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魔物哨戒班  作者: 如月うなむ
序章:照会して哨戒
9/10

“スメルスライム”の話

「良いですかリーネさん、あれはスライム属固形種の魔物です」

「はい!」


王都を眼前に控えた平原の折。

朗らかな日差しのように温かな表情で語るエトと、その解説を熱心に拝聴する獣人族の娘リーネは、とある魔物をふたりで観察している。


魔物哨戒活動に対するリーネの心境変化は目覚しいもので、しかしこれまでの経緯を鑑みれば、その姿勢に至るべくして至ったという単純明快な成長とも言えよう。

その点エトの泰然自若仕様には慣れを通り越して呆れ気味な私がいるわけだけれど、こいつはこいつで実際のところはリーネの成長を喜んでいる節もある様で、ややもすれば今日の私はブリギッドの頭上で寡黙の一途を貫こうと思う。


いつもより視界が低いけれど、普段エトの視点でものを見ているからか、件のふたりを仰ぐこの光景もまた新鮮である。

エトは微笑みながら、そこに在る魔物の解説を続けた。


「スライム属の魔物の中でも特にマターによる半透膜が固く、半溶解種とは違い、常に一定のドーム体形を保つ性質があります」

「ふむふむ」

「しかし表層を覆うマターの半透膜は、スライム属の中では固い部類であっても、ひとが突けば破れる程度のものです。こちらもまあ、触ろうと思えば触れはしますね」

「なるほどぉ」

「憑依具体物によってその特性は様々ですが、往々にして彼らは内包物から激臭を放ちます。その激臭は半溶解種のそれとは比較にならないほどで、ひどく嗅覚を苛み、三日三晩薄れることのない猛烈な悪臭は精神崩壊を引き起こすほどです」

「なんとまぁ……」


リーネはやや大仰とも言えるくらい快活な返事でエトの解説に応じ、眼前で弾むように動く件の魔物を見つめていた。

警戒心の中に興味を含ませるリーネの表情は、魔物に対して、以前の月並みな嫌悪感がどこにも見当たらなく、勤勉を代名するような面持ちであった。

彼女の頭の上に生える綺麗な銀白色の三角形の耳は、そんな面持ち以上に彼女の関心を良く呈している。


しかしここへ来てリーネは、徐々に勤勉さの中へ訝しさを織り交ぜていく。


「あの、エト先生!」

「なんでしょう?」

「この魔物がスライム属固形種であり、悲劇的な苦痛を味わう攻撃をしてくることは悲しいくらい理解出来ました。魔物と遭遇するこのタイミングで解説が始まる流れもすっかり板に付いて、私もとても勉強になるので助かります」

「はい」

「助かるのですが、何故でしょう」

「はい?」

「この魔物、既に改名済みですよね?」


リーネは魔物照会帳簿をずいとエトへ差し出し、その魔物の名を指差して小首を傾げる。

勤勉になったリーネの復習と言えばそれまでだが、しかしエトは相変わらず抑揚のない笑顔で応じていた。


魔物照会帳簿改稿済みのそのページには、“スメルスライム”という立派な名が冠されている。

さすがのエトもその理由くらい語るかと思いきや、標準搭載された朗らかな笑顔を変化なく貼り付けているのみで、その意図はいまいち理解出来なかった。


私とブリギッドは上下で視線を合わせ、互いに眉根を寄せて、再びふたりの成り行きを見守る。


「これは“スメルスライム”ですよね?」

「そうですね」

「実際に嗅いだことはないですけれど、雰囲気的に、きっと“ジェルスライム”より臭うんですよね?」

「そうですねえ、改名親であるリーネさんが実際にその臭いを嗅いだことがないというのも、ちょっと改名の真実味に欠ける気はしますけれども」

「うぐぐ……、でもでも、“ジェルスライム”のときの臭いを考えれば、その上位互換は相当のものだと推測出来ます」

「時系列で言えば“スメルスライム”の方が先に改名されたわけですが、そういう意味で言えば、まあ類似体験に基づく考察は出来るわけですか」

「そ、そうですとも! ……って、そうじゃなくて! 私が訊ねたいことはそれじゃないんです!」

「勤勉になったリーネさんですから、てっきりその激臭を嗅いでみたいのかと思いました」

「獣人族の嗅覚で“ジェルスライム”以上の悪臭を嗅いだら、たぶんお空からお迎えが来ます……」

「しかし、それでは質問は何でしょう?」

「エト先生が改名済みの魔物の解説から改めて始めたご意図について、伺いたかったです!」


思いの外リーネは素直に、そして的確にエトへ質問をぶつけた。

私も、この様子なら恐らくブリギッドも、リーネと同様の質問を抱えているのだろう。


魔物照会帳簿の内容は全世界の魔物図鑑に反映される為、改名時そこに居合わせなかったとしても、改名の成された魔物が哨戒済みであることをブリギッドが知っている可能性はある。

そうであるなら、次いで来る疑問というのはやはり、哨戒済みの魔物の解説を何故今更熱心に行なっているのかという疑問であろう。


もしかしたらブリギッドの場合は「改名しただけで、解説はしなかったのですか?」という疑問か始まるのかもしれないが、それに対して私は「この解説は以前も聴いたよ」と返答して、彼女の疑問を払拭してやれる程度には件の魔物を存じ上げていた。


エトは納得した風に頷いて、リーネに返答した。


「リーネさんはこの魔物に“スメルスライム”と名を付けました、それは素晴らしい改名だと思います。でも、では、この魔物の改名以前の名が何だったのか覚えていらっしゃいますか?」

「ええっ、と……」

「どうでもいいことと言われればそれまでですが、私自身この魔物の名を思い出せず悶々としてきてしまいまして、リーネさんに解説していたら思い返すかなと」


エトは笑みを崩さないまま苦しそうに呟いた、実にもどかしげである。


そういえばこの“スメルスライム”の改名前の名前、いったい何であったか。

私も記憶の彼方に消してしまったその情報を、どうしてもサルベージ出来なかった。

この様子では、リーネも同様であろう。


必要ないと言われたら確かにそこで話は片付くが、この手の疑問は一度発生したら、要らぬ情報であったとしても思い出すまで不快感と戦うことになる。

ブリギッドに「お前は覚えているか?」と訊ねるも、首を横に振るばかりであった。

失念していたが、そういえば彼女はしばらく振りに発動された魔具であった。

クレーマティスのことだから世俗の情報は更新してあるだろうけれど、だからこそブリギッドは件の魔物の改名前を記憶から喪失している可能性もある。


「さて困りましたね。目と鼻の先にあるのに、このままでは気になって王都へ帰れません」

「そんなに重篤な問題でもない気はしますが、確かにモヤモヤします……」

「ファオスならどう名付けるか、それが大事なところです」

「そんなに重要な事案でもない気はしますが、確かにそうですね……」


すっ、というオノマトペが至極似合いそうな所作で挙手したエトだが、しかしこの場に居合わせる全員がその意図を理解出来なかった。


魔物哨戒班は3人、さらに護衛者が1人。


王都最強の大魔法師にして、勇者ファオスが率いていた魔王討伐隊は専属魔法使い、エトオール・アステル。

猫系びょうけい獣人族の末裔にして、エトの弟子、リーネ・コットン。

漆黒の毛並み、天才にして天災と言われた猫魔族の頭脳、コーレイン・ワンダーキャット。

クレーマティスの魔具にして神速の魔剣使い、ブリギッド。


これだけの人数がいて、当人以外全員が理解不能なエトの行動理由を探るべく、私達はこれから発せられるであろう二の句を待った。


「破れば、思い出しますかね……」


硬直するその場の空気、エトは何をとち狂ったことを言っているのだ。

“ジェルスライム”ですら想像を絶する悪臭であったのに、それ以上の激臭を放つそれを破ったら、特に鼻の効く私やリーネはどうなってしまうのだろう。


恐らくエトの挙手は多数決の意を込めたそれであったのだろうけれど、私達の手は微動だにせず、視線を大地に落としたまま無言を貫いていた。


多数決、つまり数の暴力とはある意味このことでもある。

どれだけ化け物染みた戦闘力を誇る生命体であろうとも、合理的かつ極論的なこの手段の前では一様に無力なのである。

圧倒的大多数の寡黙により、この魔物を破く提案は否決された。


「まあ、仕方ありませんね」

「当たり前だよ」

「それでリーネさんとコルの鼻が、使い物にならなくなったら大変な騒ぎですしね」

「一応私達に配慮する意識はあったんだな」

「悶々としたままではありますが、では退魔法で“スメルスライム”を消滅させて王都へ帰りますか……」


微妙に拗ねているなあ、こいつ。


エトは掌を“スメルスライム”に向けて掲げると、“退魔法”発動の準備に入る。

エトがこの魔法を使うことで、その場に激臭を発生させることなく魔物は消滅するだろう。

いよいよもって今回の哨戒活動も大詰めだが、“スメルスライム”の以前の名前が思い出せない葛藤を私達は抱えたままになる、という結果は変わらない。

それはそれで如何なものだろうか。


そこで私はひとつ、妙案を思い付いた。

エトの退魔法では“スメルスライム”が消滅してしまう為に臭いが嗅げず、最後の頼みと言っても良い記憶復元手段が皆無となってモヤモヤは続く。

しかしすぐ近くで奴を破れば私達の嗅覚、延いては命すら危ういだろう。


ならば、遠くで“スメルスライム”を破れば良いのだ。

多少の被害は出るものの、臭いを嗅ぐことでエトの記憶が戻るかもしれないし、私達もすぐ離脱すれば問題ない。


さすがは私、猫魔の頭脳である。

早速私は作戦を決行した。


「ブリギッド、場合によってはエトの退魔法が発動しない可能性もある」

「そうなのですか?」

「今まで一度もそういうことはなかったが、エトは“退魔法”の機構も原理もわからないまま使用しているのだ。可能性としては、全くゼロというわけでもあるまいよ」

「なるほど」

「エトの雰囲気がいつもと違ったら合図を出す。魔物はその後で私とリーネが倒すから、お前はエトを守ってやってくれ」

「了承しました」


私はブリギッドの頭上から降り、頃合いを見計らった。

以前戦闘したときに“スメルスライム”の動きは把握している、軟性のある身体を伸ばして勢い良く弾き、体当たりをしてくるのである。

エトもそれを待っているから、その場で退魔法の準備をしたまま動かないのだろう。


そうであるなら、“スメルスライム”が体当たりをした瞬間に全員で退避し、その辺りにある樹木にでもぶつかれば、奴は自ずから破れるはずである。


エトのことはブリギッドに任せるとして、私とリーネは特にこの場から距離を置かないと、大変なことになる。

エトが魔物を消滅させると思い完全に緩みきってそっぽを向いているリーネに私は歩み寄り、計画を話すため彼女の正面に立った。


しかし同時に、そして私の計算以上に“スメルスライム”が早く戦闘態勢を始め、身体を引き伸ばしていることを確認し、致し方なくブリギッドへ合図を送った。

小さくひとつ頷いたブリギッドは腰を屈め、“スメルスライム”が跳躍する瞬間を見定めている。


「ふう。エト先生の退魔法が済んだら、やっと王都へ帰還出来ますね」

「そんなことよりリーネ、このままでは大変だ。今すぐここから退避するぞ」

「おっとコル師匠、その手には乗りませんよ。二の轍は踏まないというものです、もう騙されません」

「何の話だ?」

「以前“ジェルスライム”の時に、急に跳べと指示されたじゃないですか。そしたら大変なことになりましたからね、今度は退避した先に何か仕掛けがあるんでしょう?」

「ええい違う、今回は本当の話だ。お前の嗅覚を労っての判断、私を信じろ」

「やれやれ、コル師匠も焼きが回りましたね。そこまで挙動不審だと、私じゃなくても何かあることくらいわかりますよ」

「ま、まずい“スメルスライム”が跳んだ! ブリギッドがエトを吹き飛ばして一緒に離脱していく! お前も早く!」

「はーい、ご案じありがとうございまーす」

「ええい馬鹿者め! 私は行く、もう知らんぞ!」

「へっ?」


私が離脱した刹那、鬼気迫る私の行動に動揺したリーネは背後を振り返るも、一直線に跳んでくる“スメルスライム”が軌道上に在った彼女の顔面で炸裂した。

辺り一帯はこの世のものとも思えない激臭で満たされ、「そうでした、あの魔物の改名前は“腐乱腐乱”でした」というエトの感慨も虚しく、白目を剥いて卒倒するリーネの暫定亡骸だけが儚くもその場に落ちているのみであった。

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