表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
107/129

ガードマンの退屈な日常

 ネオ・トーキョーのBランクエリア。

 Cランクエリアとの境目に近いそこでは、壁の補修が行われている。

 Cランクエリアの中心ほど危険ではないが、それなりに治安が悪い場所だ。


 補修作業の場所にはカラーコーンや電子看板、電子規制帯が設置されていた。

 内側に作業員と作業用ロボット。そしてガードマンが何人か立ち、目を光らせている。


 重酸性雨がシトシトと降る中、防酸性雨の透明のカッパを着込んだガードマンたちが人と車両を誘導する。

 たまに煽るようにホバーカーが頭の上を横切るが、ちらりと一瞥するだけで無視。

 ガードマンの仕事は治安の維持ではない。


「はぁ……」


 ガードマンのひとり、田中バルクスが背後の壁を見ながらため息を吐いた。


「いつになったら終わるんだ」

「すぐさ。あと四時間で定時だ」


 バルクスのぼやきに応えたのは、数メートル先に立つ同じガードマンで壮年の京利蔵みやことしぞうだった。


 バルクスはすでに好々爺じみた顔をする利蔵をジトッと見つめ、またため息を吐く。


「それをすぐ、とは言わないんすよ」

「俺らみたいなジジイにとっちゃすぐさ」

「俺は若者なんで」

「くっく、大変だなぁ若者は。時間の進みが俺たちよりずいぶん遅いからな」


 利蔵は笑いながら、車を的確に誘導したのに、運転手に罵倒を浴びせられていた。

 治安が悪い。

 と、バルクスは思った。


「だがよぉ、バルクスくん。だったらどうしてこんな面白みもない仕事を選んだね」

「……給料がいいし、時間の融通も利くんで」

「ま、そうだろうな。しかし、長くやるもんじゃないぞ。どっぷり浸かる前に他に生きる道を探すといい」

「利蔵さんも、この仕事を悪く言うんすね。誇りを持って働いているように見えるのに」

「……俺は他にできることがないからな。どっぷり浸かってればそれなりにプライドも出てきちまう。何の意味もないプライドだがねぇ」


 ふたりが話していると、路地の奥からふらふらと男がひとり出てくる。

 手に何かを持っているが、男の後方からやってくる車のライトに反射してよく見えない。


「こちらどうぞー」


 利蔵が車を誘導する。

 車は思い切り水たまりを踏みつけて、ふたりの足元に水を引っ掛けてから走り去っていく。


「……のやろうっ」


 バルクスが車の後方を視線で追いかけると、背後から利蔵の声が聞こえた。


「バルクスくん、こっちだ。車はどうでもいい」

「え?」


 バルクスが振り返ると、先ほど路地から出てきた男が利蔵の間近に迫っていた。

 そのとき、ようやくはっきりと男が手にしていたものがナイフだということに気づく。


「……出せ」


 男が何事か言いながら、血走った目で利蔵とバルクスを見つめる。


「金出せぇっ!」


 そして叫ぶと同時に、ナイフを振り上げて利蔵に襲いかかる。


「まじかよっ!?」


 バルクスが引き攣った声でこぼす。


「あちゃ〜」


 利蔵が、誰かの失敗を見つけてしまったような声を出した。


「利蔵さんッ!」


 逃げろ、とバルクスが叫ぼうとした。

 バルクスは多少、喧嘩の心得がある。

 こういう手合いも何人か潰したこともあった。


 だから利蔵と入れ替わりで自分が前に出る。

 その、つもりだった。


「だーいじょうぶだよ」


 利蔵が、男から目を離さずにそう言った。

 次の瞬間。


「あっ……!?」


 利蔵の左手が、振り上げられたナイフを持つ男の右手首を柔らかく掴んでいた。

 男の手は、そこから一ミリも下に動かせなくなった。

 まるで見えない壁に阻まれているかのように。


 それから、利蔵が身体を捻った。

 右手首を掴んだまま、水平にした右上を後ろに引く。

 ギチッ、と妙な音がした。


 同時に、利蔵の捻りが止まる。

 いつの間にか、右拳が硬く握られていた。


 拳銃のハンマーコックのようだと、バルクスは思った。

 引き金を絞って、銃弾のケツをぶっ叩くハンマー。


「だぁめだよ、兄ちゃん。人殺したら、社会復帰が難しくなるぞ」


 優しい声だった。

 肩に手をポンと置いて、慰めるような、そういう声音。

 だが、その直後。


 バルクスは、ドンッ、という砲弾のような音を“感じた”。


 利蔵の右腕が視界から消えたと思ったときには、血走った目の男が頬に利蔵の右拳がめり込んでいた。


「……ッ?!」


 男の身体がその場で回転して、地面に横倒しに落ちた。


 殴った。


 ただそれだけの事実なのに、バルクスはその事実を認めるのに時間がかかった。

 それほど、凄まじい光景だった。


「あいててて、腰が……」


 我に返ったのは、利蔵のそんな言葉があったからだ。


「と、利蔵さん……?」

「ああ、バルクスくん。悪いけどね、ちょっと一緒にこの人運んでくれない?」

「あ、は、はい」


 利蔵に言われ、バルクスはすぐに駆け寄り、ふたりで男を作業現場の端に運んだ。

 それとなく利蔵が男のナイフを取って刃先をタオルで包み、自分のポケットに入れたのをバルクスは見たが、なんとなく見て見ぬふりをした。


「はぁ、やれやれ。薬だろうなぁ。依存ってのは怖いね」


 もとの立ち位置に戻ると、利蔵がそんなことを言った。

 しかしそれよりも、バルクスは気になることを聞く。


「利蔵さん、昔はけっこう派手にやってたりしました?」

「派手? いやいや、俺はね、生まれてこの方、地味ぃーに生きてきた、ただのジジイだよ」

「そんな風には見えなかったすけど」

「ま、色々あるもんさ。この業界に入ってくる人間はね」


 そう言って、利蔵は前歯がいくつか欠けた歯列を見せてニッと笑う。

 これ以上はきっと聞いてもはぐらかされるんだろうな。

 バルクスはそう思い、再び補修作業中の壁を見て、それから街のほうに視線を向ける。


 誰も先ほどの騒動を気にしてもいない。

 いたとしても、もうどこかに歩き去っている。


「ふぁ……」


 あくびが出た。

 バルクスは、ちらりと都市を見上げた。


 重酸性雨が降っている。

 ネオン煌めく眠らない都市は、霧雨の中に浮かび上がる幻のようだ。


「あと、三時間四十分……か」


 まだ、この退屈な仕事の時間は終わりそうにない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ