ドッグー3
ドッグはウエノ・マーケットにいた。
コークとビールの透明なカップを持って、テーブルの一つに着く。
「……予約席だ」
先に座っていた壮年の男が言う。
でっぷりした腹に、白い髭が特徴の男だった。
男は面倒くさそうに言いつつ、泡の少なくなったビールを舐めるように飲んだ。
二時間前ほどから、この一杯のビールで粘っている。
かといって、店員がこの男を追い出すことはない。
ここの席はフリーだし、この男みたいな客はたくさんいる。
「あんたに話を聞きたくて来たんだ」
ドッグは手元のビールを男に差しだし、コークのカップを掲げて見せる。
男は一瞬迷ったように視線を動かしたが、やがてビールを受け取り、ドッグのコークと乾杯した。
「なんだ、話ってのは」
「あんた、毎日ここにいるだろ」
男は鼻で笑う。
「職場を失った老人は暇なんだ。俺はまだやめたくなかったがね。女房が退職金の額を聞いて俺から無理やり職を奪った」
男はビールを一口呷り、ゲップした。
「おかげでこの極東に来たはいいが、何ヶ月もいるとな……さすがに暇でしょうがない。だから飲むしかないんだ」
「奥さんは?」
「エステにブランド、娘と一緒に楽しくショッピング。ついていったところで、荷物持ちか文句を言われるだけ」
男は視線を前に向けたまま、鼻から深く息を吐き出した。
「身を粉にして働いても、こんなもんだ。あんたのような若者は、こんな話が聞きたいのか?」
ドッグは苦笑しつつ、首を振る。
そしてジャケットの内側から写真を一枚取り出して、男の前に出す。
「この女性を捜してる」
写真には、笑顔の女性が写っている。
若い女性だ。日焼けしていて、白い歯を覗かせて幸せそうだ。
「……ああ」
男は写真をじっくり見て、嫌そうな顔をした。
手を軽く振ったので、ドッグは写真を懐に戻す。
「知ってるか?」
「……俺の目の前で浚われた子だな」
男は盛大に嘆息して、ビールに口をつける。ドッグが持ってきたほうではなく、自分が頼んでいたものだ。
男はひどくマズそうな顔をして、喉をごくりと鳴らした。
「一週間ほど前か。同じようにこの席で飲んでたら、ちょうどほら……そこだ」
男が指で示したのは、マーケットの屋台の向こう側、路地になっているところだ。
今も人通りが多く、この席からなら人の顔も判別出来る。
「人攫いなんてのは、まあ珍しくもないが、それにしても堂々とした犯行だったな。正直、なんだ……目を引く美人な子だろ。覚えてるよ」
「車種は?」
男は少し考えて、それからようやくドッグを見た。
「普通のワゴン車だよ。人攫い出来そうなデカめのやつ」
「……色は」
男はそこでドッグの意図を読んだらしく、薄く笑った。
「なるほどな。だから俺か。目のこと、バレてるんだろ」
男が自らの目を指さすと、ドッグは頷く。
「くっく、なら下手な嘘はつけねーな」
西欧系の男は青い瞳をしていたが、その瞳が虹色に変わっていく。
ホログラム加工されたものを透過する特殊なサイバーウェアだ。現在は捜査機関などでだけ許可されているアングラ物。
当然、男の目も違法だった。
「もちろん警察なんかに引き渡すことはしない。俺は……」
「あーあー、いい。わかってるよ。そういう日の当たる類の人間じゃなさそうだ。俺の知ってることは全部話す」
男はビールを掲げると「これの礼だ」と言う。
「流動色を使って虹色に見せていたが、元は黄色いワゴンだ。黒や白だとあまりにもそれっぽいからな」
男の言うことを、ドッグは網膜ホログラムで出したスクリーンにメモしている。
目の微かな動きだけでメモが可能だ。
「犯人の数は四人。小太りの男が一人いたな。あとは普通だ。それで車は……あっちのほうへ走っていったかな」
男は再び路地を指さし、左方向へスライドさせる。
「旧シンジュク方面……」
「そうだ。そっち側へ走ってった。この国のギャングかチンピラだろ」
「国産かどうかなんて分からないよ」
ドッグが言うと、男は腹を叩いて笑った。
「はっはっは、そうだな。今の時代、境目なんて無意味だ」
男はひとしきり笑ったあと、ドッグの姿を確かめる。
「で、その子は生きてるのか」
「いや、もう死んでる。遺体は三日前にCランクエリアで見つかってる」
「……じゃあどうしてその子を探してる?」
ドッグはコークを飲み干し、氷を噛み砕いた。
立ち上がり、こめかみを揉む。
目の前にGPSスクリーンがポップアップし、旧シンジュクエリアへのルートが示される。
「彼女は裸だった。それに思い出になるようなデータチップもなくなっていた。両親と婚約者がせめて何か形見を……そうして俺に依頼が来た」
「……あんた何でも屋なのか」
「……ああ」
「へえ、何でも屋ってのはもっとこう……ハードボイルドだと思ってた」
ドッグは自分の格好を見直し、男を見る。
「自分ではけっこうハードボイルドだと思うけどね」
「格好だけじゃダメだ。中身があってこそのハードボイルドだろ」
ドッグは苦笑する。
男に礼を言って、マーケットから出る。
男はそんなドッグを見ながら、自分の温くなったビールを一気に飲み干した。
カップを置いて、イスに深くもたれる。
そして汗をかき始めたビールに手をつけ、舐めるように口づける。
リストバンドが明滅し、ボタンを押すとホログラムが目の前に現れる。
そこには妻と娘がいた。男に向かって手を振っている。
『あなた、ごめんなさい。もう少しかかるから適当に暇つぶしてて』
『ごめんね、パパ』
男は精一杯の愛想笑いを作って、二人に手を振る。
「ああ、俺のことは気にせず楽しんでおいで」
通話を切ると、男は嘆息する。
妻と娘はもう“この世にいない”。
この国へ来て、死んだ。
だから男はこの国が大嫌いだ。
今はこうして、設定した時間に妻と娘からコールが来るように設定している。
内容はいつも同じだ。
次の通話が来るまでの二時間。またこの一杯で粘らねばならないことに、ため息とも苦笑ともとれる吐息がこぼれた。




