闇医者と蛇の使い
馬鹿げている。
そう思うときが、日に何度かある。
今がまさにそうだった。
ピーター・ハーバーは医者だ。
正式に免許を持っているわけではない。
資格だってない。
いわゆるモグリの医者だ。闇医者。
決して大っぴらに言えるような職業ではなかった。
「……あー、つまり、あなたは職場のみんなに馬鹿にされている……気がすると?」
「……はい。気というか、もう絶対にそうです……」
「ふーむ……」
ピーターは小難しい顔をしてみせ、顎を手で撫でる。
カルテも一応持ってはいるが、書いてあるのは奇妙な動物の落書きだけだ。
あとは患者の名前。
ロシトン・パーク。
44歳。
日雇いの肉体労働者で、左右の腕がサイバネだ。
型は旧い。
建築現場で使えはするだろうが、最新型の人間には負けるだろうな。
と、ピーターは思った。
「2・6・2の法則ってやつがあるんですよ、ロシトンさん」
「……なんです? それ」
「自分のこと、たとえばロシトンさんのことが好きな人間がふたり、好きでも嫌いでもない人が六人、そして嫌いな人がふたり。人間関係に置いて、そういう法則が働くって話です」
「……働きアリの法則みたいなやつですか?」
「ああ、それです。そういう法則です。だからあなたがたとえば、両親に愛されて育ったとしましょう。ふたりがあなたを好いている。だから代わりにあなたのことが嫌いな人がふたりいる。そういう話です」
ピーターは言って、ドラッグパックに火を点ける。
軽く吸って、煙を肺に入れずに吐き、吸い差しをロシトンの口に向けた。
「なんですか?」
「吸ってください。気分が落ち着きますよ」
「……」
ロシトンは少しためらったが、結局はピーターからドラッグパックを受け取って咥えた。
鎮静効果のある医療用ドラッグパック……の安価版だった。
ジェネリック製品ですらない。
だから効果は薄い。
期待できないほどではないが、正規品を使っている人間にはあまり効かない。
「つまり……俺は嫌われてる分、好きでいてくれる人も同じ数いるってことですか?」
「ああ……そういうことです」
効果は抜群だった。
この歳になるまで、こういう系統のドラッグパックを嗜んだことがないらしい。
こちらとしては仕事が楽になって助かる。
「誰があなたのことを好いているか、それは私にはわかりませんけど、まあそういう人がいたら大事にしてください。あなたのことを嫌ってるヤツのことを考えるより、よっぽど建設的で幸せなことだと思いますよ」
「……そうします。ありがとうございました」
「解決したようでなにより」
ロシトンはドラッグパックを根元まで吸うと、名残惜しそうに灰皿でもみ消して立ち上がる。
それからピーターに深々と頭を下げて、診察室──ただのアパートの一室の一部屋──を出ていった。
「診療代は受付に」
「はい」
ピーターは叫ぶように言って、カルテに大きな字で『解決』となぐり書いた。
馬鹿げている。
こんなのは医者の仕事ではないし、そもそもピーターは医者ではない。
それでも安心を求めて正規の病院には行けない貧乏人どもはピーターのもとへやってくる。
ピーターだって最初は医者の真似事をしていたが、それもすぐに限界が来た。
今はそんなことはせず、分相応にさっきのように悩み事や症状を聞いて、それに効きそうなドラッグパックやドラッグを「処方」している。
「……ふー」
自分用のドラッグパック『キル・ドクター』を呑みながら、ピーターは半開きになった診察室のドアを見つめる。
薄汚れている。
毎日掃除はしているが、こびりついた血や吐瀉物などの残滓は残ったままだ。
「ドクター、ネイムが来てる」
声にハッとして顔をあげると、いつの間にかドアが開いていて、受付のヴァネスが立っていた。
身長176センチの長身で、モデルのような均整の取れたスタイル。
美女だがいつも睨んでいるような目つきをしているので、男女ともに好意的に寄ってくるものは少ない。
そんな彼女の後ろに、ひとりの少女がいた。
片足をサイバネ化した少女──ネイムだ。
彼女のことを可愛がっている兄がいるが、今日はひとりのようだ。
両親は……ネイムの片足を金のために売ったロクデナシだ。
「どうした、ネイム。メンテナンス希望か?」
「うん! ドクター、お願いしてもいい……えっと、今日もお金はないけど……」
遠慮がちにしているネイムに、ピーターは下手くそな笑みを向ける。
「言ってるだろ。子どもがそんなことを気にするんじゃない。さ、おいで」
「うん!」
嬉しそうに診察用の椅子に座るネイムに、ピーターは意味もなく目頭が熱くなるのを感じた。
Cランクエリア。
困窮しやすい人間たちがよく集る場所。
そこに住む子どもだ。
サイバネのサイズは合っていない。
片足を引きずるようにして歩いているのをよく見かける。
それでも健気に生きている。
願わくば、彼女の未来が少しでも明るいことを。
ピーターはサイバネ化した足周りに軟膏を塗ってやりながら、そんなことを考えてしまう。
そんなことを願えるほど、自分は立派な大人ではないくせに、などと相反する気持ちを持ちながら。
「先生……お邪魔しますよ」
「……シーラン、さん。何の用です」
ネイムのサイバネをもとに戻してやるのと同時に、ひとりの男が診察室に入ってきた。
藍色のスーツを着た、細身の男だった。
しかしその中身は鋼のように鍛えられており、ナチュラルでありながらサイバネ化した人間とまともに戦えるほどの膂力を持つ。
犯罪組織のひとつに所属している人間でもある。
ド派手なスーツを好むマフィア、マーティンの部下。
「ネイム、ヴァネスのところでお菓子をもらってきな」
「……う、うん」
ネイムは聡い子だ。
積極的に関わってはいけない人間というのを知っている。
ネイムはシーランと目を合わせず、診察室を出ていった。
シーランのほうは、目を細めてネイムが診察室から出ていくまで目で追っていた。
怖い男だ、とピーターは思う。
「……それで、何の用です。治療が必要なら……」
「いえ、今日は治療ではないです」
シーランが言いながら、診察用の椅子に座る。
相手を威嚇するような、ドカッとした座り方ではない。
静かな、椅子の軋みさえ最小限の着席だった。
威嚇してくるヤツより、こういう手合いのほうが怖い。
ピーターは、経験からそう学んでいた。
そしてそんなヤツが治療以外でここを訪れるときの怖さも知っている。
「先生、金が必要でしょう」
「……そりゃあ、いつだって火の車ですからね」
「いい仕事があるんです。それも、長期間。成果を出してくれれば、ボーナスも」
「……私は、ただの闇医者です。あなたから仕事をいただけるような身分じゃない」
「いいえ、あなたの力が必要だ。余計なことをしない、女に溺れない、金のために動ける。そして──」
シーランはもったいぶって、ピーターを見つめた。
「人を殺したことがある人間」
どくり、と心臓が大きく跳ねた。
なんでそのことを知っている。
そう思うと同時に、マフィアなんだから知っている、とも納得してしまった。
「協力してください先生。報酬は弾みます」
言葉とは裏腹に、それは強制だった。
ピーターに渡された選択肢は『イエスorはい』だけだ。
「私は……何をすればいいですか」
ピーターは答えた。
同時に、シーランが微笑みを浮かべる。
馬鹿げた感想だが、それは人ではなく、ヘビが獲物に食らいつく瞬間の顔のように見えた。




