明王蜂 時村奏
「あらら、あーらら。ほんと嫌になる」
明王蜂の一員である時村奏が言った。
手にはスタンロッドを持っている。
顔には蜂のフルフェイスヘルメット。
身体は真っ黒なボディスーツで覆われている。
大きな胸と尻。
キュッと締まったくびれは、本当の蜂のように見えた。
「あんた、ほんとに何も持ってへんの?」
訊くと、眼の前の男はギチッと奥歯を噛んで奏を睨んだ。
中東系の顔立ちで、口元に立派な黒ひげを蓄えている。
身体もよく鍛えられてはいるが、今は腕が一本ない。
右腕。
男のすぐそばに、サイバネ化された義肢が転がっていた。
「はよ答えてくれへん? こっちも暇やないんよ」
それでも男は何も答えない。
奏の言葉がわからない。ということでもなさそうだ。
取引相手とは、日本語で立派にやり取りしていたのは確認済み。
「ほな、しゃあないな」
奏がスタンロッドを振り上げる。
男はその一瞬を狙って左手で身体を支え、右足で槍のような蹴りを放った。
しかし──。
「甘いわ」
奏もスタンロッドは囮だった。
男の蹴りに合わせるようにして、左足を上に振っていた。
ガンッ。
と、金属同士を叩きつけたような音が鳴る。
実際、男のほうは金属だった。
強化されたサイバネの足。
だが、奏はそれすらも意に介さずに蹴り上げた。
男の顔が歪む。
膝から下が、曲がってはいけない方向に折れていた。
「あぁああああっ!」
男が咆哮した。
左手で右足を掴み、地面をのたうち回る。
路地裏。
汚い地面だった。
虫の死骸や尿や吐瀉物が染み込んだ道。
そこを男は転げ回った。
その姿を、奏は冷ややかな目つきで見下ろす。
「だから言うたやろ。早く吐けて」
「だ、誰が信じるものか……神も信じないお前らが、正しいことを言うはずがないっ……」
男の言葉に、奏は噴き出した。
「神て。あんた神さん信じてるかどうかで人間確認してるん? やめとき。眼の前の人間がどういうヤツか、自分の目ぇで見極めんと。だから今こうなっとるんやで?」
「ぐ、くっ……」
「ただ、ええ情報手に入れたわ」
「……え?」
男には見えなかったが、奏はにぃっと唇を吊り上げた。
それは、悪魔的な笑みだった。
「あんた、ちゃぁんとこっちの言葉喋られるやん。だったら、拷問しても良さそやなぁ」
「なっ……」
「言葉理解してんもん拷問しても意味ないやろ? でも、理解してるんやったら、何聞かれてるかぐらいわかるもんな。あー、よかった」
その言葉に、男はガタガタと震え始めた。
恐怖だ。
悪魔に目をつけられた恐怖。
男はなぜ自分が震えているのかわからなかった。
しかし動物的な本能と直感が男に知らせていた。
助かる道があるならば、全力でその方向に動くべきだと。
「い、い、言うっ!」
「……なにを?」
「あなたがほしいと思ってること、ぜんぶ、言う!」
男は叫んだ。
それしか、道はなかった。
「おぉー、ええね。人間、素直がいっちゃんええわ。けーど……」
「……」
「ちょぉっと遅かったかな。今こっちの通信で、先に情報吐いたやつおるみたい」
奏の耳に付いている無線から、先程情報が入ってきたのだ。
曰く、もう目の前の男は用済みである、ということ。
「だからあんたが知ってる情報、全部いらんってことやね。うん、おつかれさん」
「……み、見逃してくれるのか?」
「ほぇ? なにアホ抜かしてんの。ちゃうよ。いらんくなったってことは、なにしてもそこらのゴミ蹴っ飛ばすのと変わらんってことやろ?」
「……あ」
そこまで奏が言ったところで、男はようやく自分が最大のミスを犯していたことに気づいた。
仲間の誰よりもこの眼の前の女に情報を伝えること。
それが、一番苦痛なく、一番手早く“死ねる”方法だということを。
「ま、ま、待ってくれ! 他の情報があるかもしれないだろ! ぜんぶ、ぜんぶ話す! なにもかも! 洗いざらい! だからっ……!」
「わかった。楽しみにしてるな」
「がっ……!?」
男の首にスタンロッドが叩き込まれる。
強力な電流が走り、男は一瞬で意識を刈り取られた。
男がぐったりと横たわったのを見てから、奏は仲間に通信開始。
「三番地区、時村奏。回収班いる? 標的、運んで。新人の子らの教習に使うわ」
『回収班、了解』
会話は短く、そして簡潔だった。
「ふん、ふん、ふんふーん♪ ふん、ふーん♪」
奏は小さく鼻歌を歌いながら、珍しく晴れて夜空が見えているCランクエリアの狭い空を見上げるのだった。




