トラン姉妹とエイリー・ミラー
関連 ep43 情報屋ティッキー 1
メガシティ・ネオトーキョー。
重酸性雨が降り、ネオンの光が眩しい街の最下層、Cランクの通りをひとりの女が歩いている。
黒い傘を差していた。
女はスカートスーツを身に着けていた。
黒髪を左半分だけツーブロックで刈り上げ、右半分を編み込んでいる美女だった。
薄く化粧が施された美貌の中でも、その大きな瞳が特徴的だ。
その女の目は、常人では気づけないような、昏い、底冷えするような昏い炎が灯っていた。
エイリー・ミラー。
命よりも大事で、人生で一番大切な姉を殺した犯人を追っている。
「こーんにちはー」
「にちはー」
そんなエイリーの前に、女がふたり、立ちふさがる。
傘は差していない。
透明な合羽を装着しているのだろう。
彼女らに当たる前に雨が弾けて消える。
「……誰かな?」
エイリーが言った。
黒髪を姫カットにした長身で細身の女と、左右で紫と緑に色分けしたツインテールで中肉中背の女に知り合いはいない。
長身のほうはライダースーツ。色分けのほうは黒革のパンクファッション。
「羊の蹄の殺し屋?」
エイリーがスーツの腰に手を回し、巨大な銃に手を掛ける。
すると長身のほうが両手を前にしてブンブンと振った。
「あー違う違う。勘違いしないで。私たちは善良な市民デス」
「ですです」
色分けの追随が煩わしいが、エイリーは突っ込んだりしない。
面倒だし、無駄だ。
それに会話の邪魔をしているわけでもない。
「じゃあ、誰なの? 善良な市民さん」
エイリーが訊くと、長身がにぃっと笑みを浮かべた。
「私たちはトラン姉妹と申しマス。私がトラン・ユートピア。そしてこっちが……」
「マドネス・トランでーす」
色分け、もといマドネスがマスコットみたいに手を振る。
「……なんの用? 私が誰か知らずに声をかけたわけじゃないでしょ」
「もちろんデス。実は有益な情報がございまして」
「ましてー」
「……」
ユートピアが両手をグッと握って再び開くと、そこにARで映像が流れる。
そこにいるのは男がひとり。
場所はクラブだろうか。外からのキツイ照明がVIPルームらしき場所を照らしていた。
「こちら、あなたがお探しの男、ミスタとなっておりまーす」
「ますますまーす」
エイリーが目を眇める。
するとユートピアが再び手を握り、開く。
違う映像が流れた。
どこかの店の外観。
雨の降る街。それなりと汚い身なりの人々。
Cランクエリアだとあたりをつける。
店の名は──『ルオ・シャオ・ワン』。
クラブではない。カジノだ。
正規ではなく、裏カジノ。よくある店。
だが、情報屋のティッキーにも探れなかった防衛網が敷かれている店。
そして盲点だったのは、ここが黒羊の系列店ではないことだ。
注意して見れば見つけられる、蜘蛛のマーク。
これは五大超企業のひとつ『蜘蛛』の息がかかった店。
「羊がつま先で蜘蛛と遊んでるの?」
エイリーが訊くと、ユートピアが笑みを深める。
「利害関係が一致する内は、持ちつ持たれつ。一時間後には敵でも、今は友~ふっふふ~」
「マイフレンドイズ期間限定~」
ユートピアとマドネスが顔を見合わせ、
「「イエーイ!」」
と、両手でハイタッチした。
そんなふたりを微笑みを浮かべて見たエイリーは、銃を抜いて銃口をふたりに向けた。
「ワーオ」
「過激派~」
エイリーは真顔に戻っている。
「そんなあからさまな罠にハマるとでも?」
ユートピアとマドネスは、相変わらず笑顔でエイリーを見ていた。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
「得ず得ず~」
そこでふと、ふたりの笑みが消えた。
「お姉さんの復讐、したいんデショ?」と、ユートピア。
「だったら、疑うより先にやることあるんじゃないノ~?」と、マドネス。
「あと一週間。ミスタはこの店を使うよー」
「グズグズしてるとぜんぶ終わっちゃうよー」
言葉と同時だった。
それは本当に一瞬で、刹那の出来事だった。
「──ッ」
目の前からふたりが消えた。
否、まばたきすら許されない一瞬で、トラン姉妹が銃をすり抜けてエイリーの眼前にいた。
“まつ毛が触れるほどの超至近距離”に、ふたりの姿があった。
「罠ぐらい踏み越えてみせろヨォ」
「ぜんぶねじ伏せて達成する復讐は最高に気持ちいーよー?」
耳元でささやかれる言葉。
動けなかった。
何が起こっているのか理解するのに、脳が時間を要していたし、身体が反射的に動くことを躊躇っていた。
「情報は確かに与えーたーぜー」
「ま、精々頑張るんばよーよー」
不可思議な言葉を発しながら、ふたりはエイリーの背中を順に叩いて、それから姿を消した。
ハッとして振り向いたときにはもう、トラン姉妹の姿はなかった。
「……」
ふたたび、前を向く。
もうエイリーの進行を妨げるものは何もなかった。
復讐か、返り討ちか。
いつもと変わらない、見知ったCランクエリアの通り。
しかし今そこは、どちらに転んだとしても地獄に通じる道だった。




