弾が発射された。
銃弾は先端が丸い形をした特注製だった。
真奈の額に当たると同時に先端が軽やかにひしゃげて砕け、中からスライムのような液体が出てくる。
それが真奈の額に広がると同時、後続の第二発火装置が点火。
「あぁああああああっ!?!?!?!?」
直後、とてつもない威力の電流が真奈を襲った。
「かっ……」
真奈が倒れる。
額に付着していたスライム状のモノはすべて焼き切れていた。
こめかみの皮膚が勝手にスライドして、そこからチップが排出される。
チップは煙を上げて、完全に破壊されていた。
「おーい、生きてるかい、真奈くん」
「は、はいぃ……」
仰向けに倒れたままの真奈が、片手を上げる。
それを見て、ロビンスはホッと一息。
「あいたた……」
数秒後、回復した真奈が起き上がる。
「ごめんね。いつも大変な役ばかり」
「いえ、これも高給のうちですから」
真奈は頭を軽く振ると、あとは元通りになったみたいに立ち上がった。
少し髪が焦げているが、真奈は髪も高性能ウィッグで自在に出来るから、特に気にしていない。
「はー、それにしても焦りました」
「なにがあったの?」
「弱いウィルスはトラップだろうと思ってたんですけど、そのあとにちょい強いウィルスが、それを駆除してたら、さっき駆除したはずの弱いウィルスが結合してヤバいヤツに」
「なるほど……そういう手か」
「次は再結合できないように完全に潰します」
「頼むよ」
やはり真奈に最初に頼んでおいてよかった。
と、ロビンスは思う。
迂闊に自らのデバイスのどれかで読み込んでいたら、データを乗っ取られるか全消去されるところだった。
バックアップは取ってあるが、元が残っているのがもちろん、一番いい。
そもそも、出し抜かれるのはそんなに好きではない。
「それより、蜘蛛で間違いない?」
「そうですね。それは。ただ、あれ以上深くは捜索かけられませんでした」
「いや、大丈夫だよ。あそこには探った企業で弱体化したところがけっこうあるからね。そこを地道に潰していけば、そのうち当たるんじゃないかな」
言いつつ、ロビンスの頭にはすでに何社か、思い当たる企業があった。
「今探ってる件の情報だったら良かったんだけどね。まったく、やってくれるよ」
「誰か招集かけますか?」
「そうだなぁ、今は証拠探しだからそんなにはいらないかな。エイランは呼んでおいてもらおうかな」
「わかりました、すぐに」
ロビンスは椅子に深くもたれ、天井を見上げる。
欲望渦巻く都市、ネオ・トーキョー。
この都市で54なんていう年齢まで生き残っているのは伊達じゃない。
相手にはどういう報復がいいかな。
ロビンスは顎をさすりながら、報復方法を考えるのであった。




